草食系? & 工場 &暑い夏の名残り

(通訳 カン記)

本当に、暑い夏でした。日本では、いまだ30℃の数字を、散見しますが、皆様、なんとか乗り切っておられますか?

昨日は釜山駅近辺での、短時間のビジネス通訳のあと、来週来られる予定のお客様の件で、水営、広安里、中央洞とリサーチと確認業務をして廻った。

こんな時に、ひょこっと、フックのある店や、人が繰り返し訪れている店などに、実際、入ってみたりする。

広安里ビーチサイド の 本格窯焼きクリスピーピザも 楽しめる イタリアン・レストラン
外国人比率の高まりもあって、洋風インテリアの注文家具工房 の ショールームも ちらほら・・

ところで、先日は久々の、工場だった。何だか、少しく懐かしい光景を、想い出してしまいました。

というのは、昨年の秋から、今年の春の間は、日本でも、韓国でも、知らない人は誰もいない、大手製菓企業の業務提携で、久しく、釜山の郊外の工場へ日参していたからだ。

起業秘密(笑)と思いながら、通い詰めた記念にパチリ・・「うちの機材は、古いから秘密でもなんでもないよ。」と、笑っていってくれた言葉が、うれしかった記憶・・

冬の時期に、アイスの製造。そこでも、日本から派遣されていた、30代そこそこの社員の方が、正月休みもほとんど無い状態で、釜山の街中をほとんど見る暇もなく、夢中になって、-40℃の倉庫にジャンバーも着ないで、韓国の規格と日本の規格の狭間で、へこたれもせず、頑張っていたのを、想い出します。(最後は、昼休みの合間に、バドミントンをして、工場で一番うまい人を、あっさり打ち負かして、女子社員のアイドルになってましたよ。。。)

飛行場の近く、金海に今回、お供した、総合資材商社の端正な出で立ちの、20代後半の若い社員の方も、「この間は、中国でした。上海は、国際都市という感じで、そうでもありませんでしたが、地方の工場のところは、ちょっと、怖かったです。」と、おだやかに、話されていました。でも、その肩には、大きな案件を抱えて。

不思議と、工場づいている私には、錆びた機器群が、想い出だったりします・・・

日本の若い人を・・・いいますが、渡航してこちらで仕事をしにくるような、若い社員の方は、本当に頑張っています。

釜山も、やっと、朝、晩は、涼しい風が吹くようになりました。私も、ビートルにでも乗って、また日本で、美味しい「刺身と天ぷらの盛り合わせ定食」でも食べたいですね。※フェリーターミナルは、日本帰りのツアーの韓国のおばちゃんで、賑やかでした。

次から、次へとできる カフェ・カフェカフェ・・ 釜山では、スタバは、肩なしです(笑)

 

ただの ”おじさん” になってしまった 日

台風15号 の 広安里 海岸(1)

日本にいた頃、そこは北海道だったので、どんなに暑い夏であっても、お盆を過ぎると、本当に不思議なほど、ス~ッと涼やかな一陣の風が、秋の到来を誘うように吹き抜け、それが夏の終焉を告げていた。

でも、ここ釜山は、韓半島の南。九州の対岸。一度、収束しかかった猛暑も、台風一過で息を吹き返したように、真夏日に逆戻り。それでも、もう暦は8月も末日を迎えている。

台風15号 の 広安里 海岸(2)

台風の日は、1日中、すべての報道は台風一色となった韓国。釜山は進路から逸れたが、それでも余波で、ビートルも飛行機も運休した。招かざる休日。

台風のまえの、雲たなびく、NZの空のような 広安里ビーチ
台風前の 広安里ビーチ (2)

 

台風前の 広安里ビーチ(3) 昼も夜も 趣向をこらしたアトラクションで、盛り上がる

世界を、夜、昼となく、飛び回るバイヤーのお客様から、「韓国、色々・大丈夫ですか?」とメールがあった。そのひとは、それこそ、仕事になるなら、戦乱の地を厭わず、物資調達に向かう人だけに、その文字の裏に潜む緊張と、真摯さを想い、恐縮した。

海雲台の 夕暮れ 前

この間も、台風を含めてキャンセルが続く中で、日本での飲食店開業のため、釜山の店をリサーチに来られた、オーナーと建築デザイナーの方がおられた。これまでも、そういう方を幾人もご案内したが、少しでも参考になるならと、海を越えてリサーチに来られる気概に感じ入った。やはり、これまでも素晴らしいコンセプトを形にされてきた方だと、お名刺に小さく刻まれているurlより、確認する事ができた。”喜助デザイン

現代と、サムソンが牽引しているように見えても、その国のブランドを決するのは、そればかりではない筈なのだ。どこから、どんな弾が飛んでくるかわからない、Web3.0と呼ばれている現況の中で、誰が何に踊らされているかだけは、立場上、きっちり把握せねばと、痛感した一連のできごとで、あります。

ところで、韓国グルメ。ひとつだけ、アドバイス。韓国に来て、焼肉を食べるのは勿論、大変結構ですが、本当に、滋味溢れる「韓定食」を食べたいなら、まず、チェーン店には入らないこと。

結構、暴論かもしれません。でも、自分達が繰り返し使うのは、やっぱり、今では無数にあるWeb上の情報に乗らない、小体な、家族で、または料理の上手なおばちゃんが家庭料理のように、さりげなく、しかも本当に低価格でふるまう、韓定食の食堂。

写真では、わからず、食べたら納得。海雲台SAVEゾーンそばの食堂の「韓定食」の佇まい

色々あった時に、広安里に行くのは、明るいビーチなのもさることながら、行きつけの、腰の曲がった、ハルモニがやっている、韓定食の店で、ジョンゴルやチゲを食べるためでもある。序々に韓国本来の味わいを感じられる店が、少なくなる中で、そういう店を発見できた時の嬉しさは、チョッとした僥倖なんです。。

取り合えず、現状として、釜山に御用のかたは、ひとまず、安心してお越しください。

通度寺(トンドサ)の弥勒菩薩さま ”日韓は 本当しゃあないなぁ・・・”

2012年 ハイ・シーズン直前の 海の街” 釜山” より

 

途中では、貨物取扱い量・世界5位の釜山の コンテナ集積地なども 見る

本当に、時間が経つのは、アッという間。既に、6月も過ぎ、7月も半ばを迎えようとしている。

それでもソウルや内陸のテグなどが、軒並み30℃を越える中、ここ海の街は湿気こそ、モアッと

してきたが、海風もあり、まだ時に涼やかな夕べを迎えることも、多い。

 

先々週の日曜日には、近代五種で日本から、初めて女子選手として出場する、黒須成美選手の情熱大陸も、無事、日本で放映されたようで、釜山の鬼コーチ(笑)のインタビューに、影島(ヨンド)の体育学校まで、覇気のあるプロデューサーの方と伺った事を、思い出したりしました。

震災で、勇躍、拠点を釜山に移し、慣れない外国でハードなトレーニングを黙々と、こなす”黒須成美”さん。頑張れ~!!黒須成美選手・略歴

ここしばらくは、ある自治体の観光担当の方を伴って、釜山から、昨今、国際音楽祭の主催や南海岸観光の主要地として人気が上がっている、統営(トンニョン)へ事前視察の為、金海空港から、沙上(ササン)にある、新装なった西部バスターミナルより、高速バスで赴むいたり、釜山のセンタムでの、コンベンションに来られる日本の企業の方とのお仕事が、続きました。

閑山大捷祭りにも、使われる、亀甲船
毎週のように、お客様を伴っていく、センタム・シティー。コンベンション・センターの真横にオペラも上演できる公会堂も設置され、こけら落としは、イタリアから招聘。

今年は、LCC(格安航空)元年と言われている。以前、このブログにも残していますが、

LCCは釜山の商工会議所とアシアナが連携した、エア・プサンや、観光客が引きも切らない済州島を起点とするチェジュ空港等、稼働率も好調で、軒並み日本からの便も増便、あるいは他の航空会社の提携で、信頼感も増しているようです。

確かに、過日、ピーチから釜山行のアシアナに乗った時は、「あ~、普通に足を折り曲げられる。」(笑)「普通に機内サービスが受けられる。」と、安堵した訳ですが、一転リピートはと言えば、価格や、一度慣れればネットからも簡単に手続きができる利便性で、一気に定着する事は、間違いないでしょう。

そうなれば、陸路とでは、アクセス・タイムは問題になりません。どんなに、ネット社会で便利になったといえ、やはり人が足を運ばなければならない、観光、そしてビジネスの現場。

統営の港に、停泊展示している、亀甲船内の、李舜臣像
モーター・ショウ会場での、一コマ(サムソン・ルノーのブースだったかな・・)

関空だけでなく、成田からも10月にはエア・アジアが釜山直行を飛ばします。価格のみならず、時間も国内外のラグが、なくなる事でしょう。この3年でビーチが織りなし、山海の食材に恵まれ、天変地異の被害の少ない、釜山は、”インフラが整備されれば・・・”と、申していたのですが、かなりの所にまで、環境を整備してくれました。

今頃、釜山・モーター・ショウの画像・・・備忘ですから。。トヨタのブースより

 

バスの展示も ここでは仕事柄、バスに乗ることも多いので、じっくり見てしまった・・

 

オン・シーズン直前の、広安里ビーチ

これからは、釜山から、海洋EXPOを開催している麗水も含めた、南海等への遠征も多くなりそうです。どうぞ、ハイ・シーズンで、ホテル等の確保が大変なお客様も、ご遠慮なくお問い合わせください。ハイ・シーズンの釜山の活気、圧巻ですよ。。

釜山の海の幸を、供ずる沿岸漁の漁船と、ITパークを擁する
センタム・シティーの絶妙な釜山ならではの、コントラスト

 

 

2012年 春から 初夏へ  釜山は、かまのやま

2月の福岡の、太宰府 にて
関空 釜山から、LCC・ピーチに乗り換えて、千歳行の途中で
4月上旬の札幌・中島公園。大阪は、20度越えで、札幌は吹雪だった・・
大阪 心斎橋・難波の近くが、宿。束の間・散策。。

5月も、後半を迎えました。今年に入ってから、慌ただしくではありましたが、福岡、大阪に2度、遠く札幌に出向く機会が、ありました。すべて、仕事絡みの束の間でしたが、毎日、ここで色々な方と相対しながら日々考えてきた事を、確認するに良い機会でもありました。

これまでの、仕事が一段落して、さてこれから、また、新たな一歩。

本日は、釜山での市場調査に来られた方の同行通訳のあと、影島の太宗台へ、ミニ観光。

影島へ渡る橋から 海の街 数々の入江が続く 釜山ならでは

釜山は、造船の街 影島のドックで、竣工を待つ船舶。
お椀を被せたような山が点在する、だから、”釜山”。中腹まで、びっしり家屋が軒を連なる

 

締めは、海の街、圧巻・海鮮鍋(ヘムルタン)

長く、新たな、挑戦のはじまり・・

海運台 冬柏公園の 人魚の像

3月11日の、信じられないできごとから、何日が経過したのだろうか。急な仕事が入り、徹夜続きの目に、ニュース速報が入ってきた時は、冗談としか思えなかった。其の後、ここ韓国でも、言葉にもならない、いやこんな姿の日本を、想像だにできない姿の被災地の光景を、終日、放映する日々が続いた。

釜山港や、金海空港からも、日本語で「がんばれ日本」の横断幕を張ったコンテイナーや、物資を格納した貨物が、出立していった。韓国の現代史の中では、異例の光景だと、当局のカンも何度も、驚いていたが、2000年から始まった、韓国と日本との交流促進の過程で、確執がありながらも、厳然と、人や物が行き交った証だと、隔世の感も感じつつ、浮き足だった毎日が続いた。

住む家を失い、昨日まで日常を傍らで共にしてきた伴侶や、子供や親を突然に失い、寒さにうち震え、失くした生活の痕跡を求めて彷徨う人の姿には、大災害を前に先進国も、途上国もない、痛切なリアルと無常をいやが上にも、突きつけられた。その間も、お客様を伴って、海運台や松亭などの、春のビーチを案内しながら、沢山の人々が集う、和やかな波濤と、被災地の映像のギャップに、混乱を禁じえなかった。

日本の災害から1週間後の日曜日、海運台ビーチに憩う人々

今、現在も日本からの避難の為もあって、ここ釜山は小さなモーテルに到るまで、お客様でいっぱいらしい。殊に、ビーチやセンタムの新世界デパート等も、それらしい日本からの外国の人で、にぎわっている。苦肉ではあるが、そんな状況下の中だけに、日本に1番近い外国として、釜山を活用して頂けるのなら、非力な、半島に住む日本人としては、一時の休息の場として英気を養って頂くのを祈るのみである。

信じられぬかもしれぬが、今回の日本の災害は、これまでにないインパクトで、韓国のひとに、捉えられている。もはや、国の枠、云々ではなく、まして、日本だけに起こりうる事案ではない、というのが、心ある韓国のひとの本音ではないだろうか。

自粛は、平時にある人間の役割として、須らく、讃えられるものではないけれども、震災間もなく、釜山近郊の機張の漁港で、永きに渡って続いている、伝統のいわし祭りも、今回の日本の震災で早々にとり止めになった。「同じ、海を糧に生きてきた漁港の街の多くが、あれほどの被害にあった中で、祭りなどできぬ。」と、古老の人達が暗黙のうちに瞬時に、決したそうだ。

昨日立ち寄った、釜山の繁華街西面の、2大書店、栄光図書や教保文庫でも、ここ最近ではないほどの、多くの、年代の端正な眼差しをされた方々が、熱心に日本語の学習書を、選んでいた。

昨年は、北朝鮮に撃沈された天安の喪に服す為に、春の慶尚南道の桜に纏わる祭りは自粛されたが、今年は執り行われるだろう。今、現在は木蓮の白い花が、これからこの市中を埋め尽くす、雲海のような街路樹の桜の露払いのように、咲き誇っている。

 

震災から、ずっと頭の片隅で渦のようにちらついていた、自分達の、第2の故郷ともいうべき、北海道の北・オホーツク、流氷の海の街・紋別。そのながきに渡り、地域の人々にも愛されている地方紙のウェブサイトを覗くと、言行一致で新参者を支援してこられ、国内外を飛び回っておられた(る)デスクのコラムが、日本の中でも地震や天災の少ないところとして、震災した方々の受け入れの準備をすすめよと、力を込めて提言されていた。既に、数組の被災地のご家族が、ほど近い、芝桜観光で有名な滝上という街に入られたそうだ。海の物、山の物に恵まれ、食料自給率200%と言われる北海道の中でも、本当に格別の素材を提供する場所である。

話が逸れてしまったが、そこに住んでいた自分達が良く知り、本当に懐かしく、かけがえのない素晴らしいエリアである。被災地のみならず、今、現在、国難ともいうべき危機のなかで、安全で環境のよい場所をもとめている方がおられるなら、一度、検討に加われてみるのも、いかがかと思う。私たちのような、日韓の夫婦も陰に日向に支えてくださった、多くの、心あるかたの、おられるエリアである。

単に、東北が危ない、東京は・・とかいう状況ではなく、まちがいなく、新たな価値観で生きる場所を、生き方を選ぶ時が、来ていることを、ここにいても、強く感じてしまう。日本は、せまいようで、ここ韓国から見れば4倍強の国土がある。

自己主張も、声も、大きく、「隙間があれば前に、突っ込む」(笑)という半島の風土の中で、言葉はうまくならないのに、ぶつかり合いで鍛えられ、韓国のひとの機微や、優しさ、それは、日本のひとの気配りや、優しさとはまた違うけれども、困難な歴史が培ったコリアン独特の気質。それが、皮膚でわかり始めた今だから、こそ、あえて、国外からの買収だ侵略だということの前に、日本を日本人が、広く使って欲しい・・。

死者不明者が、2万7000人を越えたという。「たちあがろう・日本」の掛け声。本当に、沢山の国内外からの懸命の応援が続いているのを、見る。それでも最後は、被災を乗り越えるのは、一人・一人違う状況の中で、徒手空拳で活路を見出す、ものなのであると思う。政治や国体も大切だが、人間のもつ直感や、意志や集中力や忍耐力が導きだす、知恵みたいなもの。そして、体力。そう体力。