釜山のフードバンク活動&”靴の贈り物”

フード・バンク活動で、靴の贈り物?でも、ふたを開ければ・・・

本当に熱夏というか、日本と同様、暑い暑い、夏本番を迎えております。釜山は、海風が吹き抜ける、海浜・ビーチ・シティ^^でもありますから、南国ムードも漂い、まさに夏の趣きで、それもいいと、思いたいところですが、外廻りの業務では、自分の身を守りつつ(笑)、お客様に負担をかけず、さりとて、海の都市で海浜観光が手軽に楽しめ、且つ(笑)、懐かしさと新しさが同居する、”釜山らしさ”を感じて貰えますよう、気を配っております。

ただ、有難いことに、釜山もロッテデパートや、新世界デパートを筆頭に、その拠点、拠点で、ショッピング・モールなどのインフラも整っておりますし、市中に、小休止するカフェもかなりの数ありますので、そこで、ミルクベースの氷に、マンゴーや、ブルーベリー等をふんだんにアレンジした、パッピンスを楽しんだり、無理はなさらず、どんどん新しくなっている、「釜山のハイシーズン」を、お越しのかたには、楽しんで頂たく、思います。

釜山に限らず、韓国は、パッピンス天国。カレーライスに、一見、見えますが、フローズンマンゴーと、ミルク仕立てのアイス

本当のところは、パラソルが並ぶ、リアルタイムの、海運台、広安里、松島、松亭等、各ビーチの現況をお伝えしたいところなのですが、私どもの主たる業務である、ビジネス・サポートのなかで、どんな形で、またどこまで、サービスを提供すべきか、またできるのか、思案させられる状況が多々あり、ひとつ、ひとつの業務がそれぞれ、お客様、双方、そして、私どもにとっても、”生業”であるなか、頭を悩ます日々を連ねる、近況が続いておりました。

釜山環境公団 廃棄物処理施設(水営区)

そんななか、愛知の大学の先生から、7月の上旬・釜山に学会も兼ねて行くので、釜山のフードバンク活動や、食品の廃棄・リサイクルに対する取り組みについて、行政、ならびに関係団体との面談のアポ取り、研究調査のサポートのご依頼を頂いておりました。

これまでも、同様な学術研究のサポート、歴史にかんする研究調査、市場にかんする調査、またプロの文筆家、または愛好家の方のテーマ研究調査・同行に、関わらせていただいてきましたので、それは問題ないのですが、”フードバンク”?その存在は、聞いたことはありましたけれど、本当にどんなことを、どんな風にされているのか、ちょっと興味がでて参りました。

今回の業務に関しましては、釜山のフードバンク活動が、前の市長さんが、多岐に分派していた活動を市政の一環として統合し、活動の幅や組織力を強めて推進していくことを、重要な施策とされていたためと、市の食品廃棄施設への訪問・インタビューもあったため、釜山市庁の環境課、沙上(ささん)区役所の担当の方、および、釜山環境公団、釜山広域フードバンクの方々に調整をお願いしなければ、ならなかったのですが、本当に誠意あるご協力をして頂ました。

丸々と育った、コニファーが、お出迎えしてくれる、釜山市庁。環境課の方々をはじめ、大変、お世話になりました。<(_ _)>

フードバンクの活動、並びに、日本に於ける現況につきましては、こちらを、ご覧いただければと、存知ます。セカンドハーベスト・ジャパン

今回、ご依頼を頂いた、愛知工業大学の小林富雄先生(教授)は、一環して、食品ロスの研究と実践、啓蒙に、これまでも尽力されてこられた方で、ご著書、食品ロスの経済学、本年、2月に日本で行われた、「食品ロスを考える国際セミナー」に於いて、パネリストのひとりとして、登壇されるなど、日本における、この方面での、著名なオピニオンリーダーとして、ご活躍されておられます。関係※ドギーバッグ普及委員会

個人、企業体、メディア、国家を問わず、巷間、本当に様々な情報がおびただしく発信され、眼や耳をこじあけて、「おまえは、もう、遅れている」と、責め立ててくる気さえする、昨今。私どものしている、通訳や翻訳業務も、その業種のプロ同士が、凌ぎを削ってやりとりする中間に入って、短期に足でまといにならぬよう、その世界にあわせて、仲介できなければ、静かに退出を申し渡されるのが、現実。

わたしどもの、クライアントさまが、そうなのか、”椅子にあぐらをかいている”ようなお仕事を、されていないかたばかりなので、こちらもそれをこなす事で、手一杯。

そんな中、今回、昔は少しはそういった事象にも、関心を持っていたこともあったのに、日々に追われて自分の視界からはずれていた、リアルの世界が抱えている光と影を、垣間見せられ、また、それに対応しようとされている方々の取り組みの一端を、知ることにも、なりました。

釜山広域フード・バンクの輸送車。提供される物資の運搬コストも、大きな懸案のひとつ。

ところで、普段は、どんなアポイントメントの取りまとめにおいても、インタビューのご協力をお願いするにしても、情報は頂いても、実際の交渉や確認を、人まかせにした事はなかったのですが、フードバンク活動に尽力している、実際の団体、企業さまの紹介は、釜山広域フードバンクのほうに任せてもらえないかと、お申し入れがあったので、事情説明も3度ほどして、指示のあった書状なども即刻提出し、状況を固めたので、一抹の不安は、覚えつつも、おまかせする事にしました。

ところが、ほかの案件が立て込み、それに忙殺されるうちに、訪問予定の2日前、その間も、「ご挨拶したいので、訪問先をお願いします。」と、連絡しても、お忙しいのか、なかなか訪問先を開示してもらえない。それで業を煮やして(笑)、フードバンクの本部事務局まで、おしかけたのですが、お忙しいのは、予想通りでしたが、わたしどもの申し出を、ぞんざいに扱っていたのではなく、訪問をより意義のあるものにすべく、本当に熱心に活動されているところに、案内したいというご配慮から、関係各所とも連携して、段取りをつけてくださっていたのでした。(この仕事をしていると、色々な経験から、”取り越し苦労の鬼”なってしまう (>ω<、)”、お許しを。)

そして、紹介していただいたのが、沙上(ササン)のセビョク市場で行われている、”わかちあい冷蔵庫”等の活動、それから、子供靴を専門に作っている靴工場。福がくる、わかちあい冷蔵庫、過去記事。

え?フード・バンクで、靴~~、どうしよう。工エエェェ(´゚д゚`)でも、もう時間がない!!でも、フードバンク本部の方の、活動に関する、こぼれ話や苦労話を語る佇まいから伝わる雰囲気に、何かあるから、”靴の工場”なのだろうなと、賭けてみることにして、当日を迎えました。

沙上(ササン)の새벽(セビョク)市場。セビョクとは、明け方の意味。
この冷蔵庫に、市場で売られている野菜の、若干、古くなったものを、提供してもらうことから、始まった活動も、今では取り組みが浸透し、市場の店が自発的に、劣化していない食材でも、寄贈する、食材も惣菜にして提供する、という段階に進んでいると、いうことです。

韓国におけるフードバンクの活動は、IMFの過酷だった金融危機以降から現在にいたるまで、それまで以上に経済格差が大きくなった状況下で、本当に食べられない人の救済策として、ここそこで自然発生的に起こった”わかちあい活動”を国策の一環として国が支援・組織化し、釜山においては、タボクドン事業(多福洞=村)として、食にかぎらず、窮乏者共済のトータルな支援の枠組みのなかで、フードバンク活動も営まれています。

その中で、ご紹介を受けて、沙上区の새벽(セビョク)市場を、訪れたのですが、沙上区は釜山のなかでも、こういった活動に熱心で、今回も区役所の担当の方が、付きっ切りで、案内してくださったのですが、その熱心さと現場の市場の方との、コミニュケーションのスムースさに、活動を継続されて来られた歳月を、感じてしまいました。

活動の継続は習慣となって、새벽(セビョク)市場に息づき、食品の供出をアナウンスすれば、劣化品でなくても、各々のお店から自発的に食品が持ち寄られ、現物のみならず、調理されたものを届けて、利用するひとの惣菜に寄与する、ような現況だ、そうです。伺うまえに、お電話をした市場の責任者のかたも、はじめは「研究者のひとのインタビューなんて、何言っていいんだか、わからないから、あんたが、シナリオをかかなきゃ、だめだよ。」とか言われて、いたのが、皆・わきあいあいとした中で、活動の話がなされて、最後は「こういうのも、たまには、楽しいね。」と、笑っていってくださいました。

子供靴専用の、靴製造会社。整然とした雰囲気のなか、ブランド靴の製造が、行われていました。

そして、これも沙上区(ササン)の靴工場に、迎いました。沙上区は、もともと中規模工場の集積地で、ことに、靴工場は、ながらく、靴製造の通訳仲介も行ってきているので、足しげく通った、いや、ている、場所なのですが、一見、整然とされ小ぎれいな佇まいは、私が通いつめていた、靴関連工場とは、ちょっと赴きが異なる感じでした。

オーナーご夫妻が、この義援活動(※その仲介を、釜山のフード・バンク事務局が行っている)に係わるようになったきっかけは、ある時、靴の原材料の規格が急に変わって、大量に出庫できない靴を突然抱える事態になった時、「廃棄するくらいなら、誰かに使ってもらいたい。」と区役所に問い合わせをしたのだ、そうです。

それで区役所がその靴を受け取り、児童養護施設等に寄贈したのだそうです。すると、児童養護施設の代表の方から、「子供たちが、すごく喜んで。本当に、有難いことです。それで、大変勝手なお願いですが、今後も少しでも同様な寄贈をお願いできれば、本当にありがたいのですが・・。」と感謝の言葉と、お願いを貰ったのだそうです。

以来、その寄贈を続けると同時に、フード・バンク活動を含めた、慈善活動を熱心に行うように、なったそうです。

「今、釜山でも、靴の製造は決して順風満帆ではなく、厳しいところも多いのですが、おかげさまで、うちは、かなり先まで、予約で一杯です。」と本当に、晴れ晴れとした表情を、なさっておられました。

一番トップのハレーションがおきている、ダメダメな画質の写真が、寄贈された靴なのですが、この一連の話を聞いていて、通訳であるにも拘らず、心のなかで、訳もなくちょこっと、涙がでてしまいました。

これは韓国にかぎらないことかもしれませんが、少子化のせいもあるかもしれませんし、この厳しい弱肉強食化がより加速している世界のなかで、子供を育てることの大変さは、少しくは理解できるにしても、これ見よがしともいうべき、「うちの子さえ、よければ。」,「他人は、つきとばしても、うちの子に、より美味しいものを、いい服を、いい鞄を、いい習い事を・・。」他者を、一顧だにしない風潮。

そんななか、なんらかの事情で、親のいない子供たちは、それをどんな風に受け止めて、生きていくのだろう。

そんな時、劣化した傷物の汎用品でなく、デザインも、モードも、最新型のブランド品と同等の靴が自分の手にのせられ、自分の足に嵌められ、学校に向かうとき、どんな気持ちになったのだろう。柄にもなく、思ってしまいました。(//△//)※勿論、複数の方相手に、通訳していますので、そんな妄想に浸っている暇は、実際には、ないのですが。

廃棄物処理施設外観。

午後からは、釜山市庁環境科を訪れ、面談し、先にこちらがお願いしたデータ資料も早々にオリジナルに編集作成してお送り下さった、女性の担当者の方が、ご親切にも車でお送りくださって、水営区(スヨン)の釜山環境公団 廃棄物処理施設を、訪れました。

処理施設内1
処理施設内2
処理施設内3

ここに来ると、もう小林先生の独壇場で、教授と言っても、本当に、まだ、お若く,フィールド・ワークを、韓国でも、ソウル・済州島(チェジュ島)で敢行されてきているので、どんどん処理施設の最深部まで、入っていかれる。そして臭気がきつくなってくると、「カンさんは、そこで待っていて、ください。」とご自身は、勇躍、最上部まですいすい上がっていかれました。

それが、終わると、慶州(キョンジュ)への学会への参加のため、お見送りもそこそこに、老圃洞(ノポドン)のバスターミナルへ向かって、風のように駆け抜けて、いらっしゃいました。※先生がなぜこういった、研究・活動に勤しむ所以として、「日本に於ける、”欠食児童”・食べられない子供達の実態を知らせる事と、状況の改善が、あります。」と言われたことは、耳にいまでも、残っています。

行程として、私どもの業務のなかでも、長い時間とはいえない、お仕事でしたが、自分達が住んでいる街(都市)の、なかなか陽のあたらない部分を、民間セクター・公的機関に関係なく、取り組み支えようとしている試みを、国の枠にとらわれず、知らせ、且つ、実践、啓蒙することは、今だからこそ大切だと、痛切に思いましたので、長々と書かせて頂ました。

今回、一環して、釜山市庁のご協力が誠意のあるものであり、その言として、「日本との交流に寄与することであり、且つ、日本はこういう事象に関して、先進地でありますから、自分たちもお話を聞く機会を得て、勉強させて頂たい。」旨のことを、仰っていましたが、これからも、違うようで似ている、似ているようで違う、日韓だからこそ、色々な分野で、意見交換、交流する意義は決して、小さくないと思いました。

 

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