今が、穴場か!初冬の釜山

先週、 梁山[ヤンサン] の釜山大学病院にいった時に、漢方病院の受付にあったパンフレット。市中にも、夥しい数の韓方医院があったりしますが、韓流のほかにも、探せば、まだまだ、掘り出し物があったりするかも。

もう既に、日を股いたので2日ですが、2019年も12月を迎えました。この一年に関して言えば、公私とも本当に色々な事があった1年でしたし、イメージとして、負の要素に目が行きがちな年でもありました。

時が立つことの速さを感じるのは、甥っ子達を見ていれば、一目瞭然なのですが、皆、それぞれ職業人になり、カフェの開業をめざして、パンを焼いたり、バリスタとして腕を磨いていたり、歯科技工士として、家にまで持ち帰って施工したり、原発の公社で課長として責務をこなしていたり、ソフトの開発会社でプログラマーのキャリアを歩んでいたり、役場の非常勤で勤めながら、音楽の大学に行って音楽関係の仕事を目指したり、みんな頑張っているなと、折あるたびに思ったりします。

色々なことがありながら、日本も韓国も、その経緯にそれぞれの国柄の違いこそあれ、驚くほど似てきている環境 (モード) ではないかと、フッと思ってしまいました。

この間、同行した結婚式からの一コマ。20年、言葉が通じないのに、交流を続けて、中学生時代に一ヶ月、日本でも預かったという新郎のかたの結婚式に列席するのに、当方をご利用下さったそうです。
新郎さんは、ソウルの方だそうですが、奥さんの地元の釜山で式を挙げられて、そのため、大挙して友人の方が釜山に来られたので、その段取りで、大変だったとか。(笑)

船も、空路も、かなり減便してしまいましたが、長い歴史のなかでは、これもまた、過渡期といえるのかもしれません。上載の結婚式の同行通訳で、西面の西鉄ソラリアホテルにお迎えに行った時も、思いのほか、沢山の日本の方がおられました。

釜山に限ったことではないですが、今がまさに、釜山もカフェブームまっさかり、また、お店のアイテムもインテリアも、北欧スタイルが定番になり、シックでお洒落な店が、連なるようになりましたから、釜山にも長期滞在は別にして、航空券も安い今時期、ふらっと来られて見ても良いのでは。

久しぶりで行った、 通度寺(トンドサ
もう、初冬の風情です。
相変わらず、整然とした佇まいですが、この写真ではわかりませんが、この日も平日なのに、駐車場はびっちり、今も信仰が息づく、”生きている”名刹の面目躍如 です。

日本から見て、韓国という国は不可解なこと、或いは、不快なことも多々(笑)あるところかと思いますが、一番近くで外から自国を省みるということでは、それはそれで気づきがあったりも、できるかと。

そんな小難しいことは、抜きにして、まだ若干・円が強いうちに、実際には日本の方が、極めて、使い安く、ショッピングも楽しく、美味しいものも結構ある、釜山(韓国)へどうぞ、お運びあれ。

全然関係ないですが・・もう、札幌は雪の世界なんだろうな・・。

在来市場では、貝類もこんなに、てんこ盛り。

結婚式のあと、ご依頼人さまのリクエストで、ふぐのお店へ。なんともいっても、ここは、下関の対岸。魚介の宝庫^^。

光復路 ロッテデパート屋上からの、影島(ヨンド)の夜景。

釜山の桜は、これからが、本番^^

東莱温泉場にいたる 河川敷 市民公園の 5分咲きの 桜

もう、3月も本当に終わり。実に、早いです。とか、言っている間に、暦は4月に変わっていました。

最近、街で軍服を着る若者が、不思議と目に映るようになっていました。徴兵制の国では、あたりまえの光景なのですが、軍服を着ていても、あどけないとも言える普通の若者。それだけに、沈没した軍艦に兵役の若者が乗っていないければなと、思ってしまった。映画「iris」を地でいく状況を抱える、この国の現実を肌で感じる刹那です。

ところで、この釜山にも夥しいほどの桜の樹木が、植えられています。この近くでは、鎮海(チネ)というところの桜祭りが有名ですが、この市民公園も、高層マンションと、桜花のコントラストでなんとも贅沢な風情になります。日本人が、半島で、めでる桜です。

3月29日 の 通度寺の 一景

近郊のお寺の風情も、一段と彩られます。エネルギッシュに生きている、この慶尚南道の人達が、憩う場所でもあります。

通度寺 の 名物 の全自家製 山菜 の ビビンパプ 彩りも、味もとてもセンスが いいです

釜山の桜、これからが、本番です。

釜山でお昼を・・

通度寺の入り口。

2010年も、3月も半ばを過ぎた。今日は、ひさびさに、釜山も晴れ渡った。もうすぐ、桜が咲く時期なのである。その割には、まだ街行く人の装いも、春って気がしない。今頃、日本でも新しい年度に向けて、人の往来が激しくなる頃だろう。3月29日は、日本の父親の3回忌になる、由あり日本ではお詣りできないが、その日は父親も気に入ったであろう・通度寺(トンドサ)へ行こうと思う。その頃は、釜山の桜の花は、何分咲きだろう。

2009年の金剛山公園の桜と、昔の韓屋

このブログを縁あり、読んで頂いている方も、転勤や新天地へ行かれる方も多いと思われます。今日は、脱線してそんなお忙しい中で、ちょっと一息できる、釜山や韓国の旅に関しての面白いHPを、2点紹介させて頂ます。まずは、釜山を味わうという意味では、何といっても、釜山でお昼を・・を、はずせません。このHPを見つけた時、タイトな日韓関係の言説が多い、webの世界で、こんな風に、ほっくりと、釜山を取り入れることもできるのかと、有難い気持ち(笑)になりました。あぁ、こんなライフ・ワークいいなぁ・・と、ホント思ってしまいました。もうひとつは、旅行のページというHPの中の、韓国旅行記なんですが、気負いなくでも、ホント旅が好きなんだなって感じがいいんです。文章も洒脱で・・。でも、ほんとの釜山エリアって、こんなとこかもしれませんね^^。

韓食を求めて・・

”下記のへジャンククではなく、タラを使ったもの” 南浦洞の韓食店にて。

いつの間にか、あっという間に、バンクーバー五輪が行われている。韓国の選手は、大健闘しているのだが・・。案外、冬季の五輪の性か、まわりは、淡白なリアクション。やっと、連日の金で、少し盛り上がってきた感じ。(SBSが放映権を独占して、KBSもMBCも放映できない上、その演出が、チョットばかり?しょぼいのにも一因が・・。ワールド・ベースボールリーグ時の方が、全然盛り上がっていたなぁ。)

ショートトラックの接近戦での強さは、韓国の”ミリ単位で見切る”車の運転を彷彿とさせるし、5000メートルでの最後まで垂れないスタミナは、韓国のスタミナ食の賜物のようにも、感じる。とにかく、アジアではパワフルで通っていたが、体躯の飛躍的な向上と、期を同じくして、世界レベルで炸裂しているのは興味深い。

街中でも、背の大きくないアジョマが、他のヒトはお構いなしにぶつかり、大声で話すのに較べて、背が一段と高い若い大学生位の、殊に、男の子達は、すれ違ってもさっと身をかわすし、ちょっと言葉をかわしても、なかなかスマートで、親切。アジアも、どんどん変わっていることを、裏打ちされた気もしました。あ・・また、横道にそれちゃった。

ところで、釜山近郊の、海浜観光への個人旅行の起点でもある、西部バスターミナルのある沙上(ササン)に、昨日行った折、ふと小さなへジャンククのお店が目に付いた。一見のお客ではなく、いかにも食べつけてると言った風情の近隣のオフィス?の制服を来た一団が、ぞろっと入って行った。

唐突だけれど、韓国料理の魅力は、見た目の繊細よりも、食べた後に感じる、体の奥からじわじわと、沸き起こってくる滋味に、その真骨頂があると思っている。それなのに、釜山に来て以来、オモニがたまに振舞ってくれる家庭料理を除いては、どこで食べても??がつく事が、自分に中では多かった。

間違えてもらっては困るのだけど、決して、普通に、釜山は,食のまずしい街ではない。それどころか、街に食材は溢れかえっていて、食材のバリエーションも市場を覘くまでもなく、海のもの、山のものとも豊富で、メニューのアイデアには事欠かない。イタリアンのレストランなどは、極めて食材を調達しやすいだろう。

でも、ここは、韓国。陰陽五行で彩られた韓食を食べたいじゃないですか^^。海外の韓国レストランで、韓食の魅力にはまり、日本にいる時から、韓国料理の滋養とその効用を説いてきた身(笑)には、期待が大きすぎるのが、その要因だとは解っている。それでも、とにかく、理屈ではなく確信が欲しい。。

そんな中、その食堂のへジャンククの色を見た時、「来た~」と思った。財閥系が元締めのチェーン店が多くなり、ソウルの特級ホテルのレストランから、”韓食のレストランが消えた”なんて記事もいつぞやかは、見た。経営の観点から、価格をあげられず、利益率の点で、イタリアンや日本食のレストランが増えているような話は耳にするし、現に、そのとおりの状況を眼にもしている。

で、そのへジャンクク・軽めのテンジャン(韓国味噌)で味付けされた、髄からのエキスの深いコクと、抜けのいい喉越しは、その店の仕事が、手抜きのないプライドのあるものである事が窺われた。やっぱり、この一仕事の違いが、韓食に限らないかもしれないが、「カムサ(感謝)」というか、食文化に繋がっていくのだ・・と、勝手にひとりごちて、最後の一滴までしっかりと夢中で、味わった。

通度寺(トンドサ)への道すがら

オリンピック中継を見る暇はなく、今日は、釜山近郊の韓国3大名刹のひとつ、通度寺(トンドサ)に下見に行って来た。(報告は、後日^^)前の晩、永らく透析治療を受けながら、厳しい闘病を続けている、義兄が一時、昏睡状態に陥って、救急病院へ駆けつけた翌日。寺院の厳かな本堂で、久方ぶりに、その平癒とこれまで自分達を支えてくれた方々の顔を思い出しながら、3帰の礼で仏舎利が安置されていという異国のお寺で膝まづいた。堂を吹き抜ける風は、久方ぶりに、懐かしいオホーツクでの、まだ大変ながらも、日本の家族と、心ある人達と紡いでいた日々を想い起こさせた。

韓国、釜山。数奇な運命でここに来たけれど、縁なくしてはここにいないのだから。ここに来る、日本の方にも、少しでも、元気になって帰ってもらいたい。

老圃洞(ノポドン)バスターミナルの食堂

帰り際、以前から眼をつけていた、老圃洞(ノポドン)のバスターミナルにある食堂に、入った。コクのあるキムチ鍋。だんだん、当たりがよくなってきたと、気持ちを震い起こした。TVの下に流れる、小さなテロップには、ハングルまじりで、「スキージャンプ予選で、日本の葛西が142.5m」と流れていた。彼もまた、北海道人だ。