クリスマスの 夜に、釜山 の秘史 を 想う

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新世界デパート の クリスマス イルミネーション
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新世界デパート の 吹き抜けの クリスマス・ツリー

2013年 ここ釜山も、クリスマスを迎えようとしています。本当に 波乱含みだった2013年。

日韓の歴史は、政治に利用されるばかりで、その本質を味わう機会を奪われていることが、昨今、ことに多いのですが、その中で、そういった齟齬にわずらわされることなく、自分達がここ至るまでに、どこから来て、そしてどこに行くのかを史実を探し、仮説を検証する。

そういった、ユニークな視点から、半島と、日本の交流を謎解きのモティーフにされている方々が、おられる事を、仕事を通して知り、案内の下見をするなかで、この半島の南東の端を、いろいろな国の、いろいろな人達が、いろいろな思惑で行き交っていた、そういう場所だったのだと、改めて、最近、思うようになりました。

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金首王陵(kimusuro wang nung)

この、土・日、独自の歴史考で、著書もものされている方の、検証の為の、釜山行に同行させて頂きました。

独立国として、日本の邪馬台国が存在したもっと以前に成立し、王の后は、インドのアユタヤから迎え、日本も含めた海外との交易で栄え、400年弱も、続いた伽耶の国の、遺跡を、金海に。また、朝鮮通信使から、長崎の出島のように、朝鮮との交易を目的として、釜山に逗留した日本人の街”倭館”の痕跡を、釜山市中に。

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古代に 鉄の生産で栄えた”伽耶” 鉄の鎧を、馬にしつらえ、鉄騎兵が、進軍した
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伽耶(金海) 鉄騎兵 の 実物大 モニュメント (2)

どこの街でも、存在するのであろうが、その時代が喧伝する歴史とは、また別の、”秘史”に触れるとき、街の景色もまた、街ゆく人々も、違った眼で見えてくるかもしれないですね。

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金海市 の クリスマス・イルミネーション 1

とにかく、今日は、2013年、聖夜。みなさん、メリークリスマス。

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金海市 クリスマス・イルミネーション 2

頂いた ご著書

真夏の世界遺産 慶州・・仏国寺編

今日は、大阪よりお越しのグループと、暑い日差しの中、新羅の古都、慶州(キョンジュ)へ足をのばした。世界遺産の石窟庵(ソックラン)、仏国寺(プルグッサ)があり、いわずと知れた名跡の街であるが、最近は、「善徳女王」の大ヒットで、また一段と訪れる方が増えた。ここより、動画へ。

BGMを聴きながら、真夏の 仏国寺ツアーへ、どうぞ^^ここを、クリック=> Rylynn.mp3

暑さにも、拘わらず、老圃洞(ノポドン)・バスターミナルは、旅行者でいっぱい
シートがワイドで、一人旅にも、カップルにも配慮された、高速バス内(勿論、涼しい)
高速を、降りて、 慶州市街地へ

今日は、予定を変更して、午後2時過ぎから急遽、慶州に行く事になり、とても主要箇所全部は巡れないので、善徳女王班(笑)と、寺跡班に分かれて、動くことと、なった。最近は、高速バスも新型車両が増えて、シートの、リクライニングもかなり自由で、快適になっている。皆さん、ひと寝入りしている間に、慶州(キョンジュ)に到着した。

観光都市「慶州」にしては、意外にこじんまりした、バス・ターミナル

世界遺産ばかりではなく、国立公園が各所に点在するこの街は、高層建築規制がなされていて、市街地をちょっと抜ければ、見渡すかぎり連綿と続く、水田の風景。石瓦の、一般住宅の屋根。

車窓から、KORAIL( 韓国鉄道公社)慶州駅
慶州 の 一般住宅

既に、午後4時をまわり、一路、仏国寺へむけて、タクシーをひた走らせる。

仏国寺 入り口すぐ近くの ユースホステル

のどかな風景を、抜けて、ほどなく、世界遺産の寺、仏国寺へ到着した。

寺門に、いたる 道すがら

蝉の啼く声が、じ~じ~っと、さざめく、公園をぬけると、参道の道は、陽は未だ高いとはいえ、夕方の為か、意外に静かだった。 それでも写真を見ると、結構、人はいるのだが。

仏国寺 の 入り口前
寺門 の 入り口 2
韓国のお寺の守り神 四天王に、 礼を捧げて、本堂へとむかっていく

ここいらに、来たときに、なぜか一気に滝のような汗が噴出した。同行された、皆さんも、同様である。邪気が、祓われたと、思う事にするも、単に、熱中症ではと、年齢を自覚させられる。

本堂に前に、開けた広場にある 社務所
本堂境内にいたる、高床式の 寺門(老朽化の為、この石段は、閉鎖中)

汗を、拭きつつ、いつも写真で見る、この石段の門を見上げる。世界遺産ということで、信仰の対象のお寺というより、文化遺産の側面が、強いのかと思ったが、敷居の高さもなく、次第に、そこはかとなく厳かな気分になってくる。

迂回した通路から、境内 の 中へと 入っていく
まず、眼に飛び込んできたのが、この 石塔(釈迦塔)

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多宝塔 (新羅式異型石塔の傑作らしい )
韓国 の 仏寺 の 中央に、かならず鎮座する 大雄殿
優しいお顔 を した 如来像

韓国の仏教は、アジアの中でも、原初的な大乗仏教の姿を、今に伝えていると、繰り返し、自著の中で、瀬戸内寂聴さんが、かつて、書かれていた。その真偽は、さておき、普段が激しい競争と喧騒の中に生きる韓国の人が守り続けた、癒し場としての仏寺。韓国のお寺が、山に位置しているのは、偶然ではなく、仏教弾圧から、身を守る為であったと、いう。

何故か、この時期に咲いている、紫陽花を傍らに、より上部へと

韓国に来てから、お寺に来ることが多くなった。お寺が好き~というより、不思議とお寺を廻って帰ってきた日は、色々な経緯で悩まされていた、過去のいやな記憶を思い起こす事が少ない事に気づいたのだ。

観音堂 日本人の観音信仰の深層 韓国に来てから 本当に感じている

とにかく、最後に観音殿を、お参りする。この、仏国寺の観音さまは、それは綺麗な面持ちの、仏像だ。祈りを捧げる対象の仏像さんだが、ここの観音さまは優しさというよりアートがかった、ちょっとクール・ビューティな像である。自分の、ぶれた写真より、是非、じかに対面して頂たい。

石積み 逆縁で業を背負った 子供の為、存命の肉親が石を積むというが・・
出口 手前 の 茶屋

暑い中、写真のお好きな方たちは、思い思いに三脚を立てて、撮影されていたが、そのお陰で、少しく、自分もカメラに、収める事ができた。帰りに、「新羅ミレニアムパーク」を堪能(笑)された方々と、合流して、一同、爆睡の中、高速バスで、釜山に戻り、南浦洞で、暑気ばらいの、参鶏湯を食した。

本当に、お疲れさまでした。

今度は、是非、民族村や、海印寺(ヘインサ)にも、撮影にも、よいのでお連れしたいです。

世界遺産のお寺というが、そこかしこに、絢爛とか豪奢といういうものに、毒されていない、仏教の系譜を肌で感じることが、できた。

釜山の怪、朝鮮半島「奇譚」。

自宅から一番近い、在来市場 東莱市場のなかにある 古い「廟」

今日も、雨が降っている釜山からです。

ところで、ここ、釜山にいると、国境という壁は厳然としてあるけれど、やっぱり大陸への登竜門なんだなと、事あるごとに、思います。なぜなら、やはり生活しているうちに、中国との関係(たとえば、中国から生薬を運ぶ人の話)や、ロシア地域にまで到る、朝鮮族の人達の往来の話を聞くともなしに、耳にするようになるからです。

韓国によく来る方は、周知のことでしょうが、釜山の市内ではコンビ二の数ほど、と言ってよいほど、キリスト教の教会が、多く、韓国に来てすぐに、牧師である義姉夫妻が開拓教会の設営をする手伝いに、駆り出されて、色々な経験をしました。(ちょっと、日曜がくるのが、怖いときもありました 笑)。とはいえ、仏教の信徒はそれよりも多く、釜山市内、近郊のお寺にいけば、仏教の作務衣を着て、お参りにくる熱心な在家信者の方を沢山みかけます。 (このブログでも、順番に、この近郊の名刹のルポを書いたりします。)

その上で、儒教、道教の文化がいり混じります。

東莱市場から マウルバス 6番の途上で、見た路地より

釜山に来て、この家(上載の写真は、関係ありません^^)で寝た初めての晩に、萱葺きの原初的な農耕の村を背景にした、これまで見たこともない風景の中で、笠をかぶって一人、こちらを見て笑う少女の異常に鮮明に、記憶に残る、夢を見ました。後で、折々に見ることになった、近代化する前の朝鮮の村落の写真が、まさにその風景だったのには、驚きました。(勘違いをして欲しくないので、はっきり言いますが、自分はオカルトマニアでもなんでも、ありません。)

ただ仙道などを、生半可に齧(かじ)ると、気には敏感になり、不思議な思いをする事は多いのですが、やはり、島国にはない、独特の歴史を内包しているのを体感したのかもしれません。

自分も言葉がもっとわかれば、中国の道教とは、また似てるようで違う、韓国の国仙道の話などを、ガンガン読んでみたいのですが、今は相棒のご機嫌をとりながら、少しずつ探求していくつもりです。(相手は、プロの通訳なんで、敷居が高いです・・なかなか。ナンテ。)

儒学者の なのか?堂に祭られていた。肖像。

言葉は、一朝一夕で、身につくものではないのですが、アイデアのある方は、通訳を使ってショート・カットするのが、或る意味、(費用対効果的に)賢い選択だと最近つとに思います。何せ、時(タイム)はお金以上ですから、自分らの年代になると。