コロナ禍の中の”兄の死”と受け継がれたバトン。

2020 4月17日の、釜山、海運台ビーチ。
コロナ禍の中、家族葬で、見送りました。カン ビョンオン 享年、57歳。

皆さん、お元気でしょうか?

私が、そうであったように、沢山の方が、身動きがとれなかったり、ライフラインの防衛も困難な中、未曽有の事態に、懸命に相対されておられる事と存じます。

ところで、私ごとですが、過日、長患いしていた兄が、釜山からソウルに赴き、心臓では国内でもトップレベルだと言われている病院で、10時間におよぶ手術の後、ICUでの8日間での面会謝絶の後、一気に予後不良の報を受け、ソウルの姉の家に待機していた他の家族と共に、変わり果てた姿で再会し、悲しむ暇もなく、釜山まで遺体を搬送し、つい過日、葬儀やその後の儀礼を終えて、その備忘に、これを書いているところです。

左端が、喪主を務めた、兄の長男、並んでいるのは、仲の良い姉のところの、兄弟。今回も、女の子を加えた、成長した甥っ子、姪っ子たち6人、本当に、頑張って葬儀を支えてくれました。

もともと、兄は活発な性格で、若い時は、現代自動車の敏腕・営業マンで、韓国のお国柄、家では跡取り息子ということもあり、姉2人に依れば、「オモニもアボジも、兄さんには甘かった、私たちと待遇が違った。」といまでも、口についてでるほど、期待されていたそうです。

私は、マンネ(末っ子)でしたので、いつも「マンネが、キャーキャーしてる。」とか、からかわれたり、頬っぺたをつねられてたりしてました。

しかし、若年性の糖尿病を患ってから、人生が暗転して、ながらく、透析をしながら、辛い闘病生活を送ってきました。今思えば、そんな兄の辛さや我慢強さを、私は半分も、理解していなかったと、思います。

出棺の折も、甥っ子の友達が、朝早くから控えていて、しっかりと、棺を運んで、くれました。コロナ禍のなかの、友達の親の葬儀に、必死になって駆け付けてくれた若い方たちの姿を見て、若い人たちに、きちんと、大事なものを紡いでいく心が育まれていることを、知りました

兄は成長した子供達と、もっと長く過ごしたいと思ったのでしょう、このコロナ禍のなか、プサンの病院ではリスクが高く手術できないと言われたオペに臨みましたが、その願いは叶えられることは、ありませんでした。

でも、今、韓国も日本同様、大変な過渡期で若い人にも、楽な時代ではありません。そのなかで、小さい時に、母親と離別し、おじいさん(私の父)、おばあさん(私の母)と、そして闘病の父親と、みんなが頑張ってきて、立派に育った喪主を務めた、甥っ子・姪っ子を見て、また、それぞれの沢山の友達が異常事態の状況下のなか、遠くから、駆け付けてきてくれて、肩を抱き合っているのを見て、兄もどんなに喜んだことだろうと、思いました。

本当のところは、病院に対する憤りや無念さも、ありましたが、まだ若くして死んだ兄に、不詳の妹ができることは、兄さんの分まで、しっかりと生きていくことだと、思った次第です。

釜田市場に、買い出しにきている人々。
人がびっちりで、びっくりした週末の、広安里ビーチ。

話は変わりますが、今日、2020年4月20日、現状、韓国では医療崩壊はおきておらず、また、物資の買い占めによる混乱、また、食料の入手の困難さなどは、おきていません。

さきの選挙で、政権を掌握した与党は、5月よりは、コロナの防疫は続けつつ、本格的な経済の正常化にシフトすると、言っています。

今現在、日本から韓国への渡航は、韓国への入国ビザを取って、入国した後、24時間以内に病院で検査を受け、陰性判定の後、2週間指定、確定した場所で軟禁され、というところですが、下にその体験をされた、西日本新聞の方が記事を書かれておられるので、参考にされてください。

韓国釜山渡航の、最新・体験情報。※入国、および、入国後の実態について。

また、日本で受けるのが難しいと、言われている、コロナの判定検査で、キットを扱っている情報が、それなりに信頼できる筋が入りましたので、参考までにシェアさせて頂きます。※わたしどもに、利害のある案件ではありませんし、私ども自身で確認したものではないので、そこのところは、ご了承ください。

コロナの検査キット 。

マスクについては、通販を使いますと、韓国のほうが入手はし易いみたいですが、価格は汎用性商品が、50枚入りで、5000円弱位です。

大変な状況下であり、人のことを言えたギリではないですが、精一杯工夫して、この事態を乗り越えましょう^^。

広安里漁港、突端からみる、トンベク、 マリンシティ 。
広安里ビーチ界隈も、新築マンションの建設ラッシュです。