2013年も、11月半ば。晩秋から、初冬に、ここ釜山も向かっています。入り組んだ入江状の海岸線、海と街が驚くほど近く、近年、インフラも着々と整備されてきた、韓国の海の玄関と言ってても、いいこの街。天然の温泉もあり、屋台の湯気や、チゲ鍋が、旅情を掻き立ててくれる、オススメの季節なのですが・・
LCCも、エアアジア(成田)やエア・プサン、北九州からのスターフライヤーに加えて、この秋からは、ピーチ(関空)が就航と、高速船ビートル・コビーも含めて、益々アクセスが、便利になっている中、ご存知のとおり、真逆の風が吹く。(そんなことしてるうちに、エアアジアも突然、撤退。スターフライヤーも、来年3月で運行中止となった。)
全ては、過渡期なのでしょうが、”今”という時を愚弄するなら、その果を受けるのは、その日、その日を懸命に生きている普通の人々。
私どもが、何度も足を運んで、博物館等で見た歴史には、この釜山にも、過去には沢山の日本人が住んでいて、ここの人達と普通の生活のなかで、生業を真面目にこなし、そして時代の波に揉まれるように、その全てを戦果のなかで放逐し、無一文で引き上げていったようなさまざまの普通の人達。
明治から昭和初期までの、丹念に残されたほとんどが手書きで記された沢山の手紙や、文書には、思いもかけない場所で、現代の自分達に、祖先が懸命に生きてきた証を伝えてくる。
歴史は、幾重にも折り重なる、人々の声なき声に裏打ちされて、未来へと見えない糸のようなもので、それを扱う人達を、それにふさわしい場所にいざなう。
まさに、今、過渡期の風景を 物見ではなく、身を持って体験させられていることを、痛切に思った、2013年、晩秋です。
日本と韓国の現状は、現状として、それだけに、困っておられる方(わたしたちも、まさにそうでしたが(苦笑))も、また継続的にここと、係わりを持ち続けていかなければならない方も、おられる事と思います。
上載の写真は、先週くらいに、親族の法事に赴かれる方の、同行通訳に、隣町、馬山に行った時に、その一族の方々のお墓のある山の近辺で、撮った写真です。
その時に、韓国の親族の方が、「日本にいる親族が、こうやって熱心に法要に、毎年来られるから、自分達もお墓を綺麗に維持、管理することとなった。」と、笑いながら、語っておられました。
いつの間にか、師走も、もう目の前。冬の、海の街に、御用の向きには、ご遠慮なく、お声かけください。