”韓流前夜”・・事変の中での韓流・気まぐれ回顧譚。

例年なら、のどかな、今時期の釜山のビーチ。※2018年の松亭ビーチより

ここ、九州の対岸に位置する釜山は、2月も末日を迎えようとする時節を迎えて、大分に、暖かくなってきました。暖かいというのには、語弊があるというなら、韓国にせよ日本にせよ、南部に位置する場所ゆえに、春めいてきたということ。

でも、今年はちょっと様相が違うことは、いうまでもありません。しかし、それがここだけではなく、発生源の中国は無論のこと、対岸の日本、ことに、まだ、大地一面が真っ白な雪に覆われ、流氷が海を一夜にして埋め尽くすような時季の中にある北海道でさえ、同じ状況に置かれているということ。

今日も、東アジア全域で、未知のウイルスとの攻防の最前線に、沢山の方があたっておられる事と思います。そんな中、日本でももっとも寒いエリアといわれている、道東の街、”北見”の病院で勤務している友人の事が心配になりLINEを送ったところ、「遊びに行きたいと思っていたけど、ちょっと当分、無理みたいだぁ~。」と、返ってきましたので、チョッとひと安心。

本当に、致し方無いですが、度重なる、・・叩き、・・・売運動の後に、この大事変。今回のことは、事の発端はいざ知らず、直接、防疫にあたれない、自分のような立場の者は、全力で今事態の収拾にあたっている方々を、気持ちだけでも、後方支援をしなければならない訳ですが、そんな中、ふと韓国ブログでありながら、なぜ、もう長らく韓流のことに、一斉触れなくなっていったのか、ちょっと書いておこうかなと、気まぐれに思ったので、備忘した次第です^^。

そんな私の想いなんかは、本当はどうでも良い事なんですが、私が好むと好まざるに関わらず、今の若い方が、双方、色々な状況下を臆することなく交流され、いやまったく、それが当然のように韓国語を学んだり、また、留学までされたり、結婚をされたり、また韓国で暮らすことを選択されたり、した大きな契機を生んだのは、まさに韓流あってこそ、だと言っても過言じゃない訳です。※今、現在も進行形ですね。

上載の「シュリ」が公開された時、当時、日本で生きてゆく、”よすが”を見出すのに、必死だった私に、どれだけ多くの当時廻りにいた方(もちろん、日本の方)に、「韓国って、すごいんだね。」と、紅潮した面持ちで、声をかけられ、肩を叩かれんばかりだったことが、突如起こったことを、思い出します。※映画の公開年代を見れば、私の日本との縁もどれくらいか、バレバレになりますが。

当時、20代だった私のような世代の韓国人にとってでさえ、映画といえば、絶大な人気を誇っていたのは、いわゆるメジャーだったのは香港映画で、男達の挽歌シリーズなどの、チョウ・ユンファ、アンディ・ラウ・ レスリー・チャン などが、もてはやされていて、韓国映画はもちろん見ますが、マイナーな存在だった訳です。

その後の日本でおきたこと事は、言わずもがな。今の韓流・第2世代の親御さん、特にお母さんの世代。とにかく、昼も夜もなく、3度の飯よりヨンさま・さまのような、おばさまが、私に通販で遠方から取り寄せたビデオを解説つきで手渡され、休みの日に、終日、まとめて見て、(※とにかく、交通事故と病院のシーンが多い・」笑)感想話でひと盛り上がりして、返却ということも、日常茶飯事

今思えば、今にしてみれば、古き良き時代だったのでしょうか。

ちなみに、ここに戻ったときに、日本でそれだけの韓流ブームがあったことや、ぺ・ヨンジュン氏が神であったのを、 感覚的に知っている韓国人は、 自分の家族や知り合いを含めて、皆無でした。

終の棲家だと思っていた日本(北海道)を、どうしてか出ることになり、故郷に戻って今にいたる訳ですが、何かを揶揄するんでも、毛嫌いをするのでもない、ただ単に、いつの間にか韓国のトーンが私には、疲れるものになっていたのです。

知らぬが仏で、知らないほうが良かったことを知ってしまって、元に戻れないからだと、いうのとも違う。若いからこそ惹かれる、外連味や大仰さやレトリックについていけなくなったから、そんなんでもない。

なんというか、お互いが美化することも、殊更に貶めることもなく、あんまり浅薄な都合できめつけることもなく、当然違う場所で、違う事情で生きてきて、わからないのは、当然。

とここまで書いてきて、全く取り留めもない内容ですね。

あまりそんな事も意識した事もないんですが、日韓夫婦としても、日本・韓国の双方で、ゆうに20・ウン年を過ぎ越してきた身として、今、何か去来するものをチョット・メモっておきたかったのですが、すべったですね^^。どうか、お許しください。

とにかく、この東アジアに生きる人間として、お互い、なんとか、この難局乗り越えましょう。( ๑˃̵ᴗ˂̵ )

ご精読、心より感謝致します。何卒、ポッチっと宜しくお願い申し上げます。

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ウィルスとの共存が、試される”免疫力”の時代に。

今朝あたりからこの釜山でも、スマフォでコロナ・ウィルスの罹患者の、行動経路の情報通知が、何度も、何度も、ピンポン、ピンポンとけたたましく鳴っています。

これだけ、人が行き来きして、日本とよりは、中国との関係を重視している韓国としては、当然、覚悟しなければならない事態といえるのかも、しれません。

ただ、この間も家人が重篤な病気の時、お世話になった先生も含めて、医療関係の方々も、必死で対応されておられたのを見てきていたりしているので、日本もそうでしょうが、現場は大変だなと、本当に思います。

家人がお世話になっている、 梁山釜山大学病院

これは全くの受け売りですが、人間の認知レベルというのは、本当に見方というか、先入観があるため、驚くほど都合よく、情報をすり替えるのだそうです。

日本と韓国で言えば、プロバガンダで歪曲される事象があるため、本当のことがなんなのか、いちいちソースを調べたり、直接確認をしないと、何が本当だか訳がわからなくなる、などということはよくある事ですが、そんな意図や悪意もなく、無意識ですり替えられることは、もっと危険なのかも、この頃、かなり意識するようになっています。

梁山釜山大学病院 。 リアルタイムのものでは、ありません。

新型コロナウイルスに関しては、色々と精査したところ、次のリンクの情報がかなり信憑性のある情報だと感じましたので、貼って置きますので、ご参考にして頂ければ、幸いです。新型コロナウィルスに関する事

実は、私ごとですが、24日に、対馬に行くことになっております。対馬は、日本の中でも、中国の渡航者が一番少なかったと思われますが、韓国が日本の渡航規制を強めている向きがあったので、それを心配していたのですが、今度は、日本の側が、韓国からの渡航に、ナーバスになる事態になりつつあります。

自分自身は、今でもできうるだけの情報をいれて、日常に於いては、自分でできる防疫のルーティーンをこなしておりますが、対馬に行くことは業務ですので、どうしてもいかねば、なりません。

そしてこういう事は、私だけではなく、これを読んでくださっている貴方さまも、日本の方も、韓国の方も、全く同じようなシュチュエーションの中で、仕事をされたり、生活されておられる事と思います。

広安里ビーチ 夕暮れ。

どこかで、中国の方を、接遇されている、販売員の方の話を読みました。「はじめは自分も感染したらどうしようと、怖い気持ちでおりました、でも、自分ができる注意は手一杯して、あとは、それ以上考えるのを、止めようと思いました。」と、言うことでした。

こんな事を書けば、その意識こそが感染を拡大させることだと、言われる向きも当然あろうかと思いますが、どの仕事をしていても、引きこもっても生活できる方を除いては、状況を冷静に見極めながら、社会を廻していかねばならない事は自明の事と、考えざるを得ません。

2019年3月当時、対馬・比田勝のフェリー・ターミナル、こんな盛況な光景も、今は、遠い昔。。

今一度、上載で貼り付けましたリンク等を含めて、自らのまたはご家族の既往症や、アレルギーを充分に考慮した上で、人為的にか、自然発生でかわかりませんが、ウィルスとさえ共存していく知恵というか手段を、自分にカスタマイズして編み出していく視点が、必要だと感じております。

有難いことに、日本も韓国も皆保険制度を導入している国のため、それなりの医療が受けられる事で、まだ、そうではない国よりも、なった症状に対する対応もかなりましかも、知れません。

ですが、その疾患に関しての治療の薬は、滋養の用ではありませんので、今回重篤になった方の例をできうる限りあらっても、やはり、体の自力、本当に”免疫力”を備えていかねばならないことは、薬の副作用で難儀している家人を見ていても、今後、生身の体を持つものにとっては、必要のかなと、思いました。

今回の記事では、具体的なことをまだご提示できませんが漢方(韓方)というホリスティックな手法を実践できる、この場所から、お役に立てることがあればと、少しく考えております。

汎用、オーダーメイド韓薬店の抽出液剤。

今も、罹患情報のピンポンが、鳴りやみませんが、こういう事に負けないと、頑張らねば^^。

ご精読、心より感謝いたします。できれば、ポッチと応援お願い申し上げます。 m(_ _ )m

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東アジア・緊急事態の発動、前夜の中で。(ーー;)

ブログタイトルで、※不用意な引用しました事、謹んでお詫びし、訂正致します。

釜田市場のところどころで、真っ赤なイチゴが出始めていた。
ピントがボケていて、いまいち、わかりにくいでしょうが、
大棗(なつめ・デチュ)や、枸杞 (クコ)などの、韓国では汎用的に用いる生薬。
これ、枯れ木の 根太 (ねだ)みたいに、見えますが、風邪の薬や、ドリンク剤でも日本でも、おなじみの葛根(カッコン)。釜山界隈の山にも、多く自生しています。

もうすでに、さまざまな韓国ブログで書かれ始めていますし、私もすでに自ら経験しましたが、2週間内に日本に行った人の医療機関での診療の制限、または、今は(韓国への)再入国さえ、難しくなるのではという、実しやかな風説が出回っております。

山芋、弦人参などなど、滋養系根菜類も、てんこ盛り。

こんな事を言えば、真剣に防疫と治療に従事されておられる方への冒涜との、そしりを受けそうですが、ウイルス禍の直接の脅威もさることながら、ここ暫く起こってきた事の時系列化と、これらが進展したときに、既に東アジア全体が、一蓮托生の未来の相克に呑み込まれて行っている中で、何が自分達の致命的なリスクになるのかだけは、整理しておく局面を迎えていると、いやが上にも、痛感させられました。

日本でも、有名な市場はありますが、ジニ係数がアメリカと肩を並べる韓国にあって、そして、現政権化でも、その流れは是正されない中、韓国の社会を昔から支えているインフラ。在来市場。

今回、決して好みではない扇情的なタイトルを、敢えてつけましたが、ひとつは巷間言われてる事への意趣返しではないですが、例え私がつけたタイトルような事態が実際に進展しているにせよ、それがデマであるにせよ、それらに個々人が対応していくしかないという、わかりきった事の再確認。

”異常も日々続くと、日常になる”昔日本にいたとき、どこかのポスターで見たキャッチ・コピーですが、それが戯言に聞こえてくるほど、苛烈な日常だった事を思い返します。

13年、決して短くはない期間、もうワンチャン(笑・若い子ぶって)事実を受け入れて、腹を決めて確変させる、ここで言い切ってしまおうか(笑)、いや、言うのではなく、やらなきゃならない

あまりにも拡大して、目にも見えなくなった格差が、いろんな演出の中で踊っているだけの事どもを、眼前に見せつけられてきたこの月日。

仇花は、仇花で、美しい果実は実らないことを、確認するために、日々を費やしている人などいない。なぜか今日、日本の方に特に伝えたいことは、韓流をエンターテイメントとして捉えるのではなく、あれがデフォルメではなく、韓国の實相であり、そこに感じる違和感にこそ、眼を凝らしていただきたいです。

時代は、”免疫”。

ご協力有難う御座います。ポッチと、何卒、宜しくお願い致します。 <(_ _)>

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半島からの、”役に立たない”伝言。

2020/2/16 ウイルス渦のなか、機張のオシリアのIKEAオープンに人、殺到。
駐車場から、駅から、もう人の群れ。

ここしばらく、春かと錯覚するような陽気から、一転、今日は窓を叩く風も寒気を携えて、真冬に逆戻り。とはいっても、知人が送って来てくれた北海道新聞アプリでは、新千歳が大吹雪で運休とか、この間は、マイナス35℃になったとか、そんなのと較べれば、”何のことですか~ಠﭛಠ”ってことなんでしょうが、とにかく、そんな日でも、なんとか前向きに生きていかねば、なりません。(ナンノコッチャ。)

隣は、何をする人ぞ。これがどんどん進展しているのは、韓国も日本も変わらないようで、人だかりを避けるように注意を喚起しているお達しとは裏腹に、IKEAのオープンに、この人だかりができておりました。

かく言う私も、このオープンを待っていた一人で、「このご時世に、そんなとこ行くのは、おめでたいな・・。」と家人の箴言もなんのその、休日で実家に帰省している甥っ子をなかば唆して、年老いた母親を伴い、馳せ参じたのであります。

市中や、地下鉄、バスの広告も、病院だらけの韓国。そんな中、例えば、黒人参、黒ニンニクの韓方補身食材。効きそうですよね。

ま結果は、入場規制がかかる程の事態で、隣のロッテモールで甥っ子の冬物を買い、お茶して、そそくさと退散したのですが、ウェブやメディア、youtubeや、日本での報道と較べて、先回のMARSの時より、街の人達の反応が呑気な気がしたのは、気のせいなのか。写真から見ても、お分かりの通り、先回の時と較べて、マスクをしている人も少ない。

報道でも、非常事態の宣告から、じょじょに、感染ルートを正確に確認することも難しくなってきて、蔓延した場合の治療を重症者優先ですることや、自己防衛に関する情報が増えてきたように、思います。

本当に、事実あるいは真実を見極めるのが、溢れる情報の渦のなかで、便利になったように見えて、難しい時代になっている。というか、事実の価値が置き去りにされて、いくらでも改ざんできるご時世なのかとも、思います。

フィールドワークではないですが、私どもは何はさておき、限定されたエリアのサービスを標ぼうするなかで、”実際に確認すること”を原則に仕事をさせて頂いて参りましたしかし、そもそも大して、本当の意味での切実さがない事案では、そのように見えた方が便利なことが、事実より都合がいいことに、もうバイアスがかからない時代なのでしょうかえっ、何言ってんだが。

きっと、オホーツクの海は、今頃、こんなんでしょうか。。

なんてことさえ、もうどうでもよくなって(業務を疎かにしているのとは、違います ( ー`дー´) )、自分のような類の者が、目に見えないお方々が(国とかでなく)どんな風に世の中を持っていきたいのか、今度は、そして次はみたいなことに、なっていくというのが、ここでこういう業務していると、次第になってくる視点なんであります。

現場仕事も多いので、生薬を調達して、お手軽自家製薬膳スープ。時代は、免疫⁉

本題に戻しますと、事実や真実は、かならず、時を越えて、それをないがしろにした者達に、修整をせまってくる気がします。ナンテ。とにかく、それの道連れになることは、本当に悔しい。今、現場でウイルスの真実と向き合っている方は、無論のこと、免疫をあげて、行かねばですね。

数年前の、ニセコ。
同じく、数年前の、小樽にて。
羊蹄山 知人が撮った、北海道の写真、このブログで願いごとを載せると、この頃、それが現実化するので ( ゚∀゚) 。

宜しければ、ポッチとお願い致します。 m(。≧Д≦。)m

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韓国のコロナ・ウィルス対応・最前線と、福岡への小さな旅。

先回のBLOGで、福岡にでも行きたいなどと、宣っていたら、先週、本当に急遽行くことに。釜山のフェリー・ターミナルの乗船前の待合の風景。
停泊する、関釜フェリー、船着き場に向かう途中
福岡への、高速線での渡航は、5回目だけれど、これまでは、未来高速のコビー号、今回は、JR九州のビートル。考えてみれば、不思議なことに、初ビートルで、福岡。
ビートルの船内、とても綺麗で若干のリクライニングは可能で、快適。

新型コロナウイルスが、武漢だけでなく、中国はもとより、東アジアで厳戒態勢となっております。本日(2020/02/07),定期健診で 梁山・釜山大学病院に行ったところ、全ての来院者は体温をチエックされ、名前を記載させられ、ここ2週間内の海外への渡航の有無を、確認されていました。

それで、日本に行ったことを伝えると、いきなり、空いている診察室に通され、簡易隔離状態で、診察を受けることに。そういう扱いは、中国や東南アジア方面に渡航した人などが対象・などと巷間に伝え聞いていたので、ちょっと驚きでした。

しかしながら韓国は、過去にSARSの、そしてMARSでのソウルの著名病院での院内感染の経験があったりしているし、思い起こせば、ウイルス禍によって、私どもも業務被害や大幅な業務スケジュールの変更に大変だったことを経験しているので、仕方ないことだと、即時に思いました。

韓国での防疫体制が、強化されている事をひとまず伝えたく、冒頭に書いた訳ですが、本題に話を戻せば、久しぶりに福岡に行ったという、お話です。※やはり、至急の業務がらみでしたが。

この日も、午前中は対馬行きの他の船が運休しているため、この福岡行きのビートルが対馬・比田勝に寄港して、向かうことになっていました。
4時間弱、波に揺られながら、福岡が見えてきた。
久方ぶりに見る、福岡の国際旅客ターミナル
福岡到着^^

釜山に来て、業務開業の当初は、兎にも角にも福岡のお客様、または企業さまにお世話になりました。そんな所以もあり、釜山に来てから、初めて、日本に渡航したのも、この福岡でした。

次第に大阪、東京、中京の会社との仕事に移行するようになってからは、なかなか来る機会がなくなり、気がつけば7年振りの渡航でありました。

以前、来た時もあったような、ただ日付は2020(笑)
フェリーターミナル、2階から。
早速、バスに乗り込んで、1軒目の用向きのある、天神まで。
福岡は、水路(CANAL)も印象的な街並み。

時間がタイトな中で、「福岡は、よく知っているので、任せてください。」などと行った手前、初めて行く出先だったので、かなり緊張していたのですが、でもなんか懐かしい気持ちが強く、天神の繁華街からはちょっと離れたオフィスだったのですが、思いのほかスムーズに、行き着くことができました。

続いて、博多駅で待ち合わせの用件があったのですが、さすがに午後2時を、とおに過ぎて、お腹が空いて来て、やはりラーメンをとも思ったのですが、やたら”もつ鍋”の店が多く、そんなのを見ていたら、今度に日本に行ったらホルモンを食べたいなと、思っていたことを思い出し、けっこう人が出入りしている、鉄板ホルモン焼き?の店で、遅い昼食。いや、やっぱりあのブチュウというシズル感、たまりません。※ 鉄板焼天神ホルモン 博多駅店

PCの備品を求めに、久しぶりのヨドバシカメラに向かう途中。ここに、来るまで、中国の人よりは、天神でも移動のバスでも、韓国人の家族連れ多し。
ヨドバシカメラ店内、昔はこういうところにこそ、韓国人がいたものだが、今は、そうでもないようで。

せっかく来た、福岡だけれど、出あるくのもままならず、出先でもらった資料を翻訳して、また、過不足分を調整して、昼1時20分の便で釜山に戻るといったスケジュール。その中で、ずっと難儀していたPCを調達する。いみじくも、先回来た時も、PCを持って帰ってきた。

今回も、同じPC店で、他店に出ていた商品を天神店で、受け取れるように手配してもらって、今回もしっかり対応して下さって、資料作成に間に合うことができた。※パソコン市場・天神店

本当は、ゆっくり書店や古本屋にも行き、資料も探したかったのだけれど、コロナ・ウィルス騒動のなか、福岡の風を少しでも感じれただけでも、良しとしよう。そうそう、行きたかった大宰府も、時間とコロナウイルスからの防衛のため断念。本当に、また、早々に来たいと思ってしまった。

博多駅、辺り。
ラーメンも次の機会。ただ何とか、おみやげ「長浜ラーメン」は、ゲット。日本の他のエリアからか、または韓国、中華圏かわからないが、うらわ若い女の子たちも、手に手にラーメンのおみやげを持っているのには、笑ってしまった。

久々の福岡だったが、本当に出先と天神、博多駅の辺りをチラッと覗いた位の渡航だったけど、釜山から来ても、直線距離2百と数十キロにあるこの街は、使い勝手も良く、食べ歩いても、観光するにしても、魅力も大な素敵なところだ。

また、先回来た時とは、問題にならない位、インバウンド対応が進んでいて、それに呼応するかのように、自分が考えているより、この時期でも、はるかに多くの韓国の人、案外、小さな子供を伴った家族連れが、とてもリラックスして慣れた様子で観光を楽しんでいた。

自分も思ったように、今度来たらあれ食べてみよう、ここに行ってみよう、これを探してみようと、繰り返し来ているなという風が、垣間見えた。

福岡から、北海道(札幌圏)の知人に、普通郵便でハガキを出したけれど、三日位で到着の知らせを受けた。釜山から、普通で郵便を出せば、その倍以上は絶対にかかる、以前対馬から出した時もそうだが、離れていても、やっぱり日本なのだ。(当たり前ですね。ごめんなさい。(;^_^A  )。

美味しそうな、おみやげが、目白押し。
沢山のひとが、いつも列を為していた、スイーツ店、これも次の機会。
なぜか、福岡の最終飯は、カツカレーが食べたくなり、福岡で、金沢カレーのチェーン店、ゴーゴーカレー。
バイバイ、福岡、また、来るぞ~
その日は、結構な高波でしたが、その荒海を疾走する、釜山~福岡をつなぐ、カメリアを、対馬までと、対馬停泊後の2度に渡って、追い抜きながら、釜山へと。

思えば、釜山に戻って13年、ここまで双方が行きかって、人的交流も進んだ痕跡も、有機的なリレーションを育める下地も十分に育った事を、体感しつつも、3歩進んで、2歩下がるじゃないけれど、なかなかに難しいものだと、

帰りの船の当時よりは、はるかに減った、釜山行きの日本の人の搭乗客の現実を見ながら、思いました。し、インバウンドに対応するということは、あらゆる不可抗力と不条理とにどう対応するかの、知恵くらべであるとも、あらためて痛感しました。

ビートルの船内でも、対馬の比田勝港で、ウイルス防衛のために、釜山からの乗船者は一人ずつ、検疫担当の方から、体温のチエックを受け、個体確認をされ、福岡の入管でのボディ・チエックも従前より、かなり綿密に行っていました。

今回の福岡行きで、行ったのが、人通りの多い、博多駅付近や、繁華街の天神だったという事もあるかと、思いますが、パワーアップして魅力を増しているのを感じました。

こういう業務をしている者として、日本の方に何を提案すれば、役に立ち、喜んでもらえるか、この間もずっと考えていました。例えば、これからもウィルス感染に対してばかりでなく、免疫を上げること等、モメチョッタ(体にいいこと)の伝統を有している韓国のもので、ご提案できるものがあればと、真剣に考える契機にもなった小さな旅でした。

良ければ、ポッチとお願い致します。^^

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”ここは、天国みたいな所” by ジョンウ。

27日、ソウルでの法要を終えて、釜山にむかう、下りの高速のパーキングエリアの様子。下りはまだ、空いている方。ソウルへの上りは、未だ、車列でびっしりだった。
途中のパーキング・エリア。26日、ソウルまで本当に、8時間の行軍だった。

ウェブ上では、中国の新型コロナウィルスの情報が席捲していますが、ここ釜山は韓国でも、”民族大移動”と呼ばれる、新年のソルラルも2日間目を迎え、早くもUターン・ラッシュとなっているのでしょう。

これまで、そのラッシュは、実家が釜山なので、ソルラルの準備の手伝いはあるものの、案外・他人事でありました。しかし、今年は年明け早々、実家で父親が熱発して、救急病院へ走り、救急病院で待っていたら、2番目の姉さんの旦那さんのお父上が亡くなられたので、これをアップしている頃には、私もソウルに向かって、初体験の帰省ラッシュの車列の中でしょう。

そんなこんなで、例年になく慌しい新年の幕開けでしたが、成長した甥っ子達と束の間でしたが、話をするなかで、色々な事を示唆された気がしました。

音楽関係の仕事に就こうと、ここ辺とソウルを行きかっている甥っ子ですが、ちょっと会わない間に、またも背が伸びて脚もながく・歯が矯正の最中といった、まさに韓国の今風の現代っ子という風情。

もう大分前の、福岡のフェリー・ターミナル。

で、日本に住んでいる友達の案内で、福岡に行ったけど、めちゃくちゃ楽しかったと聞きもしないのに、言ってきて、「とにかく、温泉が最高で、寿司だって韓国と較べて、ネタのバリエーションが問題にならないほど豊富で値段も手ごろ、それと、大きな木があって祈るようなところがあった。」私「温泉って、どこの温泉行ったの。」というと、なんか細かい施設の名前をいうから、「そういうのじゃなく、温泉地。福岡だから、湯布院とか?。」甥 「そうそれ、*ゆふいん*。」私※内心「こちとら、福岡は一回を除いては、タイトな業務日程ばかりで、湯布院も、黒川温泉もいったことないわ・・・」とか思いながら、まだなにやら、まくし立てているので、聞いていると、「道聞いても、どこで何か尋ねても、みんなすごく親切だった、バス停の事を訪ねたりした時も、一緒に連れて行ってくれて、時間の心配までしてくれた。」

その時は、PCや生豆のコーヒーを、買ってきた記憶が

ちょうど、韓国での日本の・買運動まっさかりの時期に、行ったらしいのだが、ま・うちの甥っ子もこんなに大きくなってても、よそよそしくならず、前から性格のいい子だったから、日本でも楽しい思いができたのかなと思ったけど、その後、案内してくれて、今は長崎に留学している、その友達の子の言っていたという話を聞いて、ちょっと、打たれてしまった。

例えば、その子をジョンウとしよう。そのジョンウは、昔、姉さんが釜山にいた時、開拓教会(キリスト教)しながら、学習塾をやっていて、当時、私もそこで英語を教えたりしていたので、面識はあるのだが、甥っ子とは、兵役も一緒に行き、同じ部隊にいたらしい韓国では、若い時期の、将来をこれからどうしようかという時期に、兵役がある。

ご他聞に洩れず、甥っ子もその悩みを抱えて、悩んでる位なら早く兵役を終えてしまおうとなって、その子も一緒に兵役に行ったらしい。兵役では、休日は電話をかけれるようなのだが、ときおり、たどたどしい日本語で電話がきたり、突然、これは日本語でなんというのか、聞いてきたりしていた。なんでも、そのジョンウと二人で、日本語の学習会をやっていてジョンウは、除隊後は何故か、長崎に留学するといっていて、それを凄く楽しみにしているという事だった。

考えてみれば、他の甥っ子達の友達の誰にも、漫画でとか、もちろん家庭教師をつけたり、アニメの勉強がしたいからとか、動機も方法論もまちまちだけど、すぐ指折数えられるほど、日本に行こうと思っていた子供達(当時、7年ほど前)がいた。ところで、ジョンウだが、長崎の留学先では、ホテルの経営を勉強しているそうで、今回、甥っ子を車で福岡じゅうを案内してくれたらしい。車の運転も、日本で始めて、釜山に帰った時は、車は運転しないという事だ。

その小さな旅の間、ジョンウが甥っ子に、「今度は、長崎を案内するから、自分が今いるところも、トイレが汲み取り式なのを除いて、天国みたいにいいところなんだ。」と、何度も話していたという。

私が、19や20歳の時、当時、福岡や下関があって、関釜フェリーや、福岡へのフェリーもあったはずだけど、日本へ行く事は、それほど、当たり前ではなかった。

甥っ子の弁では、行った時が行った時期だけに、「韓国人が、ばらばらいなくてどこも結構空いていて、楽で、値段も安くて良かった。」と、屈託のない顔していう。

折々に、人づてに聞いていたが、ジョンウに限らず、当時、日本に行きたいと行っていた子は、みんな日本に行き、日本で住んだり、望んだジャンルで仕事をしていることを、ふと思いだした。

「最悪の日韓関係」

それは私のしていた業務や、日本企業の韓国から撤退や、LCCやフェリーの減便が急なのも、厳然たる事実。

しかし、もっと長いスパンから見れば、そしてジェネレーションの違いから見える風景のちがい、そして、個々人の想いまでをひっくるめると、もうよく解らない気がしてしまいました。

ただ、自分がいる場所を、”天国”だと言って日々を送れる心。なんか、ガツンと来ました。

ご精読、有難うございます。何卒、ポッチとご協力お願いいたします。 <(_ _)>

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”2019”ファィナル。釜山~対馬12回。海峡で想ったこと。

恒例(業務がらみ)の月壱、対馬行き。12月9日から25日まで、運休だっため、今回は、2日遅れで。運休、船体検査といっているうちに、便がなくなるため、不安。
左が未来高速のNINA号、右が 大亜高速海運 のオーシャン・フラワー号ここしばらく、この2船が隔日で交替に運航していたのですが、12月中は、この2会社の2船とも17日間、運休。
久々の運行再開だったため、けっこうの数の人たちが、免税品ツアーや、小トリップ、釣りへと、賑わっていました。

水しぶきで煙る船窓から、釜山内湾を出ていく途中、大橋の下をくぐり、すれ違う、船舶や、タグボート。
対馬・比田勝港。自然の入り江を活用している港で、慣れてくると明媚で、静謐なところだと、行く度に思うようになりました。

本当に、2019年もオーラスを迎えていますね。日本にいた頃、31日には、鍋を囲んで、紅白歌合戦を、見るともなくTVでは流れていたのを、思い出します。殊に、北海道の年の瀬と、この釜山の年の瀬は、大分、違います。

北海道・小樽市郊外 蘭島・忍路 辺り

ウェブサイトでも、youtubeでも、韓国や釜山のことは、いろいろと語られ、紹介されていますが、いつも、対馬に行く船中で思うことですが、現状の覇権争いとはチョッとずれて、海峡の荒海を帆船のような船で、人々は行きかっていたのだろうな、ということです。


海洋博物館の展示より、こんな感じの船
あるいは、 こんな感じの船 か・・。

そんなこんなで、ふと思い出して、本当に久しぶりに、影島(ヨンド)の海洋博物館に、行ってみました。

影島(ヨンド)にある、国立海洋博物館、 韓国海洋大学校 に隣接されている、なんとは言っても、釜山は、韓国の海の玄関口。

釜山圏というか、この辺りは、このブログでも時折、触れてきたことではありますが、”東アジアの半島の端”という場所であると同時に、ユーラシア大陸の地続きであるという場所です。

釜山から、福岡、下関へは 200と数十キロ、対馬までは最短、50キロ。

この海の隔たりが、歴史や習俗・風俗の相違の綾(あや)を作りだしてきた事は、軽んじられるものでない事を、体感できる場所でもある気もするのです。

2020年を迎える、現在。もし、日本の方にとって、なんか本当に訳わからん考えのする連中だなと思われる時、一瞥するだけではなく、この陸と海の長い攻防から作られた癖のある発想は、たんに韓国、朝鮮半島という枠組みだけでなく、また現在・話題の、チュサッパ思想などのプロバガンダさえ越えて、ユーラシア大陸で、何度も代や種族を違えて、大帝国が作られ、また、群雄割拠した時代が交互に折り重なる場所と直に対面してきた処である事も、加味されてみては、どうかと、この一年、12回、対馬に赴いたことで到った、実感です。

今一度、比田勝の豊崎神社。日本、本土には神風が吹いて、避けられた”元寇”を、ここはもろに戦禍を蒙った。もう少し、お知りになりたい方は、対馬観光協会の歴史観光のページまで。

気軽に読む、ブログのような場で、年の瀬に、ビジネスはもちろんのこと、グルメやショッピング、エンタメとも直接関係のない、取り留めのない話で2019年の幕をひくことは、申し訳ないことですが、”日韓”この難しい関係性を紐解く、備忘として、書き残してみました。

博物館の傍にある、カフェテリア&レストラン。
海洋大学の研修船が停泊し、影島の大型クルーズ船が横付けできる船着場。ここも、初冬の風情。

皆様、何卒、2020年、良いお年をお迎えください^^。

南浦洞のクリスマス・ツリー、
ライトアップ・モニュメント ☆(ノ^o^)


2019・春・5月。釜山の、本当の”今”を体感して下さい<(_ _)>。

5月を迎えております。日本は、すでに大連休に入っていて、その上、平成から令和へと時代が移る時という、節目を迎えていて、大きく流れが変わる転換点、お忙しくされておられる方も、多いのではと思います。

このシーズンですと、釜山では松亭ビーチ、機張エリアの海浜観光、釜山郊外の寺院詣出、そして、新羅の古都、慶州観光と、気候的には本当に最適なシーズンですが、釜山市内のインフラやショッピングモール・カフェの充実を、活用しない手はありません。

在来市場の中で、若い方が新たにブティック等を、立ち上げる向きが、出てきたりしています。
国際市場界隈のテナントも、若い店主のお店が、増え始めている。
国際市場のお洒落な、ブティック。荒っぽく、”バッタ物”の宝庫のような喧騒を、一日千秋、売り物にしていた市場も、時代の波がきているようです。

韓国も、政権の政策上、いろいろな重要な時節を迎えていますが、憶測ではなく、日々、現場を目の当たりにしている身としては、アジアの諸地域と同様、自分の国にかぎらず、自分が活用できるなら、性能やセンスが使用に耐えうる、或いは費用対効果が高いものなら、どこのものでも活用する状況に、一般的にはなっています。

新世界デパート・地下鉄2号線、センタム駅側からの入り口。
エスかレターを上れば、新世界デパートの食品売り場。そのままいけば、ショッピング・モール。とにかく、大きい^^。
若い男の子に、大人気の帽子屋さん。

新世界センタム・シティ モール。ここに来れば、悪天やミセモンジも、心配せず、快適な空調の中、お洒落なテナントを覘いたり、カフェを楽しんだり、思いのまま。
最近、韓国は、明るくお洒落に設えられた、コスメティック・ショップチェーンの展開が、たけなわ。
ショッピングモールでは、カジュアルな商品が比較的、多く、若い方におあつらえな、ラインナップが揃っていました。
新世界デパート本体も、売り場が刷新され、より楽しく、
商品も格段に見やすくなっています
インテリアのコーナー。韓国では、日本以上に都市部では戸建の持ち家が減って、アパート・マンション形式に加速しているので、”自分の家”を演出するためにこのジャンルはもっともニーズがあり、モノが動くと思われます。
イタリア製をはじめとして、ヨーロッパ・ブランドのブースが多かったですが、あるブースの端整で大仰じゃない佇まいが気になったので、近くにいったら、「カリモク、イムニダ。」と聞こえてきたので、今回の売り場・刷新を機に、新しく新世界に、テナントを持たれたのだなと、知りました。この分野は、日本製は人気のなのだと、改めて思いました。

現在まで連綿と続いている国内・外の、政治的な喧騒に何を思うとすれば、この狂気を全力で掻い潜って、仕事を成立させる一点につきます。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190502-00000027-yonh-kr下にも、取り上げている。東横・インチェーン。既に、韓国内で11店。釜山でも、既に5店が稼動していますが、大邱(デグ)にもまた新規開業を進めているそうです。

この時期にと、お思いの方もおられるかと思いますが、実際のところ、政治でご飯を食べている方と、韓国の実勢の乖離は極限に達しています。

韓国内に、モーテルを汎用的に使う流れから、ビジネスホテルを定着させたのが、東横チェーンですが、これからの予見の難しい局面でも、生き残って行かれるのだろうと思うのは、自からが毀誉褒貶の激しい環境のなかで、実業のなかでデータを蓄積されたであろうからです。

国際フェリー・ターミナルの免税店。相変わらず、対馬等行きのお客さんで、盛況ですが、それを支えているのが、市中にもある、ロッテ・新世界・パラダイスなどの大規模免税店を、韓国人も活用できる事も、一因
国際フェリー・ターミナル、1階・エントランス。AM6:30分。広々として、綺麗で快適。かなりの人員で、余裕でこなせるキャパ。
https://byferryfrom2japan.com/japan-korea/釜山こそは、実は、海路では、中国ではなく、日本との定期航路を、これほど持つ、唯一の場所なのです。4月に仕入れ業務で、フェリーで来られた、韓国が始めてというお客さまにも、「韓国、すっかり気にいりました。また、5月に伺います^^。」と、喜ばれました。本当に、実況は11年前と較べようもなく、日本の方にも使いやすく、なっているのにな・・・。
対馬・比田勝に建設中の、対馬での東横イン、2号店。
上対馬町営の公共温泉施設、「渚の湯」の横の、海を臨む丘に。その下には、海水浴場が整備されています。

春は、市中にビーチを数えるだけでも5つは持っている、海浜都市にとって絶好の環境。都市機能を含めて、美容・健康の商品も充実しているショッピング、チムジルバン・SPA・垢すり、マッサージ、海の幸などで、リフレッシュして頂ければと、思います。

余談ですが、釜山市中はビジネスホテル・クラスのホテルが建築・開業が相次いでいますが、いつも、釜山駅の東横インが常宿のクライアントさまのお一人が、今度は一度、ラマダに泊まってみたいな。と言われていました。(笑)

釜山といえば、海の幸。カンチャン・ケジャン^^。
海運台、5月の海

釜山の現況と、日韓ビジネス考。

2019 3/13 海運台ビーチ。400メートル級タワー・ビルも、かなりできあがってきています。宿泊の中堅ホテル、飲食店街も、それに呼応するように、にぎやかになってきています。
海運台タワー・ビル、パラダイス・ホテルの背後から、威容を放ちはじめて、います。海運台に、どんな新たな風を吹かせるのか。
こんな船で、手軽にチャガルチなどから、乗船して、ポート・クルーズが楽しめます。

ポート・クルーズ ・チャガルチ乗船場、停泊中。

ここ、韓国・釜山も2019年、3月後半へと向かっております。仕事をしていても、日本と韓国の温度差を、ここで生活していると、ともすると、特に外に出て人が賑わっているビーチ・エリア、繁華街の南浦(PIFF広場等)、西面、釜山駅、)などに出向くと、ネットの中で溢れる日韓関係の切迫感などが、どこのことかと思いがちになって、しまいます。

もちろん、私どものような仕事をしていれば、韓国の他の人はどうあれ、これまでも直接、その板ばさみの中で実際的な・様々な懸案にぶち当たってきましたし、今もそれは、一向に変わりません。

それでも、もう、それは変わらない事だし、そんな中でも、この業務を始めた11年前とでは隔世の感があるほど、釜山のインフラも進展し、日本と行きかうLCCや、フェリーの便数も増えています。

ここ暫く、そんな太平楽な余裕などありませんが、これからの業務の進展の方向性や、個人的にもどこに向かっていくかを考える転機としても、自分のできる範囲で、ルーティンの業務はしっかりこなしつつ、意図的に俯瞰で、思いを巡らせてみました。「灯台もと暗し」との、例えも、ありますから。

ところで、商談や業務を実際に行っているビジネスマン、渉外営業担当者、オーナー経営者の方からは、あまり直接聞かれる事はありませんが、その他の日本の方からは、かなりの頻度で、チョッと気安い話ができるような間柄になると、「韓国のひとは、日本が嫌いになのに、どうしてこんなに、日本に来るんですか?」と、聞かれます。

光復路の、1階には老舗B&Cベーカリー が入っている
Y’ sパーク・ビルに、古書とカフェのスペースが、3階位にあります。日本の方には、目新しさは?ですが、結構、盛況です^^。

Y’ sパーク・ビルの、古書とカフェのスペース 2

日本にかなりの歳月いた私には、当然と思える問いですが、韓国人は不思議がるというか、「それとこれは、全く、関係ない。」ということに、なるのでしょう。

日本的な視点から見れば、ナンセンスな話ですが、韓国人は自分が必要とあれば、どこにでも行くし、自分の目的を達成することが、第一義になります。

韓国の会社と取引きをして、うまくいかなかった過去があり、すごく慎重になられるお客様は、もちろんそれなりにおられますが、ひもとくと、お互いがそれぞれの考え方や商慣習に疎かったり、ジェネレーション・ギャップだったりと、個別の理由なことが多く、いわゆる、延々と韓国は勿論のこと、日本の著名なメディア、youtube等で誠しやかに語られる、反日・反韓の類のことが関与していることは、まず、まれです。

今後、今のような時代錯誤な対応を続ければ、生き馬の眼を抜く、例えどおり、実利に沿った世策を打つ所が高笑いをして、そこにお金も人も流れていくのは、当然の話であり、 政治的アドバルーンを掲げても、物づくりに関する内在的・猶予が不安定になっている韓国が、商材をもとめて、また、単純に観光客として、日本にむかう流れは、ここ暫く、変わらないというのが、現場からの動かしようのない視点です。

何故か、いつも人が一杯のPIFF広場。

端的に言って、この状況下で韓国の会社相手のビジネスは、心理的な抵抗感も大きいかと思いますが、韓国も日本も大手を除いて、中堅以下の規模の会社の状況は、驚くほど似ているのではないかと、思います。

現在も、私どものところでも、継続的な関係性のなかでの、新規の受注の案件を進めております。(※日本の商品を、韓国会社が買うというもの。)

色々な経緯のなかで、かなり難儀な状況も越えてきた、とはいえ、ビジネスですから、なぁなぁになるような猶予のある同士ではない規模の会社間の案件ですが、それなりの信頼感を醸成したこともあり、資金繰りの状況なども、ぶっちゃけ双方が、ぶつけあって、実のある取引きにしようと、進めております。

そういう意味では、商材の選択肢が日本よりはかなり狭い韓国にあって、規模は小さくても、ユニークな商材をお持ちの会社、或いは、それを斡旋する中間業者の方は、事に韓国の会社から打診があった時などは、それがひとつのエポックになる事も、ありえます。https://bit.ly/2TRv9ux

韓国にいるとはいっても、韓国の会社に対しては、日本の、日本のお客様・会社については、韓国側のニュアンスや本音を誤解のないような形でお伝えし、最終的には、「まぁ、やって良かったな・・。」と双方が(もちろん、クラアイトさまの利益が、大切なのはいうまでも、ありませんが。)思う方向に向けてサポートさせて頂く。

韓国人は、世界に思いの他、多地域にコリアンタウンがあるように、日本の方から見れば、後先考えない感じで出て行くように、見えることでしょう。

日本へのルートも、韓国のLCCや、フェリー会社も、韓国側からが多数ですし、こんな状況下でも、釜山の海岸沿い中心に、建設ラッシュのように、マンション、オフィステルビルが、どんどん建設されていっています。

韓国も少子高齢化、また、現状、対外関係もどう見ても、外国人が韓国で物件を買いたいと思うのかな?と、思ってしまうような外交政策のハンドリングです。

釜山でも、空きテナントが目に付いたり、基本賃金の底上げで、自営業者の廃業が進んだりしている現状もありますが、韓国の会社も個人も、政権には関係なく、実利主義の側面から、この11年の現場での経験から、何とか作ったからには、うめていくんじゃないかと、論理的な裏づけはありませんが、思ったりしています。

海運台ビーチの hollys coffee から

一気に気温が、まさに春めいてきました。色々な懸案はありますが、わたしどもでは、日本の方にはチョッと難しい韓国特有なものを、少しでも平たく仲介して、チャンスを創出できるようなサポートを、させて頂く所存です。

何せ、春を迎えるのですから^^。

新装なった、プサンタワー、および、龍頭山公園(ヨンドゥサンこうえん)。昔は、ここ一帯が”倭館”といった、日本と朝鮮の交易の場所であり、李氏朝鮮(朝鮮王朝)時代には、日本人の居留区だった歴史を持つ場所でもあった、釜山のランドマーク・エリア。

2018年 最終月。 対馬で見た、東アジアの未来。

2019年、明けましておめでとうございます。この数日、日本のニュースでは、帰省の人々が、降りしきる雪のなかを、列をなして故郷に向かわれる光景が、幾度も映しだされておりましたが、ここ韓国の南東端の釜山は、ぐっと温度が下がって冬冷え、ひきかえに雲ひとつない青空が、広がっております。

2018 12 29 蟹といえば、機張(キジャン)、機張といえば、蟹という位、知る人ぞ知る、機張市場。釜山の冬の、風物詩。
相変わらずの盛況と、言いたいところですが、ロブスターが40%を占めているのが、今年の特徴。でも、やっぱり、ガッッと頬張ってみたいものです^^

蟹だけではなく、地元の港で獲れる、魚介類が、これでもかと、盛られています。
タコ、イカ、アワビ、トコブシ、そして、さまざまな海藻類。威勢の良い、アジョンマ、アジョモニの掛け声が、飛び交います。
釜山周辺は、岩場も多いので、貝類の種類も、豊富。

まず、はじめに、2018年中、当方をご愛顧いただいたお客様へ、心からの御礼を申し上げます。やはり、業務とは申せ、係わらせて頂いた、会社・企業・個人さま、いろいろな兼ね合いから、今、現在は、音信を交わすことがない方々ではあっても、その後の進展また状況は、本当のところ大変気にかかるものです

関係のないかたには、”他山の石”のようなものではありましょうが、国を跨ぐビジネスは、韓国・相手にかぎらず、なかなかに決断する勇気、あるいは、規格の調整等、労力をようする場面も多いからです。

業務のキャリアは11年目を迎えて、今が、いろいろな事案に対応する能力、予見する力も開業時とは、雲泥の差になっておりますが、それ以上に、おためごかし・などではなく、おしなべる事など、ほとんど通用しない、国のちがい・国民性などを凌駕している、全く個々夫々の状態・状況の違い、それに少しでも対応し、良い流れにもっていくことの、一助。それができるか、できないか。

もちろん、私どもは通訳・翻訳サポートをメインとして、業務をさせて頂いている訳ですから、この10年余、ハングルの文字を象形文字として、ネタにしていたような時代から、今では若い方々が、釜山にも少なくない数、留学されていたり、ワーキング・ホリディの多国家が日韓双方ですすみ、海外の語学学校で知り合って、韓国に友達をもって、SNSで日常茶飯事に遣り取りするのが当然といった時代のなかで、早くから、より専門的で、実践的な知見と経験を積み、その経験を実務に落とし込むことを、意識して、これまで仕事をさせて頂きました。

釜山港国際旅客ターミナル

間釜フェリー
釜山から対馬・比田勝

もうかなり、過日となってしまいまいましたが、12月20日、急遽、私どもが使っていた、日本の銀行口座のサービスの変更を失念していたことや、お客様の急な日本への送金の期日が差し迫っていた事の代行の用もあり、海霧煙るなか、ひょんな事から、対馬の比田勝に行くことに、なりました。

福岡に行く途中で、「なんか、アッという間に着くな・・。」という位の感覚で、見ていたので、徹夜あけでしたが、「なんのことは、ないさ。」と、ただ案件の期限が本当にタイトだったので、船が欠航する心配だけして、乗り込みました。日本なら、師走の20日・平日。未来高速社(ジェット・ホィ-ル※
水中翼船 )NINA号、乗員450人、満席 (;゚Д゚)エエー

出航まもなく、ハンドイルカの豪快なダイブの併走がお出迎え、のところ位までがピークでその後は、未曾有の船酔い!?に青色吐息となり、楽勝と思えた、対馬行が、暗転したのでした。

下記のとおり、ここまでカメラを向ける余裕もなく、比田勝湯便局に向かう、道すがら。

1時間半が永遠に思えるほどの苦役と、成り代わり、鄙びたといえば、まさに、その通りの比田勝の港に着いた時には、そのまま運ばれるのを、必死に回避するのが精一杯、トイレで吐いているうちに、入管、手続きは、げれっぱ(これ、北海道弁だ・・最下位の意)に。

総勢、400余のご一行さまは、驚くほど団体のバスに乗り込むこともなく、思い思いに、辺りを散策する、地元のタクシーのご年配の運転手さんと、交渉していたり、そして、若い人も沢山。
フェリー・ターミナルの案内所で、貰った、比田勝観光マップを片手に、突如、船でやってきた外人客たちが、ぞくぞくと、限られた数の、定食の店、寿司店、食堂に入っていきます。

とにかく、使命受けてめざすは、比田勝郵便局。このいわば、国境の・片田舎の街で、果たして、案件をはたすことができるのか。そう思いながら、噂に聞いていた、釜山圏からの対馬に向かう人の、増加の、不思議な?光景を、めまいが覚めやらない頭で、フラフラ歩きながら見ていました。

島では、ここで働く、若い韓国の人も、ぱっと見で、結構いる感じ、単身者向きのアパートらしき建物も。

免税店での、買い物。これは、もちろん合点がいくのですが、結構、若い男の子が、普通のスーパーに入って、でっかいビニール袋一杯に、何か買ってでてくる。※後で、帰りの待合所で、覗いてみると、わさび、カップラーメン、インスタント・ラーメンなどなど、本当に日本の日常品。

ATM等を持つ・コンビ二がない比田勝では、郵便局は頼りの綱なのでしょう、入れ替わり、立ち代わり、お客さんがひきも切らない状態でした。

そんなこんなしているうちに、地図では郵便局を通りすぎている感じだったので、近くのバスの待合所で、郵便局のことを聞くと、すごく親切に教えてくださって、はじめて、ここ日本だなと思ってきました^^。体調の不良などで、ぼっとしてはいけないと、あぶら汗を拭い、気を取り直して、郵便局にはいると、そこは、まさに日本。あっけない位、用事自体は、完了。

ま、そのあとも、帰りのチケットをなくす、※未来高速のお手を煩わせて、事なきを得ました (*´ρ`*) 。その性で滞在3時間半余くらいの中、昼食も、血糖値が落ちるのを防ぐための、コンビ二おにぎりのみ。とか、まったく、一人とんでも珍道中と、なってしまいましたが、百聞は一見にしかず。これを、書いている今も、いろいろな示唆を与えられた気がしています。

もし、対馬の現況や、今、現在、4社が乗り入れ、近々に巨済から乗り入れ航路が増えるという、釜山圏から対馬への高速線乗り入れの経緯のこと等、興味をもたれた方は、下記に関連のリンクをつけて置きます。

https://www.fnn.jp/posts/00331440HDK  海洋経済学者 山田吉彦 氏の、対馬の現況を、描写・考察したレポート。思想や、施策についてよりは、私が見て感じたことを、そのまま的確に、書かれておりましたので。

https://bit.ly/2LKs73B  釜山~対馬~福岡 先行していたJR九州に、後発で高速船運行に乗り出し、現在は、共同運航するまでになった、同社・社長のインタビュー記事。国境の海が、チョッとこれまでと違って、見えてきそうな元気がでるものでしたので。

https://bit.ly/2SuMKn2 「リトレンゴ」という、日本の離島に関連する、とても面白い総合情報サイトより、釜山~対馬のアクセス情報。

https://bit.ly/2F1FFav  「国境の島・対馬へ」と銘打った、対馬観光物産協会 の、ウェブサイト。対馬の情報を総合的に網羅、アクセス情報も提供されています。

https://bit.ly/2TiEW7O 近々にも、開設されそうな、巨済島から対馬への、新航路についての記事。

そうこうしている間に、暦は新年明けて、2日。2019年もまた、新たな時代の胎動というより以上に、激震のような1年になるのではないかと、そんな気がしますし、日韓のことは、相変わらず喧しいことであろうと思います。

そんな中ではあっても、私の廻りでも未来にむかって、前へ歩をすすめている方々を知っています。

自分自身も、傍観者になることなく、スキルを向上させて、新たな視点から、業務にあたっていく所存です。何卒、ご活用のほど、お願いいたします^^。

2019年1月2日 釜山の古刹、 梵魚寺 / ポモサ に、参拝。旧暦の釜山では、初詣の方もいず、澄み渡った青空の下、祈念できました。どうぞ、これを読んで頂いている方の2019年が、格別によいものと、なりますように。 ☆彡 *.:*:.。.: