激動・混沌それでも、もう12月は、そこまで・・・。

激動の2019年 それでも、師走を迎えようとする、光復路は、クリスマスモードの飾りつけ、金曜の夜、人手大勢。
この飾りつけも、恒例のものとして、定着してきました^^。

本当に、色々な事がありました。それは、公私に渡ってでは、ありますが、韓国の東の南、九州ともさほど離れていない、ここ釜山も、この街の成り立ちなどは、度外視されてか、また、当然のことなのか、時計を逆廻り、にされるような感覚に飲み込まれていくような年(2019)。

知らないうちに、札幌(北海道)名物、スープカレーのお店、出現。

”覆水盆に返らず”そんな言葉だって、空しく響く、いやもう、とうの昔に諦めて、ミスリードされないぞと思ってきた人々を愚弄するように、これでもかと乱舞する人達が、大手をふる光景を、腹一杯見てきました。

このブログの巻末に、10月の初旬頃書いて、掲載しなかった投稿を、備忘の意味で付記しましたが、今でも気持ちは、その時と、何も変わりません。それにしても、不真面目な、不条理さが満面な世界になった気がしてしまいます。

でも、ちょっと嬉しかったのは、恒例となった月壱、対馬詣でで、23日(土)本当に、暫くぶりで、釜山からの乗船客が、一杯になっていたこと。※(土・日)ということも、あったでしょうが・・。

2019 11月23日(土)国際フェリー・ターミナルから、見た、朝焼け
今回は、オーシャン・フラワー号
大亜高速海運 。中は古いがこの船、波にも強く、そして、本当に速い今は未来高速のNINA号と、日替わり運行。
ひさびさに戻った、韓国客を歓迎する、
対馬(比田勝)の有志の方々。
たった50キロしか、離れていないのに、空気は澄み、海も綺麗なのは、一目瞭然。釣りは、無論のこと、都市の喧騒を暫し逃れて、プチリトリートなども、魅力なのかな。
元寇の時に、対馬を守るために、戦った方も
合祀されている豊崎神社で、祈念してきました。
祀られている神々と偉人について、書かれていました。

今回の顛末も、訳のわからない事だらけですが、それでも、最悪な事態を、いったんは、回避したというのが、現場にいる人間としての、認識です。今回、ブログをあげさせて頂きましたのも、現場にいる眼から、流れが変わってきたことを、少し経過を見ておりましたが、感じるからです。※以前のブログで、「私どもの利害に関係なく、こちらに来られることのリスクを担保できないときは、そのように書く。」といったことへの、回答です。


松島ビーチの袂。松島・海上ケーブルカー 乗り場。
釜山港に停泊する船舶群と、釜山の街並み、松島ビーチを、一望できます。ビーチサイドに、ホテルやオフィステルも、続々開業していますし、刺身や海鮮鍋のお店、もちろん、カフェも充実しています。

松島・海上ケーブルカ ー乗り場付近の風景
偶然、海難除けの為に、 韓国ムダン(巫女)の 方が、
儀式をされていました。
刺身や海鮮鍋の店が立ち並ぶ、粋のいい魚が水槽に満載。
ケーブルカー乗り場には、大橋やポートの景色を一望できるカフェや、フードコート、レストランが併設されていて、穴場なスポット。
新しいホテルも、続々・建設中、チャガルチからも、10分内外、なかなかのビーチ・エリアに、成長しています。(笑)

今日は、今の時間帯はまだ、ひさしぶりの同行通訳で、BEXCOでの結婚式に、釜山にお見えになられた方の、お供をさせてもらっているはずです。御めでたい席で、運気にあやかりたい、ところです。

釜山といえば、海鮮。市場に、海の幸が満載。
釜田市場 にて
乾き物から、鮮魚まで、めじろおし。

これ以降は、2019年、9月頃に書いて、掲載しなかったものです。今は、もうこの時とは、スタンスも気持ちも、また現実の状況も、数歩先へと進んでおりますが、あくまでも、この仕事をしてきた備忘録なので、載せることにしました。

釜山・南浦エリア、 影島大橋 。毎日午後2時の一度だけ、跳ね橋が上がります。 これは、ロッテデパート・光復路店の屋上から。

日本と韓国の仲介に係わる、それは、一筋縄ではいかない歴史や立場の違いを踏まえるといった意味で、生半可ではできないと、この仕事をはじめた時からの、認識でした。そして、そのとおり、いやそれ以上の色々な事どもが、このたった12年余りでもありました。

新世界センタム・シティモールにある、
Momos Coffee 店内

先週、3ヶ月ぶりに、対馬に行ってきました。もちろん、今どうなっているんだろう、などという好奇心などからではなく、業務に関する手続きをする為だったのですが、釜山側の国際フェリー・ターミナルの閑散。ここしばらく、見たことがなかった、静かな比田勝の佇まい。

閑散とした、対馬・比田勝フェリー・ターミナル2019 10 29
曇天・確か、台風直下だった、比田勝の町並み。

かたや、釜山市中の、津々浦々のスーパー・マーケット、コンビニの棚。その製品が、または会社が、不祥事を起こした訳でもなく、商品がいいから人が喜んで購買していたビールや、長い年月をかけて構築してきて、やっと日の目を見た商品が、一掃されています。

こんな間でも、生業として業務として、日本と韓国で取引きは続いております。皆さん、ビジネスマンですので、滅多に泣き言などはおっしゃりませんが、私どもをお使い下さっている会社ですから、韓国の会社の場合、日本の製品を韓国に頒布するのに、汗を流してきたのですから、存亡をかけての闘いが続いています。

色々な記事を読むなかで、ひとつだけ、いつも疑問なのは、「このご時勢なんだから、営利のことは、二の次にして・・。」とかいうくだりが、まことしやかに踊るのですが、??????。営利が、二の次って、それを言う、書く方々は、人(生き物)じゃないんですか。ご自身は、ご飯を食べないんですか、家に住まわれないんですか、疲れたらちょっと温泉入ったり、病気したら病院にいかないんですか・・営利とは、すばわち”生活”の事じゃないんでしょうか。

それが、二の次って、・おかしいんじゃないのかな。

すいません。(謝)ブログの主旨から、遠ざかってしまいました。が、それぐらい、この半年来起こっている事に際して、怒りを通り越して、寂しさがこみ上げてくる時が、チョッとありました。この業務に於いても、多岐のことに係わってきましたから。

朝鮮半島と、日本の交流の歴史を本に書かれている、作家・ジャーナリスト・研究家の方の調査のサポート、個人のルーツを辿りに、日本から韓国の身寄りを訪ねて来られた、少なくないかたの軌跡を辿る旅、ご先祖さまの、墓を探すための、同行。

そんな中で、2019年リアルタイムの韓国と、図らずも、これまで周辺の国との交流(興亡)、また現在のこの国の営みがどんな経緯でなってきたのか、意識して感じ、確認するようになっていきました。

あまりにも、ネットで散見する所感が、観念的で、或いは岡目八目とは申せ、ここに、実際に、住まわれたこともないような方が、堂々と、まるでそれが真実だと簡単に断言されるし、事実はどうでもよくて、流布されるまたは曲解される言説によって、どの位の人の日常が破壊されるか、考えもしないのだろうな、という恐怖。

何かを構築していくことは、難しく、時間もかかり学習も必要なのに、破壊というのはかくも短く一気に進むもののようだ。

日韓のことに、拘わってきた多くの方が、普通に、互いに正反対の視点で語られる報道等、自分の眼の前の現実が妄想に見えてくるほど、違えて、事実などはどうでもいいという応酬の真っ只中、ただ日々を続けなければという、あきらめの中で、過ごしているように、思います。・・・以下省略・・

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください