プサン の 冬 を 歩く

  日本は、2015年も2月を迎えて、既にいろいろなことが始動している現況でしょうか。

ここ釜山は、これから旧暦の正月を迎えますが、当局はここ暫く、日本の著名な旅行ポータルサイトの依頼を受けて、釜山の観光地とホテルの紹介記事作成のため、釜山の市中を再検索するため、連日歩きまわっております。

釜山・冬柏公園のベイエリアにできた、海を眺めながら軽食からディナーまで楽しめるスポット。ザ・ベイ101
広安里ビーチ 1
広安里ビーチ 1
広安里ビーチ 2
西面の地下商店街・大賢プリモール
大賢プリモール2
大賢プリモール2

土臭く、いにしえからの大陸の匂いを放つ、海の街と、新しいベイエリア・リゾートの顔。そのコントラストを、少しでもお伝えできればと、思いながら、なかなか難しいです。^

通訳の 愉しみ?

CAM00111

今日は、戸外は木枯らしという訳ではないですが、枯れ葉を舞散らす、冬の到来を告げる冷たい風が、吹き抜けています。

上載の写真は、東莱市場近くにある、朝鮮時代からの役所跡を復元している、ところ。

仕事に出かける折、地下鉄駅までの間、バスより見る風景ですが、大分、仕上がってきたようです。

釜山市中に、今も尚残る、日本家屋
釜山市中に、今も尚残る、日本家屋

 11月で、ここにきて、このサービスを立ち上げてから、丸6年を過ぎ越しました。お客様と、仕事を通して、今までいかなかったような

韓国のエリアに行ったり、本当にさまざまな案件に、係わらせて頂きました。 

 

早かった、遅かったか、そんなことにさえ、気がいかなかった程、嵐のような日々でしたが、鏡にうつる自分を見れば、

目尻に深く刻まれた皺に、その歳月が現実であることを、いやがおうでも突きつけられます。(笑)

 

でも、この皺も伊達ではなく(苦笑)、ことにここ最近は、業務でいった相手方の方に、「貴方なんで、そんなに頑張るの。」と、

押し問答しながら、半分笑って聞かれることも、ままあったりします。

 

若いときなら、角がたったり、押しがきかなくて、通せなかった案件が、それなりに相手のかたの「やれ、やれ」感も伴って、結果的にちょっと無理めかなという、

お客様の意向に、何とか対応できたりしている。

そして、やっぱり、お客様に「助かりました。」と言われることは、この仕事の、醍醐味かなと思います。

釜山の絵画展から、釜山の或る街並み
釜山の絵画展から、釜山の或る街並み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”釜山から対馬” オールひとつで。

真夏の広安里ビーチ・提灯回廊 1

本当に、このブログを最後に更新したのは、いつだったか(笑)。でも、業務をいい加減に扱ったり、ウェブサイトの運営を怠ったっている訳ではありません。

最悪の日韓関係などと、メディアは喧しく、現実この間も、いつも真摯な対応でお世話になっている、冷静な両替商の方が、珍しく「ほんとうに、日本の方が減ってしまったね。」と洩らされるほど、日本からの観光の方は減っている現状のようです。

こんな状況であるから、より実務優先、守秘義務の徹底として、業務でのこぼれ話の掲載を、躊躇していたら、業務の準備と遂行の狭間の中で、今日に到っている次第です。(すごい言い訳だ^^^)

益々、韓国では、ライフスタイルに日本の製品が普段使いされ、甥っ子たちも日本のアニメや、コンテンツの話題も、自分より詳しかったりするのに、その理由や是非はどうあれ、残念なことではあります。

そんな中、この数日、オーストラリアから、この韓国・釜山までこれまで、シーカヤックと自転車で、その間の国々や海を越えてこられたI氏が、対馬にむけて、釜山の海岸から出立する為の、行政とのやり取りを仲介する業務を請け負ってまいりました。

8月13日、あるいは、14日、朝・未明。 ”冒険をしながら、アジアの若者にメッセージを送りたい” Iさんは、釜山・松島海水浴場から、出航します。”I さんの Blog

波穏やかに、クジラが泳ぎ、大マグロが回遊し、鯛やアオリイカ、スズキやヒラメや太刀魚、が群れ遊ぶ、絶景の海を、謳歌して無事、対馬に到着して欲しいと、心より思う次第です。

 

真夏の広安里ビーチ・提灯モニュメント
真夏の広安里ビーチ・提灯モニュメント
犬にとっても、真夏。広安里ビーチ。

PS 出発地は、当局のお達しで、他所へ変更になりました。また、このような私的な冒険の場合は、韓国の国情もあり、安易に実施するのは、容易なことではありません。日本語ブログに書いても、仕方ないこととは思いますが、釜山の関係の諸機関のかたには、色々とお手数・ご苦労おかけいたしました。心より、感謝いたします。

2014年8月13日(水)夜10時過ぎ、I さんより連絡があり、無事、対馬に到着したとのこと。

大韓海峡の速い潮流と、14時間、挌闘の末、たった一人で漕ぎ抜いた、Iさん。本当に、おめでとう御座います。

無事到着の報を、受けるまで頭の中で、http://bit.ly/1kBjTL3 の曲が流れていました。良かった。

 

 

「ここは、どこですか?」

若者が、こぞって集う”西面”の ニュースタイル・カフェ

通訳 カン記

暦を見れば、もう9月も中盤。日本で言えば、旧盆の秋夕(チュソク)を間近に控えて、めっきり、秋めいてきました。

先日は、これまでミニ・バイクのレースも主催され、現在は125ccクラスのレース・イベントにも参戦されているような、タフなエンジニアの方が、大分で行われたモーターサイクルのビッグ・イベント、九州モーターサイクル・フェスティバルに参加された、その足で、”カメリア”に乗って、釜山にバイクの買い付けに来られた。

出航前の 関釜フェリー”はまゆう”

最近では、この、殺人的な交通事情の韓国で(笑)、日本から・バイク・ツーリングの愛好者の方が、ツーリング・ツアーを企画し、フェリーに乗って、楽しまれる方がおられるのは知ってはいたが。。

古くから、ポッタリチャンサのおばちゃん達が、釜山と下関を往来したのは、周知のことだが、飛行場と違い、港は、積み上げられるコンテナは圧巻だけれども、なんだか、のどかに見える。

ところが、通関となると、法律も目まぐるしく替り、情報も錯綜する。だから、通関事務所にいくと、通関できず、倉庫に、留め置かれた荷物の扱いを巡って、事務所を仕切る主査のオバチャンの怒号が、鳴り響いていたりする。(でも、不思議とそういう人が、一生懸命、仕事をしていて、困ったときに、助けてくれたりするので、皆さん、怒っていると、思わないでくださいね・・釜山まめ知識。)

タイや、いざとなったら、北米まで、バイクのことなら、飛んで行くのも厭わないという、その方と、終日駈けずり廻り、なんとか船に載せた。

※フェリーでの、バイクの搬送は、日本からの持ち込みで、必ず、持ち帰る事が確実の自家用バイク(登録済・No.プレートあり)が、一時輸入車として、搬送料金1台につき、2等船室代1名込みという、扱い。韓国からの購入バイクは、完全な単体としての、貨物になるので、注意が必要です。

バイクチームの繋ぎを着たまま、釜山に来られた、その方は、「バイクを楽しむ裾野を拡げて、みんなが、楽しんで、それがまた、エンジニアやバイク関係者の仕事につながれば、いい・・。」と、くだけた話をしておられながら、ポッと言っておられたのが、印象的でした。邪道レーシングバイクに、興味のあるかたは、是非。

そして、「いや~、ここは、どこだろうと思ってしまいますよ。字が読めないだけで、まるで、日本みたいだ。まだまだ、発展しますね、ここは。」とチョッと嬉しいことを、言ってくださいました。

Men at work in Busan as usual

確かに、街中、工事中^^。

そして、韓国からの、バイクちゃん、チューン・ナップされて、日本のサーキットで頑張れ!!

 

草食系? & 工場 &暑い夏の名残り

(通訳 カン記)

本当に、暑い夏でした。日本では、いまだ30℃の数字を、散見しますが、皆様、なんとか乗り切っておられますか?

昨日は釜山駅近辺での、短時間のビジネス通訳のあと、来週来られる予定のお客様の件で、水営、広安里、中央洞とリサーチと確認業務をして廻った。

こんな時に、ひょこっと、フックのある店や、人が繰り返し訪れている店などに、実際、入ってみたりする。

広安里ビーチサイド の 本格窯焼きクリスピーピザも 楽しめる イタリアン・レストラン
外国人比率の高まりもあって、洋風インテリアの注文家具工房 の ショールームも ちらほら・・

ところで、先日は久々の、工場だった。何だか、少しく懐かしい光景を、想い出してしまいました。

というのは、昨年の秋から、今年の春の間は、日本でも、韓国でも、知らない人は誰もいない、大手製菓企業の業務提携で、久しく、釜山の郊外の工場へ日参していたからだ。

起業秘密(笑)と思いながら、通い詰めた記念にパチリ・・「うちの機材は、古いから秘密でもなんでもないよ。」と、笑っていってくれた言葉が、うれしかった記憶・・

冬の時期に、アイスの製造。そこでも、日本から派遣されていた、30代そこそこの社員の方が、正月休みもほとんど無い状態で、釜山の街中をほとんど見る暇もなく、夢中になって、-40℃の倉庫にジャンバーも着ないで、韓国の規格と日本の規格の狭間で、へこたれもせず、頑張っていたのを、想い出します。(最後は、昼休みの合間に、バドミントンをして、工場で一番うまい人を、あっさり打ち負かして、女子社員のアイドルになってましたよ。。。)

飛行場の近く、金海に今回、お供した、総合資材商社の端正な出で立ちの、20代後半の若い社員の方も、「この間は、中国でした。上海は、国際都市という感じで、そうでもありませんでしたが、地方の工場のところは、ちょっと、怖かったです。」と、おだやかに、話されていました。でも、その肩には、大きな案件を抱えて。

不思議と、工場づいている私には、錆びた機器群が、想い出だったりします・・・

日本の若い人を・・・いいますが、渡航してこちらで仕事をしにくるような、若い社員の方は、本当に頑張っています。

釜山も、やっと、朝、晩は、涼しい風が吹くようになりました。私も、ビートルにでも乗って、また日本で、美味しい「刺身と天ぷらの盛り合わせ定食」でも食べたいですね。※フェリーターミナルは、日本帰りのツアーの韓国のおばちゃんで、賑やかでした。

次から、次へとできる カフェ・カフェカフェ・・ 釜山では、スタバは、肩なしです(笑)

 

8月・釜山 あぶら蝉啼くストリート&日本の製品

あっという間に、8月です。そして、いわずもがな、ここ釜山も、熱暑の夏を迎えています。

日本でも、軒並み熱帯夜の日々の中、毎日、お仕事に、また、其々の諸業務に頑張っておられている事と、思います。”でも、この暑いさなか、周りが”だれている”間に、しっかり準備や、調査をして秋からの掻き入れに備えなければ”・・単なる、独り語りになってしまいましたが、確かにあぶらぜみが、かまびすしいこの期間が、釜山はハイ・シーズン。韓国・全土から、週末にはどっと人が、このビーチ目がけて、訪れます。(本日、8月4日は、公式発表海運台ビーチで、80万人)

8月の広安里ビーチ、平常日の昼下がり

巷では、オリンピックもスタートして、開幕直前まで、さほど盛り上がってなかった、ここいらでも、緊急避難(避暑)に駆け込む冷麺屋でさえも、メダリストの横顔、韓国版を放送するTVを見入って、盛り上がっていました。こちとらは、それを横目に、日本選手の活躍をチエックするのですが、日本選手自体は、本当に頑張っていますよね。でも、いかんせん、柔道の、殊に、指導者達の体たらくには、怒りを禁じえません。”敗軍の将、兵をかたらず”、ではないけれど、4年間、準備期間があるわけですよね。

しかも柔道は比較的、バック・アップ体制も、恵まれているはずだろうに・・。だって、指導者というかバック・アップ、スタッフの仕事って、ようは、技術・コンディショニング・そして、諜報戦のはず。きっと、民間の海外担当の経験のあるスポーツマインドを持ったビジネスマンを入れて、指導者層の意識を刷新しないと、「いつまでたっても、同じことさっ・・」てなことに、なりかねない。やれ、ルールが変わった、選手のモチベーションが・・、いいかげんにしてくださいよ。やられたら、やり返す、それだけですよ。あ~、ご託を並べて、すっきりした。(笑)

広安里ビーチから見た、ITパークのビル群

最近、時にこちらの小さな事業主の方から、緊急で、通訳の依頼を頂いたりします。「いやさ、前には日本にいって、相手もしてくれなかった日本の大きな会社から、急にコンタクトがあってさ・・。」

そうです。日本の会社は、手をこまねいて、いません。メディアの好奇の対象とは別に、日韓の現実の経済と相対して、日本のコンテンツの優位性で、韓国の市場を開拓しようとしています。

韓国の子供たちも、幼年の頃より「韓国は資源のない国だから、技術を習って、世界にものを売らなければ、ならない。」と教わっていくようですが、40代の日本人の自分達も、嘗て、そういわれてきたのを、ここにいて、思い出します。なんだかんだいって、ここには日本の通ってきた道を、今一度、繰り返し見るような場面が、そこここに溢れています。

確かに、コンテンツ・ビジネスが世界を席巻して、ファイナンスの知識や抽象化された国際戦略を頭に置くことなく、単純に物事を進めることは、為替差を考えると無謀でしょう。

でも、韓国のような、日本のちょっと前で、しかもIT環境は日本に引けを取らない国では、生活の質を彩る、”モノ”が、日本の商品の中では、絶対的に、ここでは渇望されています。

美容室でも、ヘアダイやパーマやカラーリングの原液は、ほとんど、日本性だし、日本のファッション雑誌は、いまだに、人気です。インテリア、エクステリアまで、含めると・・これ以上は、企業秘密(笑)になりますので、ここでは書けませんが、日本企業のもつ商品力が、リテイルの分野では、絶対的に優位です。これを読んで、商品を廃棄しようとか、投売りしようとしている方がおられましたら、一度、格安航空でここに遊びがてら、様子を見に来てください。真摯に、ご案内いたします。

あと3年位は、生活の質の部分で、日本企業の商品に絶対的優位性があると思います。

トイレも、韓国では、ここにきたばかりの頃は、Daelim(デリム)が多かったのが、TOTOの文字を眼にする事が多くなりました。(現地法人化しています。)

上載は、最近、韓国に視察に来られる、日本の企業の方を必ず連れていく、広安里ビーチの気だるい昼下がりの模様^^ですが、その目の前を、”Sappro”の文字を大きく配した、ビール会社のトラックが、日本のように行き交います。アサヒは、すでに先行して、韓国でもブランド化しているところに、当然のごとく、キリン・サントリーも、参戦です。(韓国でも激戦の飲食業。そこを相手に、殊に、日本で地ビールのノウハウを持っておられるところが、イタリアンのレストラン相手に卸しても、面白いかと思いますが・・)。

やられたら、やりかえす^^。トム&ジェリーのように。 これが、2012年のテーマ?です。

とにかく、サッカー、頑張れ!!日本。

昔から伝統の、刺身センター 妖しげなのが、これまた、異国情緒。

 

2012年 春から 初夏へ  釜山は、かまのやま

2月の福岡の、太宰府 にて
関空 釜山から、LCC・ピーチに乗り換えて、千歳行の途中で
4月上旬の札幌・中島公園。大阪は、20度越えで、札幌は吹雪だった・・
大阪 心斎橋・難波の近くが、宿。束の間・散策。。

5月も、後半を迎えました。今年に入ってから、慌ただしくではありましたが、福岡、大阪に2度、遠く札幌に出向く機会が、ありました。すべて、仕事絡みの束の間でしたが、毎日、ここで色々な方と相対しながら日々考えてきた事を、確認するに良い機会でもありました。

これまでの、仕事が一段落して、さてこれから、また、新たな一歩。

本日は、釜山での市場調査に来られた方の同行通訳のあと、影島の太宗台へ、ミニ観光。

影島へ渡る橋から 海の街 数々の入江が続く 釜山ならでは

釜山は、造船の街 影島のドックで、竣工を待つ船舶。
お椀を被せたような山が点在する、だから、”釜山”。中腹まで、びっしり家屋が軒を連なる

 

締めは、海の街、圧巻・海鮮鍋(ヘムルタン)

外国人の訪問、滞在が、急増している、釜山の近況

 

2011年 10月4日(火) 釜山国際旅客ターミナル。これから、出立するビートル、パンスター(大阪)カメリアに乗船する、日韓の旅行客

なんだ、かんだと、釜山の街をこの3年間歩いてきた。勿論、ご縁あった色々な方、或いは会社の方の、オファーをこなす為がほとんどの日々であったので、気楽な物見遊山とはいかなかった。それが為、対岸に福岡(九州)、下関(山陰)といった歴史も風情もある魅力的なエリアを、眼前にして、なかなか行く余裕がなかった。

2011年 9月より、釜山-金海軽電鉄が、運行。無人運転で、釜山郊外の風景を楽しみながら、金海国際空港から都心へと、連結。
金海空港、近辺のハウス群 インフレの中、安価に良質の野菜を、市中に、提供できるのは、これが為^^。

それでも、飛行機のみならず、海からも、日本との直線距離200キロ圏ということが、何ごとかある度の、支えだったかも知れない(笑)。しかし、その”何ごと”かある毎に、何らかの学びになっていった。地味ながら、この3年で、釜山も本当に、どんどん変わった。一連の変化のさきにあるのは、一人でも多く、釜山を訪れる人を増やそうという試みであった事は、間違いない。

2011年の、一番の変わり方は、インフラに続いて、訪問、定住外国人の数、国籍の多様性が目に見えて増えている事である。

英語・ロシア語・中国語・アラビア語・日本語etcが、とびかう、南浦の休日。

 

 

進展する韓国・再生する、”釜山”南浦洞の 5月

 

GW,最終日の南浦洞より 1 

 

GW 最終日の南浦洞から 2

またまた、更新が大きく遅延してしまいました^^

既に今は昔と過ぎ去ったGW(ゴールデン・ウィーク)中は、南浦洞でも、沢山の日本語が聞かれました。(日本語が、聞こえると、やっぱり嬉しいですね。)既に、5月も終盤の今は、初夏へと、一斉に衣替えするシーズンです。普通なら、猛暑となった昨年の夏を思い起こし、いささか気が重くなっている筈なのですが、今年は、今、この現在も被災と2次災害の状態の真相も定かでない、日本の状況を鑑みると、安穏とはしていられない気分に自然になってしまいます。

今日まで、私どもに、通訳ガイドをご依頼くださるお客様は、単なる観光というよりは、何らかの目的(ここで、詳しく書けないのが、実に残念ですが、本当に色々な機縁と、用件で)を持たれて訪韓される方が、ほとんどで、その度に、そのプランをリサーチする中で、様々なことに気づかせて頂いています。

間接的な情報やアンケート、GPS等を使った追跡システム等が発達しても、実際にサービスをお使い頂くかたの、フッとした生のリアクション、何気ない会話・波動の中で感じること以上に、価値があり、素直に受け入れられる気づきはありません。

坂の上のテナントビルまで、建物のファサードが、模様替え
色とりどりの花が、植え込まれたフラワーポットが、ストリート沿いにモディファイされている

過日も、東京からビジネスでお越しになったお客様を、仕事の合間に、南浦洞にお連れした時に、「お洒落な、ところですね。」といわれたりしました。2年前には、すっかり街そのものが、寂れかけ、今は、新たなランドマークとなって、鎮座しているロッテデパート光復洞店もだ、建設頓挫で、廃墟のようだった風景が、遥か昔のことだったように、思えます。

やると決めたら、やる。その積み重ねが、序々にいたるところで、形になっているのを、2011年5月、現在の釜山で目の当たりにしたりします。

旅人が゛偽せもの”をゲットするだけじゃなく、雑多なものが溢れている国際市場
 韓国もグルメ番組、まっさかり^。元祖「ホットク」の屋台に、列をなす 
南浦洞の表通りにある、札幌のラーメン・チェーンの釜山店 

一昨日も、月曜日にも拘わらず、熟年のご夫婦、市場で、Tシャツや小物の仕入れをしているような若い男性、友達と連れ立って、ひょこっと来てみたのかなというような若い女の子、年季の入った韓国マニアのかた・・、様々な日本の方々の姿を見ました。

きっと、今の釜山は既に、1年前の釜山とは随分、様相をかなり異にしている筈です。1年前位に来た方は、その進展の早さに、きっと驚かれているのではと、思ってしまいました。

PIFF 広場2

 

月曜日でも、なかなかの人のながれ
韓定食 の お店の前に立つ、看板

で、結局は「釜山に、来てください、という事なんだろう。」とお思いでしょう。でも、本当にそうなんです(笑)。だって、本当に今、面白いですからね。どんどん、お洒落になるエリアの傍らで、チャガルチのように、一日千秋の如く変わらずアジアの風情を醸しすぎ(笑)の場所が、到るところにあったり。ところ、どころに昔の日本の痕跡が、垣間見えたり。ぐりん、ぐりんパーマの旧世代と、少・時代や、Big・・ngさながらの、颯爽としてお洒落な新世代のいでたちのギャップ。カフェでまったりした後に、ワンブロック先の場外市場の古色蒼然とした食堂で、格安の焼き魚定食で、〆たり。

とても、お洒落に、釜山の近現代史を展示している、博物館。本当に、戦前には沢山の日本人が、ここに住み営んでいたことが、よくわかります。、
博物館入り口(1999までは。アメリカ文化院だった建物。)

 

ドラマとの協賛で、どんどん店舗を増やしている、Cafe’bene 南浦店の店内。
テラス席より、眺める南浦洞ーー奥には、ロッテデパート光復路店が。
道すがら貼られている、ライブ等のイベント告知のポスター

 

屋台通りの、ブティック

それと、自分・大好きな人間のオンパレードなので、人を見ていると本当に面白い。それぞれが、自分の本性に忠実なので(笑・2)、例えば、趣味や興味が同じ人と、ひょんなことで知りあえば、驚くほど、密度の濃い(濃すぎる時も、あるけど~)何ともいえない、思い出深い交流を体験できたりします。そんな訳で、異文化体験の実践や醍醐味を味わう上でも、おあつらえ向きな海の向こうの隣街(都市)に、どんどんとなっていっている気もします。

それにしても、更新さぼり過ぎですね。業務は、常に研鑽と新たな情報をたづさえて、ご利用をお待ちしておりますので、思い立ったら、お問い合わせくださいませ。それじゃ、今日は取り急ぎチャルガラ~ アンニョヒ・ケセヨ~

道路を跨げば、そこはチャガルチ。今の昔も、アジョンマが仕切る世界(場外市場)
刺身もいいですか、格安の魚定食がおすすめ。いしもち・さば・太刀魚(ガルチ)がどんと丸一匹ずつついて、一人600円弱。

50歳からの、日本語。

下記・文中の会社とは、全く関係ないですが、凡一洞には、色々な種類の卸が、軒を連ねている。

釜山の問屋街、凡一(ポミル・旧 凡一洞・ポミルトン)。この4月から、日本からの工作機械を扱っている会社で、日本語の短期集中講座を、請け負っている。社会の末端まで、いくつかの大財閥が差配する韓国の社会の中で、その隙間を埋めるように、「韓国の通りで、”社長”と呼びかければ、いっせいに何人もが、振り向く」ほどの、自営業者が、軒を連ねている。

息子さんに事業を継承する為、日本とのパイプをより密接にしたいと、50近くになって、日本語を猛特訓の社長さんが、「円高に進んだので、焦って決済したが、失敗した・・1000万(w)持って行かれた。」と、苦笑いしていた。妹さんに、「兄さんは、20年前から、日本語を勉強すると言っていたけど、今、する事になったんだね。」と言われたり、「その歳になって、なんで、日本語やるの。」と、友人にからかわれたりしているらしいが、本人は、語学の勉強をするのが、楽しいらしい。(会社の若い社員の方も、自発的に加わっている・・・)

一回、2時間の授業の合間にも、かなりのロット(数)の機械の部品の発注を、社員に指示している。下関まで、機械を陸送してもらい、そこで貰い受けて、釜山まで持ってくるという。ただ、現在、今回の震災の為、一度貰い受けた機械を、在庫がないからと、日本の発注元が買い戻す程、機械本体の確保は、逼迫している状態という。

それでも、軍事政権の頃から、ずっと日本の交易を続けてきた経験からか、殺気だつこともなく、授業に没頭されている。

話は逸れるが、韓国で作られている、日本語の教材は極めて、実践的でアプローチもバリエーションも豊富で、本当に感心させられるものが、多い。(興味ある方は、訪韓の折、是非、書店に行かれて、チエックされる事を、お勧めします。)通訳業務の合間の仕事ではあるけれども、これを機会に、できるだけ短期間で、社会人の方が、韓国語・日本語の双方を身につけられる手法を、身に付けることも念頭において、この問屋街のエリアに、暫く、足しげく通うことになりそうである。

仏具の問屋
いったい、いくつあるか、わからない程ある、貴金属卸、小売店。

4月6日(現在)、釜山の桜は、8分咲き。まさに、春・爛漫の、自分達にとって、半島で愛でる3度目の桜である。気負いこそないが、自分達のできることで、日韓の交流や、交易になんらかのことが、できればよいなと、少しく思っている。

外国で咲いても、桜は、桜。 頑張れ、日本・・