長く、新たな、挑戦のはじまり・・

海運台 冬柏公園の 人魚の像

3月11日の、信じられないできごとから、何日が経過したのだろうか。急な仕事が入り、徹夜続きの目に、ニュース速報が入ってきた時は、冗談としか思えなかった。其の後、ここ韓国でも、言葉にもならない、いやこんな姿の日本を、想像だにできない姿の被災地の光景を、終日、放映する日々が続いた。

釜山港や、金海空港からも、日本語で「がんばれ日本」の横断幕を張ったコンテイナーや、物資を格納した貨物が、出立していった。韓国の現代史の中では、異例の光景だと、当局のカンも何度も、驚いていたが、2000年から始まった、韓国と日本との交流促進の過程で、確執がありながらも、厳然と、人や物が行き交った証だと、隔世の感も感じつつ、浮き足だった毎日が続いた。

住む家を失い、昨日まで日常を傍らで共にしてきた伴侶や、子供や親を突然に失い、寒さにうち震え、失くした生活の痕跡を求めて彷徨う人の姿には、大災害を前に先進国も、途上国もない、痛切なリアルと無常をいやが上にも、突きつけられた。その間も、お客様を伴って、海運台や松亭などの、春のビーチを案内しながら、沢山の人々が集う、和やかな波濤と、被災地の映像のギャップに、混乱を禁じえなかった。

日本の災害から1週間後の日曜日、海運台ビーチに憩う人々

今、現在も日本からの避難の為もあって、ここ釜山は小さなモーテルに到るまで、お客様でいっぱいらしい。殊に、ビーチやセンタムの新世界デパート等も、それらしい日本からの外国の人で、にぎわっている。苦肉ではあるが、そんな状況下の中だけに、日本に1番近い外国として、釜山を活用して頂けるのなら、非力な、半島に住む日本人としては、一時の休息の場として英気を養って頂くのを祈るのみである。

信じられぬかもしれぬが、今回の日本の災害は、これまでにないインパクトで、韓国のひとに、捉えられている。もはや、国の枠、云々ではなく、まして、日本だけに起こりうる事案ではない、というのが、心ある韓国のひとの本音ではないだろうか。

自粛は、平時にある人間の役割として、須らく、讃えられるものではないけれども、震災間もなく、釜山近郊の機張の漁港で、永きに渡って続いている、伝統のいわし祭りも、今回の日本の震災で早々にとり止めになった。「同じ、海を糧に生きてきた漁港の街の多くが、あれほどの被害にあった中で、祭りなどできぬ。」と、古老の人達が暗黙のうちに瞬時に、決したそうだ。

昨日立ち寄った、釜山の繁華街西面の、2大書店、栄光図書や教保文庫でも、ここ最近ではないほどの、多くの、年代の端正な眼差しをされた方々が、熱心に日本語の学習書を、選んでいた。

昨年は、北朝鮮に撃沈された天安の喪に服す為に、春の慶尚南道の桜に纏わる祭りは自粛されたが、今年は執り行われるだろう。今、現在は木蓮の白い花が、これからこの市中を埋め尽くす、雲海のような街路樹の桜の露払いのように、咲き誇っている。

 

震災から、ずっと頭の片隅で渦のようにちらついていた、自分達の、第2の故郷ともいうべき、北海道の北・オホーツク、流氷の海の街・紋別。そのながきに渡り、地域の人々にも愛されている地方紙のウェブサイトを覗くと、言行一致で新参者を支援してこられ、国内外を飛び回っておられた(る)デスクのコラムが、日本の中でも地震や天災の少ないところとして、震災した方々の受け入れの準備をすすめよと、力を込めて提言されていた。既に、数組の被災地のご家族が、ほど近い、芝桜観光で有名な滝上という街に入られたそうだ。海の物、山の物に恵まれ、食料自給率200%と言われる北海道の中でも、本当に格別の素材を提供する場所である。

話が逸れてしまったが、そこに住んでいた自分達が良く知り、本当に懐かしく、かけがえのない素晴らしいエリアである。被災地のみならず、今、現在、国難ともいうべき危機のなかで、安全で環境のよい場所をもとめている方がおられるなら、一度、検討に加われてみるのも、いかがかと思う。私たちのような、日韓の夫婦も陰に日向に支えてくださった、多くの、心あるかたの、おられるエリアである。

単に、東北が危ない、東京は・・とかいう状況ではなく、まちがいなく、新たな価値観で生きる場所を、生き方を選ぶ時が、来ていることを、ここにいても、強く感じてしまう。日本は、せまいようで、ここ韓国から見れば4倍強の国土がある。

自己主張も、声も、大きく、「隙間があれば前に、突っ込む」(笑)という半島の風土の中で、言葉はうまくならないのに、ぶつかり合いで鍛えられ、韓国のひとの機微や、優しさ、それは、日本のひとの気配りや、優しさとはまた違うけれども、困難な歴史が培ったコリアン独特の気質。それが、皮膚でわかり始めた今だから、こそ、あえて、国外からの買収だ侵略だということの前に、日本を日本人が、広く使って欲しい・・。

死者不明者が、2万7000人を越えたという。「たちあがろう・日本」の掛け声。本当に、沢山の国内外からの懸命の応援が続いているのを、見る。それでも最後は、被災を乗り越えるのは、一人・一人違う状況の中で、徒手空拳で活路を見出す、ものなのであると思う。政治や国体も大切だが、人間のもつ直感や、意志や集中力や忍耐力が導きだす、知恵みたいなもの。そして、体力。そう体力。

 

 

 

 

 

 

 

(仏)ルクルーゼVS韓国・釜山”JOYCOOK”

この3日間、通訳担当のカンは、日本からのTVクルーのサポート通訳に、朝は8時前から夜は11時まで、かかりっきりでした。ビジネス通訳(勿論、それはそれで、厳しい仕事ですが)とは、訳が違い、まさに体力勝負のこの仕事。本人いわく、「ちゃんと、もっと仕事内容、確認すればよかった!私は、スタッフじゃなく、通訳なんだから・・・。」ぼやく事しきり。

でも、ドラマ好きな本人も、TVがどんな手間のうえで、製作されているのか、わかった事に違いありません。(桑原桑原・・)

しかしながら、(何が、しかし、か意味不明ですが)そのおかげでお料理が大好きで、トレンドの先取りが得意な方には、とってもホットな情報が舞い込んで来ました。

韓国では、釜山・発祥の新趣向のお鍋が大ヒットしています。お鍋で、「オーブン料理」ができるのが、ウリで、しかも、素材を返したりしなくても、両面がそのままで、シッカリ・カリカリの食感で、焼き上がるという、お鍋。

その名も、”JOYCOOK”商品の詳細はここより


【JOYCOOK】 直火オーブン

 

今回、・本TVが、その話題を取り上げ、釜山まで街頭インタビューを含めた商品の紹介番組を製作した遠征ロケを、サポートさせて頂いたのですが、その場で、道行く人をピックアップして、この鍋の感想を語ってもらっているのにも拘わらず、やらせではなく、本当に大好評なのです。

「自分で使って便利だから、贈り物で知人に送ってもすごく喜ばれるんですよ。」って、本気で語って下さるからビックリしたとは、カンの感想。(これまでも、同行取材の通訳をさせて頂きましたが、こんな事は、珍しいそうです・・。)

知的で、落ち着いたジェントルマンなJOYCOOK社の社長さん?が、この取材でも、つきっきりでサポートされていたそうですが、

この方がアメリカ留学時に、「アメリカの家庭に常設されているビルト・イン(作り付け)タイプのオーブンの便利さや、魅力を、もっと手軽にアジアの家庭でも使えるようにしたかった。」と、3年をかけて,試作を繰り返し、考案したのが、”JOYCOOK”だそうなんです。(韓国といえば、韓流ドラマ恒例の、アメリカ留学。)

愛用のルクル-ゼと、スタップ

元・料理人で(笑)ルクルーゼや、スタップをこよなく愛してきた自分達も、是非使って見たくなったなぁ・・。社長さん、くださらないかな~。いやいや、自分達で買います。

昨年9月から、日本でも販売を始めているそうですが、まだ、使っている人は、ひと握り^^。

贈って喜ばれ、後でみんなに自慢できる韓国・釜山発のアイテムになりそうなんで、珍しくプッシュして見ました。

それにしても、釜山が本社とは知らなかった・・・。JOYCOOK社 Webサイト

 

蘇る金狼・・in 釜山?

釜山駅、 近くの街角
2011年も、もう2月半ばです。今朝、釜山も市街地まで、うっすらと、雪が被り、一面の冬景色になりました。
それでもクリスマスから、1月半ばまで続いた底冷えも、既に過ぎ去り、昨晩は近くの東莱MEGA・MART(大型スーパー)も、バレンタインのチョコを買い求める人たちで、一杯でした。ここ最近釜山では、街の至る所で、新空港建設運動の垂れ幕や、広告がいたる所で目につきます。
韓国政府が、推し進める仁川(インチョン)を核とした首都圏を巡る一大プロジェクトと、釜山のような地方都市の浮沈をかけた生き残り合戦。
一般人では伺い知れない、戦略的なプロジェクトを推し進めて、綱引きしながら、今現在も、日々進んでいる様に、近代的で且つ魅力的な街に整備されて行くのでしょうか。
艶やかに彩られた、もう今では、珍しい寝台車、食堂車を曳く 旧型車両・ムグンファ号
ここに来て、身内を含めて、戦争のことや歴史のことを話すことは、ありません。竹島を初めとして、日本のことが話題にのぼる事も稀です。(唯一度、カンのオモニが、ソウルのもっと北の江原道(カンウォンドウ)から、戦時、生まれ育った家を捨てて避難し、その行程で、弟さんを亡くして、抜け殻のようになった母親を引き摺りながら、釜山近郊まで辿り着いた話を、涙ながらに話をした、それきり。
[youtube width=”320″ height=”250″]http://www.youtube.com/watch?v=Ulq2GPh7fR8[/youtube]
(そういえば、つい、先日の九州、宮崎の火山噴火のことは、珍しく大騒ぎしていたが。)
ただ、面白いことに、近時、大ヒットして、色々なジョークのネタや、そこで使われたファッションも話題になっているドラマ、「シークレット・ガーデン」に象徴的に使われている、主人公の居住する邸宅の雰囲気(デザイン)や、シチュエーションが、北海道の著名な菓子舗「六花亭」が1980年の後半から、暫時、増設し整備してきた「中札内美術村」と、酷似していたり、劇中のクライマックスの場面での、海沿いを走る一本道が、道東から、稚内へと連なる道北の国道沿線の、風景にみえたり・・。
道北 オホーツク・紋別郊外の 国道238号線 冬の海岸線
[youtube width=”400″ height=”250″]http://www.youtube.com/watch?v=ZgzTi2X8jBY&feature=related[/youtube]
とにかく、なんだかんだ言っても、近いことは、近いのかなと、ひょんなところで、体感したりします。
釜山 の 港 (チャガルチ市場 裏手より)
自分の中の、くだらない私案は、釜山で、「探偵物語」の韓流版のリメイクを撮ってはと、いうこと。1970年代の横浜の港湾倉庫エリアの一角に、あの知る人には、なんともノスタルジック”な工藤探偵事務所”はあったような。
で、今の釜山なら、まだ日本のあの頃の風情を、再現できる気がする。港、うらぶれた路地裏、相半するように造成され林立するビル群そして、道路を神風タクシーのように、獰猛に走り抜ける車・バス。極めつけは、韓国名物、信号も黙殺・歩道も突っ走る、宅配サービスのべスパの勇姿。言わずもがなに、あの蘇る金狼・・ではなく、松田優作とその仲間達(笑)を思い出して、しまった。
[youtube width=”300″ height=”250″]http://www.youtube.com/watch?v=UWC0B17z1XI&feature=related[/youtube]
それと、長身でアクションをこなす韓国男優の中には、残念だが、日本の俳優より迫力のある新たな「探偵物語」を再現する予感が、些かでも感じてしまう。どんどん変化しているとはいえ、粗野と情がないまぜになっている韓国の醸す風土と気質の性か。
ところで、最近、韓国食の本当に安くて、体に美味しい、名ばかりでない薬食を提供しているお店を見つけた。ビジネスであっても、観光であっても、是非、単なるB級グルメではない、韓国食の魅力を感じて欲しいです。

2010年 年の瀬・センセーション、フラストレーション・・(笑)

釜山 新世界デパート のクリスマス デコレート

2010年も、もう12月。冒頭でも、書きましたが韓国に来て、3度目のキムジャンの時期を迎えれば、後は瞬く間に、クリスマスから、大晦日へと、雪崩れ込んで行きます。

ここ釜山にきて、まる2年。

自分達が考えている以上に、釜山のインフラも、日本から韓国へ、韓国から日本へ行きかう人の層や、目的も移り変わっているのを、この仕事を通して、また、ここに住んで、生きていく中で、感じました。

仕事においては、もっとそうですが、机上のデジタルな話ではなく、現場レベルでの話しでは、まさにそれぞれの国の習慣や、考え方の違いから、「なんで、こんな基本的なことが、わかって貰えないのか?・・」といった、お客様からの憤りなども、共感しつつ、

もう一方では、それぞれの人達のバックグラウンドの決定的な違いを考えると、違うのは仕方ないことだな・・と、思ったり、そのひとつ、ひとつが、とても貴重な経験であった気がします。

2010年、続々と、飲食テナントが、カフェへと 変わっていった (南浦洞にて)

このブログの更新が、滞るのも、通訳業等と平行して、中高生に英語と日本語を教授する小さな塾を運営していた為だが、それを通して、巷で喧伝される、「躍進する韓国企業」の勢いとはまた別の、硬直した、権威主義的な価値観の中でもがく、韓国人の日常と相対してきた。

カフェ 2
金曜の夜 渋滞する 西面 の 夜
ちょっと、路地に入れば、やっぱり、南浦洞は 南浦洞

で、なんかまたしても、長い前置きになりそうなので、結論からはいりますが、日本も韓国も、中国云々といいながら、欲しいものや、なりたいことは、中国から来ているものではないという、端的な結実。

2011年は、日韓の交流も、喧騒をより喧しくしながら、拡大すると思われます。そうともなれば、国や民族や慣習という根源的な洗脳の呪縛を越えた、共感性に、フォーカスすることが、どんな状況にあっても、必須なのかなという気がしてしまいました。

それにしても、習得するのも、教えるのでも、言語は、一朝一夕で身につくものではなく、それ以上に、モチベーションの強さ、持続力、そして実践力以外に、仕様がない事を、実体験で学ばされました。(というより、なんでも、親が先回りする社会の効率性と、脆弱性の両端に振り廻されるのに、辟易したり、大変だなぁ・・と思ったり)

韓国でも、今の受験英語教育のシステムが、「実際に、話ができて、活用できて、なんぼ。」という発想に変わらなければ、英語トラウマの子供を増やすばかりで、親御さんも大切な投資金を、ドブにすて続けることになるのは、必至。

いかん、いかん。ここは、愚痴をいう場所では、アニエヨ。

明後日は、今年、最後だと思われる、遠征での通訳に、釜山よりバスで2時間余の、全羅道の小さな街に出かけます。KTXも、全線開通したし、来年は、ソウルにいくことも増えそう。

子供たちの受験が、なんとか終わり、新たなサービスの準備に、暮れは、費やすことになりそうです。

そして、クリスマスソングでも、k-popでもなく、日本のNO.1ヤング・バンドRADWIMPS(ラッドウインプス)を、聞きながら、12月の釜山を駆け回る現況^^。

あ~、でも、日本の年の瀬が、懐かしい。

対馬まで、見渡せそうだった、これまでで、視界NO.1だった 海運台の 海

G-STAR2010 PCゲームの国だから、熱い!?

ゲームメーカーのアトラクション ブースでの キャラクター実演

はっきりいって、当事務局の両名は、PCゲームでは門外漢だ。こちらにきて、「ゲームは、よくするの?」と聞かれ、「いや、しませんね。」というと、本当に怪訝な顔をされる。任天堂や、Playstation等、ゲームのメッカ(笑)の国から来ているのに、何で?という感じからか、

それとも、街に溢れているPC房でオンラインゲームをする事が、大切な憩い(決して、子供達ばかりでなく)のひとつになっているお国柄のせいか。

中韓のゲームメーカーが、一堂に会したG_STAR2010会場 釜山 べクスコ

今日は、「釜山の面白い場所を」とおまかせ下さった、お客様をともなって、たまたま開催されていた、かなり大規模なPCゲームのイベントに、潜入してみた。

それにしても、このセンタムのコンベンションセンターは、いつも稼動している。短期間の間に、ブースが設置され、また瞬く間に、撤収されるさまは、まさに、ソウルから見れば一地方都市とみなされながちだが、さすがに360万余を擁する釜山の、面目?躍如である。(ちょっと、ありきたりですかね。)

会場入り口

明日の土曜日は、馬鹿混みするのがわかっていたから、平日の今日を狙ってみた。それでも、既に沢山のゲーム慣れした、釜山の若者が大挙していた。

会場 に はいってすぐ の 光景(笑)

とにかく、韓国の甥っ子たちが、空き時間があれば、家のPCはもとより、テストが終わればすぐ、駆け込んでいくのが、オンラインゲームのPCバンだ。勿論、任天堂のゲームも、大人気だが、ケーブルテレビでは、2局も対戦型ゲームの専門チャンネルがある。

そんな韓国のメインストリームとも言える、ゲームのイベントだから、熱気がない訳ないのである。

イベント会場 の 模様 1

日本でも、こういうアニメとか、ゲームとかのイベントに行ったことがないので、どんなものかなとは思っていた。とはいえ、こちらも何といっても、嘗てはゲーセン世代である。永らくのロハス生活(爆)のブランクがあるといえ、なんとはいっても、*チョヌン イルボン サラミ エヨ*である。

楽勝、楽勝とばかり、思っていたけど、会場にはいるなり、の大音響と、瞬く閃光に軽く、眩暈が。

対戦型ゲーム の 公開 実況解説

日本とは、また少しく異なる進展で展開し、PCキーボードを使用する韓国型のゲームと、日本が熟成させてきた体感型のゲームが、渾然一体とかなり広めの会場いっぱいに、展開されている。

色々なブースで、思い思いにプレーする若者 

音楽や、映画なら、今のトレンドをフォローすることもできるが、いかに、ゲームの情動というか、神経に作用するエフェクトと暫く、無縁な生活をしてきたかに、気づかされる。どんな時代でも、その時代が生み出すメディアやツールと、馴れることで新しい技術や、ひいては文化を創ってきたのだろうから、と思うが、ま~それはそれ、人それぞれということで。

大きなプロジェクターで映される、ビジュアル エフェクト

もう、明けてしまったが、今日19日(土)は。かなり人気の、歌手やタレントが来て盛り上がるらしい。「少女時代」ではないようだが(笑)

追伸 おまけ

べクスコの3階には、バイキングのレストランがあるが、地下一階には、イタリアンの綺麗なリストランテもある。ちょっと、小粋な韓国風インテリアショップも。

べクスコ 地下一階 の レストラン
同じく、地下一階の韓国伝統工芸アレンジの インテリア、小物 の 店

東莱 (忠烈祠) の 秋

東莱 チュンヨルサ(忠烈祠) の 秋

釜山の秋も深まり、昨夜も夜に海運台を歩けば、夜の海風はもう、初冬を思わせる風情。秋の風情も、なかなか味わう事もできずに、過ぎこしている中、昼間のあいた時間に、近くの(忠烈祠)チュンヨルサに、足を向けた。

釜山も、海岸線に沿って、どんどん都市開発が進んでいる。そんな中、自分達の住んでいる、東莱のエリアは、釜山では古い歴史を持っているエリアだと、されている。

(忠烈祠) の  秋 2
たわわに 実った カリン 

そして、韓国、ことに釜山の史実ともなれば、侵攻したのは、大抵、日本ということになる。それでも、何故か、不思議と、このチュンヨルサには、時々、足がむいてしまう。慌しく、過去など振り返る暇もない日常は、ここ釜山もなんら変わらない。

それでも、高層マンションが、どんどん増えていき、工事中と雑踏が入り混じる中で、忽然と、常に整然と整備され、数多くの在来の樹種が配置され、鳥がさえずり、涼やかな気を湛えているこの場所は、古のエレジーに、おごそかな気分を醸されながらも、何故か懐かしくこころ落ち着く場所なのだ。

(忠烈祠) の 秋 3
(忠烈祠) の 秋 4

今は、本当に転換期だ。ここ、釜山も3ヶ月ぶりにどこかへ行くと、瞬く間に、雰囲気が変わっていたりする。拙速というのは、容易いが、とにかく「やる」と決めたら一気にことが進んでいく。乱暴というまでに、進展させていくのが、ここの人の持ち味だ。

この慰霊の場所も、来るたびに、ベンチを多く配置した散策路が新たに整備され。観光案内所が、置かれ。無料開放の日を増やして、やんごとなき場所から、市民の憩いの場所として、体裁を異にして行っている。

チュンヨルサ(忠烈祠)の秋 5
(忠烈祠) から、垣間見る 東莱 の 街

いやはや・・何とも 釜山 now 2

第17回ITS世界会議釜山2010に、自動車関連ポータルサイト様の通訳として、参加

このところ、たてつづけに、大阪、九州、東京の企業から、通訳のご依頼を頂き、毎日、慌しく過ぎこしていました。日本国内の、失われた10年どころではない、無政府的な営々と続く迷走にたまらず、ここ釜山へも本格的に、生き残り、いや、新たなビジネス・チャンスを探りに、日本のビジネスマンの方が来られています。

釜山は、360万余りの韓国第2の都市とはいえ、国の中枢機能は、9割が首都・ソウル圏に集中しています。機能が集中するという事は、国の予算も、そこに集中する、ということであり、釜山も政府に大声をあげて、働きかけているよう。

だからこそ、釜山のセンタム・シティのべクスコのコンベンション・センターを中心に、様々な民間セクターの国際会議を誘致して、外国からの投資の端緒を掴むべく、努力している。

このたび、東京の自動車情報・総合ポータルサイトさまに同行して、当事務局の通訳カン・ランニョンも参加させて頂いた、ITS(高度道路交通システム)世界会議も、関係者総員3万人の規模で、行われた。ITSの分野で、虎視眈々と次世代のイニシアティブを獲るべく、この分野に造詣の深い、トヨタ自動車(株)の豊田章一郎名誉会長も、直々に来場して、視察されていたらしい。

自分達も、この2年あまり、この釜山訛りの飛び交う海の街を、歩いてきたが、異国で、益して、日本と、複雑な係わりを持つこの国で暮らすと、日本の国がこれまで謳歌してきた生活の質(文化レベルではなく、利便性レベルとして)は、世界の中でも稀有なものであった気もする。

そして、それを維持してきたのは、日本の国の官吏ではなく、まさに民間企業の海外へ賭した、バイタリティであったのではと、この仕事を通して、改めて気づかされる。

韓国のひとに、それを言えば、怒られてしまうだろうが、まさに、韓国ほど、インフラのモデルが、日本を志向している国はない。

近年、相克を抱えながら、一気に交流が加速した日韓。既に、ニトリで廉価な家具を買い、ユニクロの価格やクオリティに慣れてしまった国が、内向きでいることは、ある意味、欺瞞であると言われても、仕方ないことではないかと、ここにきて、慣れない風俗のなか、汗を流している方を見ると思ってしまう。

これからも、本当に力およばずながら、自分達のできる精一杯で、自分、自社のプランを持って、韓国と日本を行き来きするかたの、手助けができればと、不遜で生意気ながら、強く感じいった次第です。

ちなみに、この会議の詳細については、自動車情報・総合ポータルサイト「レスポンス」上で、ご覧いただけます。ここを、クリック=> #mce_temp_url#

PS

それはそれとして(笑)、釜山もこれから、紅葉本番です。韓国のコマーシャルでは、日本の観光広報大使「嵐」が、일본에, 오세요. イルボネ オセヨ (日本へ、いらっしゃい!!)とやっていますが、

どうぞ、これをご覧になっている、あなたさまへは、부산(釜山)에, 오세요. 秋深まる、釜山へ、ふらっと、お越しください。

熱帯夜に、ミルミョンを想う(--)

センタム・新世界デパート前 の 現在地からの世界主要都市の方角と距離案内

色々あり、暫く、更新できませんでした。というのに、釜山の日差しは、また、真夏に逆戻り。暦は、いつのまにか、9月に入っています。今まで、ご利用頂いた方は、北限・東京ですので、「あいかわらず、暑い日々、いかがお過ごしですか?」などといえる現況。本当に、この暑さで、皆さん、熱中症はもとより、食中毒に要注意。

ここ暫くは、炎天下の中、歩き、ミルミョンで涼む、といった按配でした。舌が、化学調味料や、添加物キラーとなっているので、ここは!と、納得したところは、繰り返す使うことになる。

いつも、冷え冷えの 東莱・メガマート裏の 伽耶ミルミョンのミルミョン コシの強い麺がうまい

クーラーのない部屋で、これを書いてるせいか、余計に、また、食べたくなってしまう。(笑)

釜山に来てから、後、2ヶ月で、2年になる。こんなインターネットで結ばれた時代なのに、色々な懐かしい人たち、大切な人達との音信も疎遠になってしまった。自分の不徳に他ならないが、自分の現実とそれらの方の現実の乖離の度合い、取り巻く状況の違いを考えると、大切な思い出を、今のこの一時の感興で、壊したくないという、錯誤もはなはだしい、センチメンタルな、体のいい、いい訳に過ぎない。

ただ、現代の一度、席を失うと這い上がるのが、極めて難しい現実と、異国でも十二分に直面している。

豊かさを、物質のみに仮託して、その対価の得失を問わない風潮は、日本だ、韓国だに留まらない。世界の人達の幸せをなんて、白々しい事はいいたくないが、お世話になりながら、お礼のひとつ言えず、ここに来ることとなった方々、また、これまで、このサービスを利用して頂いた方々に、なにやら、とってもお礼がいいたい、熱帯夜であります。

PS そういえば、この間、珍しくお客様を、新世界デパートにひっぱっていった。ひいきの引き倒しはしたくないのだが、新世界は、デパートはひとつの文化なのだという、雰囲気を形づくろうとしている。年寄りも、若者も、勿論、そのスペースの巨大さのみならず、サービスの一寸した対応。到るところに、誰でも腰掛けられるソファを配置して、誰もが、気軽にカンフォートな気持ちに浸れるように、配意されている。

イベント・スペースでのドイツで修行された、著名な女性陶芸家の方の展示だったが、撮影禁止の表示にもかかわらず、こころよく許可してくださった。過日は、携帯を落として、取りに行った時、保管してくださっていた、SPAの係員の方の真摯な対応。。かえって、迷惑になるので、ここまでにしますが、釜山にきたら、是非、遊びに行ってみてくださいね。

真夏こそ、ハングル^^ 海運台で、ハングルを喋ろう

押し寄せた人の熱気のせい?ではないだろうが、蒸気で「白く煙る海運台」は、少し涼しい風が吹いていた。

昨日の昼過ぎの空き時間に、1日の日曜日に、300万人の入場が発表された、海運台ビーチに早速行ってみた。週明けの月曜日だが、ウェスティン・朝鮮ホテルの裏手の駐車場もびっちりで、さすがに渋滞、冷房が、がっちり効いていて快適な座席バスを、早々に飛び降りた。

欧米系の人が多い、普段の海運台と違い、東南アジア系の人や、インドの人が目立っていた

夏の海運台ビーチは、地元人は避ける人も多いが、昨年から見ても、早い時期から、今年は国際色がとみに豊かだ。とはいえ、アジアのビーチ。自分も,こんなパラソルで埋め尽くされた海岸をみたのは、初めてだ。

ぼ~っとする程に暑い、午後1時の西面より40分あまりかけて、降り立ったビーチは予想外に涼しかった。同じ釜山でも、やはり海は海である。

普段は、滞在する外人で、いっぱいのこのカフェ・バーも、喧騒明けの昼間で、静かに佇む
普段は、活気のある呼び声で、パワーいっぱいのアジョマも、店先で暑さと疲れで、うたた寝していた

とにかく、四季おりおりに変わるビーチの表情は、飽きることがない。

で、強引ですが、そんなストリートも、ハングルができれば、もっと楽しい。音声を聞きながら、あなたも夏の釜山へショート・トリップしてみてください。  本当に、釜山に来た時、役にたちますよ^^

通訳・カン ランニョンの 聞いて・つぶやく韓国語音声・街歩き編 ここをクリック !!

言葉の通じない”隣町”を楽しむ 夏!!

帰宅途中の、東莱の週末の風景

もう、暦は8月を指している。今日から、韓国は全国的に、3日間程度のサマー・ホリデー。MBCの夜のニュースでは、海運台ビーチの客の入りが300万人と、発表されていた。俄かには、信じがたいが、本当に凄い活気である。まさに、夏のプサンの面目役如といったところ。

そんな中、今日、自宅に戻ると、先週いらしたお客様からの、EMS郵便が届いていた。昨秋、このブログを始める機縁ともなった、福岡(博多)の方々が今年は、猛暑の暑さの中にお越し下さった折の道中のお写真を、CD-Rにいれて送って下さったのだ。

同じ病院で働くかたが、年に一度、もう幾年も、16人余りのメンバーで、この釜山を、訪れておられる。今回も、来られたのは福岡発の高速艇ビートル。前回、南浦洞でお別れする時、自分達が名残り惜しそうにしていたのを、気取られたのか、「来年も、また必ず来ますから・・。」と仰られていて、また秋には、お顔が見えるかもしれないな~と、思っていた。だから、それは、とても嬉しかったのだが、ただ・・。

丁度、火を噴くような暑さが3日間続いた後だっただけに、散策とショッピングが目的との仰せ。どうしたら、この暑さを、巧く出し抜けるかが、心配になった。夜はメンバーの方が、TVで放映されていたという機張(キジャン)の趣向も、雰囲気も、なかなか韓国風情たっぷりのレストランへの逆指名がかかっていたので、ショッピングの合間に必ず、お気に入りの伝統韓国茶店で、喧騒からひととき逃れて、釜山の大人の昼下がり(笑)を感じて頂きたいと思っていた。

冷製の 韓国伝統茶 で、 南浦洞の 暑~い午後を、皆さんとひと涼み

チャガルチで、お刺身を堪能されて、もう、軽~く、できあがっている皆さんと、再会。でもそれを、喜んでいる暇もなく、案の定、熱波が、わが一団を、襲ってきた。

「あっつ~~。」

「いや、今日は、ここ暫くの中ではチャガルチは風が吹いて凌ぎやすいですよ~。」

などと、誤魔化したりして^^、エスケイプするエアコンのあるコンビ二や、スーパーを眼で追いながら、週末の南浦洞の雑踏を、麦藁帽子を露天で調達しつつ、真夏の巡行。

地下商店街では、青磁の骨董を所望されているのに、店主不在、留守中のテナントが勃発。まわりのお店の方が、急遽、代理店主、宜しく、販売してくださったりと、釜山らしさを堪能?しながら、今年はなんとかお茶屋さんに辿り着く。 で、皆さんに喜んで頂き、チョッと胸を撫で下ろす・・。”素・・” 韓と和の折衷されたいいお店です。

機張 の 韓国伝統 黄土造りの レストランの 全景を模した看板

そんなこんなしながら、釜山鎮市場にはお連れできず・・機張のレストランへ。松亭(ソンジョン)を抜けて、機張に行くルートは大好きな行程なのだが、場所がわからずにパニックに陥ったタクシーの運転手さんの、「やめて、止めて。by 竹中直人」 状態の暴走パワー満載の運転で、油汗をも垂れ流がしながら、なんとか機張、到着。

鴨肉と、無農薬自家製 野菜の 伝統メニュー の レストラン

ついてみると、そこはちょっと茅葺屋根と黄土の壁が、なんとも韓国のいにしえの懐かしさを醸しだす、まさにウェルビーィングなフックのある、素晴らしい韓定食のレストラン。鴨肉料理と、自家製を含めた野菜を釜焼きする、独特あるいは、伝統を再現したコンテンツ。

レストランの 名物料理 オリファントカマグイ  (鴨の黄土釜焼き)
タンホバクユファンオリ (カボチャと鴨肉のロースト) 美味という以上に、滋味をいただく 献立

鴨肉料理の由縁と、効能等は、このリンクを参照して頂くとして、こちらが「教えて頂いて、ありがとうです。」という風情のなか、博多弁が聞こえる、わきあいあいとした宴の輪に加わらせて頂いた。

釜山~福岡(博多)の直線距離190キロ弱。その性ではないだろうが、隣町のようにこの異国の地を屈託なく楽しむ方々の中にいるうち、韓国スランプ(笑)に陥っていた自分にも、釜山の新たな一面と面白さが、由なく、そこはかとなくたぎってきた。

道中、長崎出身の方に、「釜山は、山や島が連なっている感じで、長崎に似ている気がするんです。」という話も聞いた。 う~ん、ますます、歴史は国境を越えて深い。

註 (写真は、送って頂いたものを、拝借^^)