韓国・釜山は、10月を迎えました。私どもは、韓国にはおりますが、日本のお客様に対して、サービスを提供させて頂いております。今日の釜山は、まさに秋晴れで、涼しいと思えるほどの気持ちのよい風が、麗らかに吹き抜けていきます。
朝のTVでは、日本をもう今年何度目になるのか、縦断した台風の影響が夜が明けて、明らかになり、それでも度重なる天災で、収斂している思いきった対応で、韓国にいれば10年に一度起きるかの災害を、ひと夏・秋で受けて、それでもすぐ復興していこうと頑張る。
長きに渡って関空(KIX)からのお客様を迎える、また、日本での案件に関しては、関空に降りるというのが結構、習いになっておりましたので、まさか関空自体が、水没するなど考えていませでしたし、幸い、当時、本当のところはどうかわかりませんが、大阪のお客様の会社自体は、「うちは、大丈夫です」と皆さん、気丈にも仰られておりましたが、9月の私どもの案件も、偶然、大阪からのお客様で予定されていたものが、全て順延になったほどでしたから、現場の大変さは、いかばかりかと思っておりました。
そのうえで北海道しかも、千歳圏ないしは札幌をほぼ直撃する地震が起きるなどは、予想だにしない事で、ありました。
自分が長きに渡り過ごした場所の、信じられない光景は、他の被害地域の大変さを思う事とは、また少しく違う感情を、惹起させました。
そんな中、こちらに戻る、日本での最後の一年間、本当に小さな韓国語の教室をしていた時の生徒さんが、ある方の訃報を知らせて下さった。「Nさんが、ご逝去されました、ガンでなんども手術して。ランニョンさんにも、何度か、手紙を書いたんだけど返事がなかったと、悲しがっていました。」なにか、撃たれたような、言葉では説明できない衝撃と、北の辺で、吹雪のなかも、本当に嬉しそうに熱意を持って、至らないその方から見れば若輩の私を、女手で水産加工場を切り盛りする女丈夫でありながら、「先生、先生」と慕ってくれた、その方の背筋を張って勉強する姿が、昨日のことのように、甦ってきました。
本当のことを言えば、その時のできごとの全てが濃密で、そして、それは言葉では説明し難いことに思えて、でも、それはもう戻れないことでもあるのだからと、その思いを業務に託して、それを糧にここでも頑張ってきたのだと、思っていました。
日本と韓国を、またこの台風が鎮まれば、沢山の人が行き交います。今回、日本政府は、北海道割りという、北海道への思い切った支援を敢行するようです。私どもも、内容を詳しくは精査していませんし、災害を受けてきたのは、北海道だけではないという方も、おられましょうが、秋から冬にかけての北海道を楽しむには、画期的な試みと思います。どうぞ、北海道を走り廻った人間が言うことですので(笑)、釜山ともども、足を運ばれてください。