釜山から、札幌に、荷物を送ってみた、結果。

釜山は、四方八方、山に囲まれているため、市場にはとれたての山菜が、やまのようにならべられます。たらの芽をてんぷらにして、何度も食べました。
フルーツも、いつ行っても、ふんだんに、盛られています。

2020年も、5月を迎えました。そのせいか、気温が一気に、あがってきました。そんな中、北・鮮の首領さまの動向、コロナ禍での経済ダメージ等、考えれば頭が痛いことは、ヤマのようにありますが、新規感染者の数が一桁にとどまってきました。

それを受けて、ここ釜山はじょじょに正常化への気分が、醸成されてきているように、感じております。

ところで、先回お話した札幌への荷物が、本日、無事届いたと連絡がありました。その間の行程は、以下のとおりです。

釜山の東莱郵便局から、EMSで発送して、札幌にまる1週間で到着しました^^。

はじめは、窓口やネット内でも、かなりの遅延(最大一ヶ月、窓口では2週間位)を伝え聞いたり、飛行機も、船も大減便、もしくは運航停止している現状では、仕方ないと、思っていたところのスムーズな配送に、とてもありがたい気持ちになりました。  

と同時に、現在、今後のことはわかりませんが、韓国、少なくともここ釜山では、生活物資の供給が滞ったり、外での活動の制約は、大変、少なくなっているのが、現況です。

現在、公私の要件でやりとりをする中で、札幌でも、東京でも、生活や経済活動が制約され、私の関係だけでも、本当に難儀をされている状況なのを、伝えききます。

曲がりなりにも、ここまで、私どもは、日韓の間の仲介、中継を業務として行って参りました。何分にも、私どもは、韓国第2の都市におり、近くには物資が溢れている市場も、有しています。

そのため、荷物が配送される地域に限りますが、ネット上だけでなく、市場等に直接出向いて、買い付け、EMSで配送することを低料金でさせて頂きます。

もし、何かご用命がありましたら、本当に気軽にお問い合わせください。

私ども、韓国も、余裕のある状況とは言えませんが、ダイレクトにコロナ禍の被害を受けておられる中で、自分の家族、友人、知人の事はもちろんですが、何かできることがないか、ただ単に、悲観論や楽観論を吹聴されても、目の前の事実にこそ対応していかねばならない事が、普通の人々の現実です。

どうぞ、お問い合わせください。

当局・お問い合わせフォーム

とにかく、今は、早く、コロナ自体の恐怖、または、コロナ禍で逼迫する心や身体や、経済が、状況が改善する事を切に、願っております。

これまで、あまり踏み入れた事のなかった、釜田市場に隣接する、楽器や音響製品の、市場?。
あらゆる楽器や、音響アイテムが、ところせましと。陳列。
注文制作もしている、アコースティックギター・ショップ。

                                

コロナ禍の中の”兄の死”と受け継がれたバトン。

2020 4月17日の、釜山、海運台ビーチ。
コロナ禍の中、家族葬で、見送りました。カン ビョンオン 享年、57歳。

皆さん、お元気でしょうか?

私が、そうであったように、沢山の方が、身動きがとれなかったり、ライフラインの防衛も困難な中、未曽有の事態に、懸命に相対されておられる事と存じます。

ところで、私ごとですが、過日、長患いしていた兄が、釜山からソウルに赴き、心臓では国内でもトップレベルだと言われている病院で、10時間におよぶ手術の後、ICUでの8日間での面会謝絶の後、一気に予後不良の報を受け、ソウルの姉の家に待機していた他の家族と共に、変わり果てた姿で再会し、悲しむ暇もなく、釜山まで遺体を搬送し、つい過日、葬儀やその後の儀礼を終えて、その備忘に、これを書いているところです。

左端が、喪主を務めた、兄の長男、並んでいるのは、仲の良い姉のところの、兄弟。今回も、女の子を加えた、成長した甥っ子、姪っ子たち6人、本当に、頑張って葬儀を支えてくれました。

もともと、兄は活発な性格で、若い時は、現代自動車の敏腕・営業マンで、韓国のお国柄、家では跡取り息子ということもあり、姉2人に依れば、「オモニもアボジも、兄さんには甘かった、私たちと待遇が違った。」といまでも、口についてでるほど、期待されていたそうです。

私は、マンネ(末っ子)でしたので、いつも「マンネが、キャーキャーしてる。」とか、からかわれたり、頬っぺたをつねられてたりしてました。

しかし、若年性の糖尿病を患ってから、人生が暗転して、ながらく、透析をしながら、辛い闘病生活を送ってきました。今思えば、そんな兄の辛さや我慢強さを、私は半分も、理解していなかったと、思います。

出棺の折も、甥っ子の友達が、朝早くから控えていて、しっかりと、棺を運んで、くれました。コロナ禍のなかの、友達の親の葬儀に、必死になって駆け付けてくれた若い方たちの姿を見て、若い人たちに、きちんと、大事なものを紡いでいく心が育まれていることを、知りました

兄は成長した子供達と、もっと長く過ごしたいと思ったのでしょう、このコロナ禍のなか、プサンの病院ではリスクが高く手術できないと言われたオペに臨みましたが、その願いは叶えられることは、ありませんでした。

でも、今、韓国も日本同様、大変な過渡期で若い人にも、楽な時代ではありません。そのなかで、小さい時に、母親と離別し、おじいさん(私の父)、おばあさん(私の母)と、そして闘病の父親と、みんなが頑張ってきて、立派に育った喪主を務めた、甥っ子・姪っ子を見て、また、それぞれの沢山の友達が異常事態の状況下のなか、遠くから、駆け付けてきてくれて、肩を抱き合っているのを見て、兄もどんなに喜んだことだろうと、思いました。

本当のところは、病院に対する憤りや無念さも、ありましたが、まだ若くして死んだ兄に、不詳の妹ができることは、兄さんの分まで、しっかりと生きていくことだと、思った次第です。

釜田市場に、買い出しにきている人々。
人がびっちりで、びっくりした週末の、広安里ビーチ。

話は変わりますが、今日、2020年4月20日、現状、韓国では医療崩壊はおきておらず、また、物資の買い占めによる混乱、また、食料の入手の困難さなどは、おきていません。

さきの選挙で、政権を掌握した与党は、5月よりは、コロナの防疫は続けつつ、本格的な経済の正常化にシフトすると、言っています。

今現在、日本から韓国への渡航は、韓国への入国ビザを取って、入国した後、24時間以内に病院で検査を受け、陰性判定の後、2週間指定、確定した場所で軟禁され、というところですが、下にその体験をされた、西日本新聞の方が記事を書かれておられるので、参考にされてください。

韓国釜山渡航の、最新・体験情報。※入国、および、入国後の実態について。

また、日本で受けるのが難しいと、言われている、コロナの判定検査で、キットを扱っている情報が、それなりに信頼できる筋が入りましたので、参考までにシェアさせて頂きます。※わたしどもに、利害のある案件ではありませんし、私ども自身で確認したものではないので、そこのところは、ご了承ください。

コロナの検査キット 。

マスクについては、通販を使いますと、韓国のほうが入手はし易いみたいですが、価格は汎用性商品が、50枚入りで、5000円弱位です。

大変な状況下であり、人のことを言えたギリではないですが、精一杯工夫して、この事態を乗り越えましょう^^。

広安里漁港、突端からみる、トンベク、 マリンシティ 。
広安里ビーチ界隈も、新築マンションの建設ラッシュです。

激動・混沌それでも、もう12月は、そこまで・・・。

激動の2019年 それでも、師走を迎えようとする、光復路は、クリスマスモードの飾りつけ、金曜の夜、人手大勢。
この飾りつけも、恒例のものとして、定着してきました^^。

本当に、色々な事がありました。それは、公私に渡ってでは、ありますが、韓国の東の南、九州ともさほど離れていない、ここ釜山も、この街の成り立ちなどは、度外視されてか、また、当然のことなのか、時計を逆廻り、にされるような感覚に飲み込まれていくような年(2019)。

知らないうちに、札幌(北海道)名物、スープカレーのお店、出現。

”覆水盆に返らず”そんな言葉だって、空しく響く、いやもう、とうの昔に諦めて、ミスリードされないぞと思ってきた人々を愚弄するように、これでもかと乱舞する人達が、大手をふる光景を、腹一杯見てきました。

このブログの巻末に、10月の初旬頃書いて、掲載しなかった投稿を、備忘の意味で付記しましたが、今でも気持ちは、その時と、何も変わりません。それにしても、不真面目な、不条理さが満面な世界になった気がしてしまいます。

でも、ちょっと嬉しかったのは、恒例となった月壱、対馬詣でで、23日(土)本当に、暫くぶりで、釜山からの乗船客が、一杯になっていたこと。※(土・日)ということも、あったでしょうが・・。

2019 11月23日(土)国際フェリー・ターミナルから、見た、朝焼け
今回は、オーシャン・フラワー号
大亜高速海運 。中は古いがこの船、波にも強く、そして、本当に速い今は未来高速のNINA号と、日替わり運行。
ひさびさに戻った、韓国客を歓迎する、
対馬(比田勝)の有志の方々。
たった50キロしか、離れていないのに、空気は澄み、海も綺麗なのは、一目瞭然。釣りは、無論のこと、都市の喧騒を暫し逃れて、プチリトリートなども、魅力なのかな。
元寇の時に、対馬を守るために、戦った方も
合祀されている豊崎神社で、祈念してきました。
祀られている神々と偉人について、書かれていました。

今回の顛末も、訳のわからない事だらけですが、それでも、最悪な事態を、いったんは、回避したというのが、現場にいる人間としての、認識です。今回、ブログをあげさせて頂きましたのも、現場にいる眼から、流れが変わってきたことを、少し経過を見ておりましたが、感じるからです。※以前のブログで、「私どもの利害に関係なく、こちらに来られることのリスクを担保できないときは、そのように書く。」といったことへの、回答です。


松島ビーチの袂。松島・海上ケーブルカー 乗り場。
釜山港に停泊する船舶群と、釜山の街並み、松島ビーチを、一望できます。ビーチサイドに、ホテルやオフィステルも、続々開業していますし、刺身や海鮮鍋のお店、もちろん、カフェも充実しています。

松島・海上ケーブルカ ー乗り場付近の風景
偶然、海難除けの為に、 韓国ムダン(巫女)の 方が、
儀式をされていました。
刺身や海鮮鍋の店が立ち並ぶ、粋のいい魚が水槽に満載。
ケーブルカー乗り場には、大橋やポートの景色を一望できるカフェや、フードコート、レストランが併設されていて、穴場なスポット。
新しいホテルも、続々・建設中、チャガルチからも、10分内外、なかなかのビーチ・エリアに、成長しています。(笑)

今日は、今の時間帯はまだ、ひさしぶりの同行通訳で、BEXCOでの結婚式に、釜山にお見えになられた方の、お供をさせてもらっているはずです。御めでたい席で、運気にあやかりたい、ところです。

釜山といえば、海鮮。市場に、海の幸が満載。
釜田市場 にて
乾き物から、鮮魚まで、めじろおし。

これ以降は、2019年、9月頃に書いて、掲載しなかったものです。今は、もうこの時とは、スタンスも気持ちも、また現実の状況も、数歩先へと進んでおりますが、あくまでも、この仕事をしてきた備忘録なので、載せることにしました。

釜山・南浦エリア、 影島大橋 。毎日午後2時の一度だけ、跳ね橋が上がります。 これは、ロッテデパート・光復路店の屋上から。

日本と韓国の仲介に係わる、それは、一筋縄ではいかない歴史や立場の違いを踏まえるといった意味で、生半可ではできないと、この仕事をはじめた時からの、認識でした。そして、そのとおり、いやそれ以上の色々な事どもが、このたった12年余りでもありました。

新世界センタム・シティモールにある、
Momos Coffee 店内

先週、3ヶ月ぶりに、対馬に行ってきました。もちろん、今どうなっているんだろう、などという好奇心などからではなく、業務に関する手続きをする為だったのですが、釜山側の国際フェリー・ターミナルの閑散。ここしばらく、見たことがなかった、静かな比田勝の佇まい。

閑散とした、対馬・比田勝フェリー・ターミナル2019 10 29
曇天・確か、台風直下だった、比田勝の町並み。

かたや、釜山市中の、津々浦々のスーパー・マーケット、コンビニの棚。その製品が、または会社が、不祥事を起こした訳でもなく、商品がいいから人が喜んで購買していたビールや、長い年月をかけて構築してきて、やっと日の目を見た商品が、一掃されています。

こんな間でも、生業として業務として、日本と韓国で取引きは続いております。皆さん、ビジネスマンですので、滅多に泣き言などはおっしゃりませんが、私どもをお使い下さっている会社ですから、韓国の会社の場合、日本の製品を韓国に頒布するのに、汗を流してきたのですから、存亡をかけての闘いが続いています。

色々な記事を読むなかで、ひとつだけ、いつも疑問なのは、「このご時勢なんだから、営利のことは、二の次にして・・。」とかいうくだりが、まことしやかに踊るのですが、??????。営利が、二の次って、それを言う、書く方々は、人(生き物)じゃないんですか。ご自身は、ご飯を食べないんですか、家に住まわれないんですか、疲れたらちょっと温泉入ったり、病気したら病院にいかないんですか・・営利とは、すばわち”生活”の事じゃないんでしょうか。

それが、二の次って、・おかしいんじゃないのかな。

すいません。(謝)ブログの主旨から、遠ざかってしまいました。が、それぐらい、この半年来起こっている事に際して、怒りを通り越して、寂しさがこみ上げてくる時が、チョッとありました。この業務に於いても、多岐のことに係わってきましたから。

朝鮮半島と、日本の交流の歴史を本に書かれている、作家・ジャーナリスト・研究家の方の調査のサポート、個人のルーツを辿りに、日本から韓国の身寄りを訪ねて来られた、少なくないかたの軌跡を辿る旅、ご先祖さまの、墓を探すための、同行。

そんな中で、2019年リアルタイムの韓国と、図らずも、これまで周辺の国との交流(興亡)、また現在のこの国の営みがどんな経緯でなってきたのか、意識して感じ、確認するようになっていきました。

あまりにも、ネットで散見する所感が、観念的で、或いは岡目八目とは申せ、ここに、実際に、住まわれたこともないような方が、堂々と、まるでそれが真実だと簡単に断言されるし、事実はどうでもよくて、流布されるまたは曲解される言説によって、どの位の人の日常が破壊されるか、考えもしないのだろうな、という恐怖。

何かを構築していくことは、難しく、時間もかかり学習も必要なのに、破壊というのはかくも短く一気に進むもののようだ。

日韓のことに、拘わってきた多くの方が、普通に、互いに正反対の視点で語られる報道等、自分の眼の前の現実が妄想に見えてくるほど、違えて、事実などはどうでもいいという応酬の真っ只中、ただ日々を続けなければという、あきらめの中で、過ごしているように、思います。・・・以下省略・・

2018年10月1日 釜山の秋に、想うこと。

これなんの看板か、一見、わからないですよね。昔の、怖い時代の警察署モード。ま、字面読めば、テジカルビの店ですが、とにかく、個性溢れる若い感性が、跋扈する西面エリア。色とりどり、百花繚乱のファサードや趣向で、軒を連ねている中で、逆手を狙ったのか??

韓国・釜山は、10月を迎えました。私どもは、韓国にはおりますが、日本のお客様に対して、サービスを提供させて頂いております。今日の釜山は、まさに秋晴れで、涼しいと思えるほどの気持ちのよい風が、麗らかに吹き抜けていきます。

朝のTVでは、日本をもう今年何度目になるのか、縦断した台風の影響が夜が明けて、明らかになり、それでも度重なる天災で、収斂している思いきった対応で、韓国にいれば10年に一度起きるかの災害を、ひと夏・秋で受けて、それでもすぐ復興していこうと頑張る。

長きに渡って関空(KIX)からのお客様を迎える、また、日本での案件に関しては、関空に降りるというのが結構、習いになっておりましたので、まさか関空自体が、水没するなど考えていませでしたし、幸い、当時、本当のところはどうかわかりませんが、大阪のお客様の会社自体は、「うちは、大丈夫です」と皆さん、気丈にも仰られておりましたが、9月の私どもの案件も、偶然、大阪からのお客様で予定されていたものが、全て順延になったほどでしたから、現場の大変さは、いかばかりかと思っておりました。

そのうえで北海道しかも、千歳圏ないしは札幌をほぼ直撃する地震が起きるなどは、予想だにしない事で、ありました。

自分が長きに渡り過ごした場所の、信じられない光景は、他の被害地域の大変さを思う事とは、また少しく違う感情を、惹起させました。

東海線乗り入れで、活気づく、KORAIL釜田駅、周辺。

この日は、25日でしたか、まだ、秋冬(チュソク)が明けきらず、開店しているお店も、まばらでした。

釜田市場、ここにあるのは、嗜好品ではなく、人が生きていくために、必要なもの、本当に、なんでも、あります。韓国伝統の補身の素材。

地下鉄1号線の釜田駅の、壁面に描かれている、市場ので働くアジョンマのイラスト画。このタッチが、なんかいいんです。

そんな中、こちらに戻る、日本での最後の一年間、本当に小さな韓国語の教室をしていた時の生徒さんが、ある方の訃報を知らせて下さった。「Nさんが、ご逝去されました、ガンでなんども手術して。ランニョンさんにも、何度か、手紙を書いたんだけど返事がなかったと、悲しがっていました。」なにか、撃たれたような、言葉では説明できない衝撃と、北の辺で、吹雪のなかも、本当に嬉しそうに熱意を持って、至らないその方から見れば若輩の私を、女手で水産加工場を切り盛りする女丈夫でありながら、「先生、先生」と慕ってくれた、その方の背筋を張って勉強する姿が、昨日のことのように、甦ってきました。

本当のことを言えば、その時のできごとの全てが濃密で、そして、それは言葉では説明し難いことに思えて、でも、それはもう戻れないことでもあるのだからと、その思いを業務に託して、それを糧にここでも頑張ってきたのだと、思っていました。

東莱・温泉場エリアにある、雰囲気のある、洋食のお店

最近は、南浦などの従来の繁華街ではなく、エリア毎の一見客相手でない店のなかに、面白い魅力的なお店や、試みが目立ってきています。温泉場エリアも、面白くなってきました。

日本と韓国を、またこの台風が鎮まれば、沢山の人が行き交います。今回、日本政府は、北海道割りという、北海道への思い切った支援を敢行するようです。私どもも、内容を詳しくは精査していませんし、災害を受けてきたのは、北海道だけではないという方も、おられましょうが、秋から冬にかけての北海道を楽しむには、画期的な試みと思います。どうぞ、北海道を走り廻った人間が言うことですので(笑)、釜山ともども、足を運ばれてください。

想い出。ごめんなさい。有難うございました。

2017年 ソルラル間近の、釜田市場と釜山ロッテ本店。

昔、何度か釜山にお越しになった、在京の飲食チェーンさまのご依頼で、急遽、食材と物品の調達を、依頼されて、ソルラル(旧正月)を迎える最後の週末で、人がごったがえす、西面に隣接する釜田(プジョン)市場に、行ってきました。

当局の現地買い付け、商品発送サービス

オーダーされた物品が、多岐で、商品の質も値段も扱うところで、差が激しいので、かなり調達は難航(笑)しました。加えて、なんせ正月前なので、人、人、人で。

商品の発送を終えてから、正月準備で、食材も人も満載の釜田市場(在来市場)、と、それと対称的な、1月16日に、地下の食品売り場を新装した、ロッテデパート釜山本店を廻ってみました。

ちなみに、寒気が入ったのか、ピリッと底冷えする寒い1日でした。

商品も調達した、いきつけのひとつの生薬店。

皆、買い入れた、沢山の食材の袋を持っていました。

やっぱり、韓国は旧暦の国。これからが、正月本番。

先日行ったチャガルチでもそうでしたが、ここでも、あんこうが目白押し。

タコも大量に、入荷中。

日本なら、上野、アメ横の年末の風景。

盛大にならべられた、韓国のバンチャン(惣菜)

市場を出ると、すぐバックパッカーが。

買い気、満々の人の気に当たってしまい、体も大分、冷えたので、一転、地下の食品売り場が新装したという、ロッテデパートに場所を移すことにしました。

ここも、人がごった返して、いました。カジュアルなリングか、ネックレスのオリジナル仕様か、何か。

地下2階の新装なった食品売り場、世界各国の調味料、オーガニックな食材。

 

本当に、世界各国の調味料が、アイテム豊富に取り揃えられて、いました。日本のものだけでも、こんなに。

カナダから直送のロブスターを、チョイつまむコーナー。20ドルの、その日のウォンレート払い。ほかにも、近時、ワインのラインナップが充実しているせいもあって、タパスなどの立ち飲みスタンドも。

 

正月・商戦をもりあげる・チョゴリ姿のキャンペーンガールも、ひと休み。

デパート内の喧騒から、逃れて、外に出ると。屋台外。寒いせいか、まだ時間が早いのか、いがいに人はまばらでした。

みえずらいですが、過日、お客様がお泊りになった、アーバンホテル。ロッテデパートからも、すぐ。

西面のこの界隈も、新しいホテルが結構、新装しています。

個人的には、西面といえば、NCデパートづいていましたが、色々なことがあったにもかかわらず、また、新たな騒動が、前の騒動をかき消していくのか、釜山ロッテ本店は、いつものように、集客健在。やっぱり、風水なのか、立地なのか、ここはなかなかです。

この時期だからこそ、韓国、いや釜山は使いどき!

ケーブルTVで、1日に一回は、NHKのニュースを見て、日本のメディアの動向も見るとはなしに、見るのですが、ここしばらくは、連日、韓国のことが、トップニュースで流れて、日本の中継で、ソウルでの大勢のデモの様子などを見る、始末でした。

釜山は、韓国第2の都市といっても、そこはある意味、地方都市というのか、また、日々を何とかすることが、何よりの優先順位というのか、普通に全てが、まわっています。身近では、20歳ちょっとの甥っ子が、兵役で入隊するので、そのまえに、何かしてやりたいなと、心づもりしているのですが、とにかく、それにも頑張らなければです。(笑)

そしてそんな中、12月の初旬に、日本の法律の改変から、新たなビジネス・チャンスを読み取った、日本の会社の方をお連れして、釜山近郊を、廻らせて頂ました。

過去にも20年、韓国の工場で資材製作され、中国でも資材製作したが問題があり、色々な兼ね合いから、韓国での製作を思い立たれ、搬送は、釜山港からできるからと、その製作先とのブッキングと、面談業務を承らせていただいたものです。

それぞれの工場に距離があり、かなりタイトな日程ではありましたが、精力的に面談されて、これから、新たなビジネスをするんだという気概を、感じられて、良い具合に進展されればと、思ってしまいました。

 

仕事のことは、納入先を競合に知られたくないとクライアントさまのご要望もあって、あまり書くのは、ご法度なのですが、手前味噌でありますが、韓国での、殊に中部から南のエリアでの、マッチング業務では、これまでの様々な経験からも、私どもは一日の長があると自負しております(笑)。

これまでもそうですが、中国での製造、製作を経験されている方は、リップサービスもあるかと思いますが、皆さん、その違いを口にされます。「本当に、日本と変わらないですね、中国とは、ぜんぜん違いますよ。」と。勿論、日本で長く生活した私には、それはある一側面の事と、重々、わかっていることなのですが、長らく、日本の会社の韓国での製造の中継業務をしていますと、韓国の業者の方々は、約束は守ることを、感じます。結構、愚痴はこぼしても、やりとりをする中で、実質的には、製作依頼の意図に、沿おうと努力されます。

そうだからか、一度、そのことを知った日本の会社・事業主さまも、かなり長期に渡る、おつきあいを、されております。来年は、アメリカの新体制もあり、経済のブロック化が進む兆候も多々見られ、より以上の激動の年になりそうです。

近くて、生活の水準が近く、日本の製造の規格にも慣れている、ここを、もっと活用していただければと、政治の報道ばかりが先行するメディアを見ていると、それを逆手に取って、賢く活用されている日本の方も少なくないだけに、悔しい気持ちもあるのです。

何度も、手前味噌の話で失礼ですが、そのような用向きには、韓国での目的を端的にお伝え下されば、もちろん、寄り良い面談にするため、密なやり取りは必須ですが、韓国内のことは、全て、こちらで、安価にオールインワンで、セッテイングできます。

是非とも、インバウンドの需要が益々増加する日本にあって、その企画の一環で、韓国の会社・工場を活用されることを、現場にいつも足しげく通っている人間としては、この2016年の集大成、そして、2017年のはじまりの時期に、プッシュさせて頂きました。

ところで、近時、偶然にこちらがご案内するお客様が、西面の釜田(プジョン)市場近くの、イビスアンバサダー西面(釜山シティセンター) に宿泊されることが多く、この間来られた日本の会社の方も2日目に、「早朝から、市場の灯りがいっぱいで、明日の朝、あそこでトッポギとか、韓国の屋台フードを食べたり散策してみたい。」と、言われてなにか、嬉しくなりました。

HÔTEL IBIS AMBASSADOR BUSAN CITY CENTRE

イビス西面 レストラン

Suite Room

前にイビスに取材に行った時も、広報の方が「韓国のひとより、日本のお客さまが在来市場での散策や、買い物を楽しんでくださいます。それは、嬉しいことです。」と言っていたのを、思い出したからです。

この時期、寒さのなかで、湯気が漂い、こうこうと輝く裸電球は、旅情の風情を醸します。 お仕事でも、ふと思い立った旅でも、この時節の港町・釜山。お見逃しなく^^。

2015年 5月の 釜山の風景

ID:s5g6jq5月も半ばを越え、ここ釜山も、一気に夏モードへと、移り変わっております。お客様の案内の合間に、ひょっこ、ひょっこと撮ったスナップを、掲載します。海と山に囲まれた釜山。騒々しい(笑)市中から、ちょっと足を伸ばせば、以外なほど、自然に恵まれています。

4月末から、ゴールデン・ウィーク中、機張で蟹(笑)を頬張ったり、山寺巡り(韓国の仏寺は、ほとんど、結構、渓谷のあるような山の中に、あったりします)をしたり、その間に、チムジルバンで、寛いだり。

テビョンの港で、漁具を補修する漁師さん

 

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デビョン港 2

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デビョン港 3

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デビョン港 4

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機張 の 名店・フッシル での  ひとコマ。

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フッシル 2

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釜田市場の入り口の道端で、大量の朝鮮人参を売る、アジョマ。

編集が、殊に雑ですが、近々に残りのスナップも、掲載します。この時期、ウィーク・デイの釜山および、近郊は明るく、風がほどよく、そよいで、まだ、暑くもなく、本当に気持ちがよいです。

特に、お寺巡りは、自然の景観と街の喧騒から離れて、”韓国にも、こんなに自然があるんだ”ということと、それと相まって、祈りの空間が拡がっている、日本でいえば、山岳信仰にも通ずるような、ディープにリトリートできるエリアなのを、この度、再確認しました。次回、そんなひとコマも、アップしたいと、思います。

GWも、とうに終わりましたし、ウォン高も、アベノミクスも関係なく、お仕事、お仕事(笑)。

キムジャンと、李明博(大統領)という男

釜山 海運台(へウンデ)ビーチ通り の カフェから
釜山 海運台(へウンデ)ビーチ通り の カフェから

この間、朝鮮日報を読んでいたら、品質は日本産に、量とコストでは中国産に押される「キムチ」というのが、あった。

今年は、この釜山も、寒が入るのが早くて、キムジャンの作業も、前倒しになっているようだ。キムジャンは、いわゆる、もともと、昔は日本でも田舎の親元が漬物を大量につけて、離れている子供や、兄弟の家に送ったように、大量にキムチを漬ける初冬の一大行事。

でも、あまりにどこでも取り上げていて、それを話題にするのも、気乗りしない位、韓国の生活と、キムチは切っても切れないものだ。以前見た、日本の映画「かもめ食堂」で(韓国の子供達に見せても、好評だった)・・おにぎりは、日本人のソウル(魂の方)フード・・と言っていたが、キムチは韓国人の”血”そのものだろう。

ここで生活している人間としては、リアルな韓国・釜山を感じて欲しいので、旅で訪れただけでは、見えない視点から、ここにあるものをお伝えしたいのだが、次にアップした在来市場の動画でも、明らかなように、やっぱり、キムチの材料で満ちあふている。(動画中、プサン市場といっているが、プジョンの間違い、返す返す、本当に何を言ってるのか自分(。-人-。))

西面エリアの中にある、在来の釜田(プジョン)市場の昼の風景 <-動画リンクです。

も、はっきり言って、これが、釜山!!  とも言えない。

韓国のトップ、イ・ミョンバク大統領は、風貌に似合わず伝説のビジネスマンとして、知る人には知られている。

この釜山でも、はっきりと、トップ主導の、都市戦略が進んでいるのが、わかる。(この間の痛ましい事故の時も、半島事情通の第一人者・黒田勝弘氏は、韓国の都市機能が集中しているソウルではなく、地方都市の釜山で起きたことだと、やんわり擁護していたけれど。)

とにかく、似ているようで、やはり違う日本と韓国。 ヨーロッパに篭絡されて、ロハスしてるばかりではしてないけど(´▽`))、かなり、いかんなと、肌で感じてる次第です。

で、写真 へフンデの事だったんだけど、本題に入らないで、終わってしまった。