映画「国際市場」再び。40階段と、印刷所街から垣間見る、釜山の秘史。

2016年も、いつのまにか、日本でいえば、師走を迎えております。

このブログをアップするのに、手間取るうちに、韓国ではご存知のように、体制に大きな変化がありました。少しでも早く、安定した状況になって欲しいものです。

ところで、私どもの仕事のほとんどが、業務での通訳や翻訳以上に、リサーチに費やされます。ですので、案外、街で目にするもの意外の、流りものには気をつけていないと、すぐ疎くなったりしてしまいます。

それでも、そういう業務で明け暮れてきましたので、釜山の街を、当たり前ですが、日常として、日々ずーっと見てきましたし、今でも見ております。

映画「国際市場」(日本版「国際市場で、こんにちは」)のことは、公開前から、日本の・著名旅行比較サイトで、釜山の紹介をさせて頂いた時にも、いち早く、とりあげさせて頂きましたし、この映画を見た方からの好評は、色々なところで眼に耳にしてきました。

なんで、今、この映画のことをとお思いでしょうが、こういう時期だからこそ、釜山に来られるご予定がある方に、この映画をご覧になってから、お越しになっていただきたいと、先日、久方ぶりに、TVでこの映画を見て、しみじみ思ったからです。

ところで過日。業務で、中区の印刷所に用もあったのですが、他地区から流入する人波で、ごった返す、光復路ロッテ・デパート方面の喧騒を避けるのが本音で、久方ぶりに、「40階段」の辺りに、足を向けていました。

40階段 
40階段
朝鮮戦争、当時の、40階段。40階段文化館の展示写真より
40階段の説明
40階段の説明
昔の釜山の日常を表した、塑像と、40階段
昔の釜山の日常を表した、塑像と、40階段

日曜日の40階段エリアは、中区の近隣のオフィス街が休日なので、ひっそりとした佇まい。それでも、国内外の観光客の方達や、カップルがちらほらと。

塑像2
塑像2
40階段を、上から。
40階段を、上から。

40階段を、上って少しのところの、ビルの5階に、中区の歴史を紹介する小さな記念館があります。

文化館がある道路に昇る、螺旋階段。
遠くに、釜山港を垣間見て。
旅人のための、カフェ・・どんなカフェなんだろう。
とにかく、斜面に軒を連ねているので、階段と階段がその隙間を埋める、釜山の路地の風景。
40階段記念館のあるビルの入り口、ここの5階。

 

たくさんの日本の方が、この地にいた時代もありました。
朝鮮動乱の避難民の群れ、韓国全土の避難民が、取るものもとりあえず、この釜山にあてどなく、押し寄せました。
映画「国際市場」の動乱から避難するシーンとあまりにも、酷似していたスチール。
戦乱のなかの、子供の写真。この、笑顔がなにか、心にのこりました。
避難の生活のなかで、開講されていた、青空学級の模様
韓国全土から、釜山に避難してきた中で、釜山では色々な文化人が、絶望的な状況のなかで、希望の灯を点すべく、文化活動をしていました。この周辺に夥しい、印刷所が集まっているのは、そういった活動の出版を支える為、でもあったことを、今回、はじめて、知りました。
本当に、この一帯の通りは、まさに印刷所ストリート。歩を進めていくと、ノスタルジックな輪転機の音が、どこからともなく聞こえてきます。

日本は、師走で忙しいなかとは思いますが、韓国は陰暦ですので、日本でいえば11月。

釜山出身の映画監督が、その主人公夫婦に、自分の父と母の名前を託して、丹精をこめて撮った映画「国際市場」のおかげで、韓国全土から釜山に人がたくさん来ましたが、今一度、日本の方にもご覧いただき、違った側面から、またこの地を感じて頂ければと、過渡期を迎えている今だからこそ、切に思いました。

斜面に連綿と家が続く、釜山の街並みは、一気に押し寄せた避難民に依るものでもあります。
今では、こんなカフェが軒をつらねています。
釜山も、クリスマスツリーが、街のいたるところに。
歩き廻って、フッと入ったコムタンの専門店は、老夫婦が営む、滋味が溢れる味わいでした。

 

プサンの 冬 を 歩く 2 (卒業シーズン)

一昨日の木曜日、釜山の繁華街、南浦の光復路通りを歩いていると、花束をもった若い子達と、何度も行き交った。

今、日本より一足早く、韓国では、卒業シーズンなのだ。

うちの甥っ子も、ひとり、今回、高校を卒業する。

雲ひとつない、写真を撮るには、絶好の日和だが、海風がまだかなり肌寒く、春という感じは、まだしない。

釜山タワー&守護神”李 舜臣(イ・スンシン)
釜山タワー&守護神”李 舜臣(イ・スンシン)
釜山タワーから、影島を望む
釜山タワーから、影島を望む
龍頭山(ヨンドゥサン)公園で、出会った、ネコ。

龍頭山(ヨンドゥサン)公園を降りて、国際市場に迎い、大ヒット映画「国際市場」の舞台となった店、”コップニネ”に、むかう。

、国際市場の舞台、コップニネ
、国際市場の舞台、コップニネ

過日、地元の新聞で、その店主が映画になることで、少しでも他のエリアから釜山ひいては、国際市場に、人が来てくれればいいな・・という素朴な想いから、自店を映画のぶたいに提供したそうなのだが、新名所になったことで、買い物をするわけでもなく、ただ写真を撮るひとだけが跋扈して、周りの店からは苦情がでて、しまいには、家主に家賃を引き上げられるという、踏んだり蹴ったりの顛末を明かしていたのを、チラッと目にしていたので、気が引けながら、すばやく(苦笑)撮影した。

店主が市に対して、「来る人を整理する人くらい、何とか就けて欲しい。」といっていたが、整理のひとが、今は、一生懸命、人だかりが流れるように整理していた。

映画「国際市場」のレクチャー

「韓国・ミニ農業紀行」 エゴマ 編(密陽・ミリャン)

ここに来る前、業務とは直接関係のない事ながら、自分達が北海道の北辺の、海辺の街にいた事を、頼まれもしないのに、問わず語りに語っております。北海道といえば、農業や漁業等、第1次産業。

北海道のお土産で有名な「六花亭」のお菓子の包紙の絵柄にもなった、開拓農民であり、反骨の画家・坂本直行画伯の素朴な風合いの水彩画にも描かれている、サイロの風景。

自分達が、住んでいた家の 家の窓からの風景’北海道・オホーツクの街)

冬季には全く耕作できない環境の中で、日本の他のエリアより、広く拓かれた原野に、多頭数の牛を肥育(牧畜)する、或いは大型のトラクターで大量の作物を収穫する、北海道の農家のイメージを持たれている方も多いのではと、思います。

そんな中で、私たちが住んでいた海辺の街の郊外で、偶然・隣に、無農薬・有機野菜を作り、40頭弱の完全放牧の乳牛を飼育し、運営している農家がありました。

それが縁で、自分達は図らずも、その、本当に食べれば、口の中に滋味がほとばしる、甘みのある野菜。ジェラート(アイスクリーム)にしても、そのまま飲んでも抜けの素晴らしく良いミルク、地鶏の卵を毎日のように、味わう恩恵を受けました。

Fファームより提供して頂いていた 完全・無農薬の有機野菜 

そこで、その農家のF氏より、さまざまな農業の面白さを伝え聞いたのです。

そのひとつに、韓国での有機栽培や循環農法の話がありました。

当時、韓国の農業に興味があった訳ではありませんでしたが、北辺の大規模な耕作が常識(乳牛なら100余頭、肉牛なら500~1000頭を越える規模が当然)の環境の中で、独自の方向を模索、実践していたFファームを通して、どんどんと、人が人として生きる為の農業の魅力を感ずる事となったのです。

「韓国のミルクは、ノン・ホモだから、美味しいはずだよ。」と、よく語っていた。Fさん。その通り、韓国のミルクはたしかに、Fさんの所のミルクとそっくりな柔らかな甘みがありましたよ・・・。

今回、図らずもお客様のご依頼で、釜山よりKTXで40分弱の、アリラン祭りで知られる密陽(ミリャン)の、エゴマ農家に伺うという話になった時、お電話で、今回、お世話になったキム・ウンソプさんの物腰に触れて、Fさんのことや、お世話になった農家の方々のことを想いだしてしまいました。

アリラン 祭りの街 密陽 の 概観
密陽  の  概観 2

密陽(ミリャン)は、映画「密陽」http://www.youtube.com/watch?v=J4NH0dsXzug&feature=fvw(洋題 シークレット・サンシャインとして、主演女優のチョン・ドヨンが、2007カンヌ国際映画祭で、最優秀主演女優賞を獲得、共演も、実力派ソン・ガンホ)でも、知られた小都市です。

山口県から来られて、ご自身も退職後10年間、農業をされているお客様(84歳で、お一人で、来られるバイタリティ。アジアの色々な地域に行かれているそうです。)の、”エゴマ”の栽培農家を紹介して欲しいというご依頼が、今回のことの発端でありました。

釜山駅から、KTXに乗り、ほどなく、密陽駅に到着。

迎えに来て頂いた、キムさんの車で、早速、キムさんの畑へと迎いました。韓国料理では、サム(包む)例えば、ご飯や刺身をエゴマの葉にくるんで、テンジャン(韓国味噌)や、ヤンニョンを添えて、食べる。エゴマの葉を醤油漬けにして、ご飯をくるんで食べる。本当に、極、身近な食材なのです。

密陽市 キム・ウンソプさんの エゴマ菜園  1

実に、コンパクトな規模の菜園なのですが、キトサン”エゴマ”というブランドを構築し、家族のみの小規模菜園だけで、キムさんは、年間600万円弱の純収入を挙げておられるそうです。キムさん曰く、「あんまり、大きかったら、手間がかけられないし、かかりすぎる、規模はこれで充分。」

土や作法の安全性、商品へのこだわりもさることながら、インターネットの直販ショップhttp://malgun.net/(キムさんのサイト)、http://www.mirpia.kr/(キムさんのような農家が、共同で運営している、こだわり農作物の、直販モール)で固定のお客様を増やし、かた崩れしたものは、ソウルの市場に卸す。

農法の視察の為、ニュージーランドやオーストラリアにまで、行かれたりする。また、啓蒙活動にも熱心で、自分のお仲間は勿論のこと、エゴマの栽培方法についても、サイト内での丁寧な解説をされている上、問いあわせの電話が全国からあるとの事でした。

特に、印象に残っているのが、サービスの勉強の為、カリスマ・タクシーで有名な京都のMKタクシーのセミナーに参加された時の、お話で、「本当に、勉強になった・・機会があれば、あなたも行かれたらよい。」と話されていたことです。生産から、販売まで、一貫して、てがける方の佇まいに、FTAなどで喧しい農業の、ひとつのあるべき姿を垣間見た気もしました。

韓国は、もともと文献をひもとけば、農業国家であり、京都などの伝統的な野菜の保存方法と極めて似通った、食養の知恵を、これまで、ここかしこで、たびたび眼にして参りました。お昼に、キムさんがエゴマを卸している、畜産農協の飲食店で韓牛を頂きながらあらためて、その事を感じる想いがしました。

キム・ウンソプ さん の 菜園 2

やはり、日本人だから・・・

太宗台(テジョンデ)の沖で、入港を待つ船舶

今日の、釜山は雨。

太宗台(テジョンデ)の帰りに、南浦洞にて

明日は、世界遺産の地・慶州(キョンジュ)か、釜山からより、ディープに海浜観光を味わえる統営(トンニョン)に、お客様をお連れするつもりです。 最近は、ちょっと、天気がぐずつき気味。(今、外に出て見ると、寒空に星が見えたので、ワゴンをチャーターして、統営できまり^^。)

で、さすがに、我が家でも本日(26日 金)は、片や、キム・ヨナ片や浅田真央で、オリンピックを観戦しました。

韓国では、冬季のオリンピックの本格誘致の狙いもあって?か、まわりのヒトの関心以上に、選手の強化が進んでいた。偶然かどうかは、定かではありませんが、「国家代表」という映画が大ヒット。(いや、この映画自体は、プロバガンダとかでなく、商業映画として、周りのヒトだれもが「面白い。」って言ってた、話題作だったのだけど。)

自分が、大のスポーツ好きだったから、韓国の選手の活躍であっても、普段は喜べるし、昨日のショート・トラック(韓国女子)の失格では、メチャ、理不尽を感じたりもするのに。 今日は、何故か、ガックリ疲れました。選手は、まだ若いのに立派に、不調から脱して、見事な演技を見せてくれているのにね。でも、あ~ぁ今日は、キム・ヨナ祭りだぁ。

とにかく、ここに来る日本の方に、喜んで貰うのが、自分達の使命だから、周りの喧騒はよそにして、今夜は早寝です。

寒い日に、何故か、チョルミョン&キム・パプ

チョルミョン=きし麺とまでは、いかなくても、しこしこした麺を、ヤンニョム(薬念)ジャンと絡めて食べる、韓国のお手軽な粉食。

韓流の恐怖(‘-‘*& 韓国語 音声 vol 4

百貨店内の 服売り場のブース
百貨店内の 服売り場のブース

この間のプサンでの事故の後、釜山を訪れる日本人の多数の方が、慰霊に現場を訪れて、鎮魂の祈りを捧げている事を、聞き、自分も、実際にその姿を眼にいたしました。現地までは、行かなくとも、釜山に降り立った、多数の方が、その事に触れ、哀悼の時を持ったことを、数々のブログを読ませて頂く中で知りました。

オセアニアに行った時は、自分の事をアジア人なんだと認識し、ここに釜山に来て、「日本人」なんだと改めて、思わされた経緯で、グローバルにリンクする経済環境の中、自国の文化や教育と、個人が異文化なかで、切磋し、修練することの技術の必然性を身をもって経験する毎日。(^^;

久々に「お試し版 聞くだけ 実践 韓国語 「服屋」編を、アップします。

服屋 編 1 <--ここを、クリックして下さいね。

既に、死語になりつつある韓流。 でも、いわゆる韓国の映画や俳優さんのファンになって、韓国に来られるようになった方は、どの位、おられるのだろう。 (カルビを食べて、韓国に興味を持った、自分のような人間もいるが・・。)とにかく、その怒涛のパワーで押し寄せる”韓流族”の動きは、凄い。

日本にいた時にも、その方達にお世話になったが、そういった方達は、それを契機として、韓国語を学び始め、実際、必ず、一度は韓国の地を踏んでおられる。 見出しに、恐怖と書いたが、そこにはチョッとした羨望もある。一部には、先鋭化した、チョッと怖い方も、おられるかもしれないが、私達が知る限り、普段は、しっかり自分の家庭や、仲間を大切にしている、情の深い方達だった。

そのおひとりは、オホーツクの街で、私達が小さな韓国語講座をしていた時に、40キロ離れた郊外まで、吹雪の日も週1回の夜9時からの、授業を1度もかかさず通って来られた。60を過ぎているとは、信じられない若々しい、上品な方だった。

その方は、パク・シニャンという俳優さんのファンだった。ある時、その俳優さんが夕張支援の為、夕張を訪れるという情報を、私達がキャッチしたので、その方に伝えると、350人限定の競争率の高いイベントだったらしいのだが、「長距離の運転は得意でないの~。」と言っておられてたのに、早速250キロの道を迎われたそうだ。そして、なんとそこでまた抽選で、5名の方が、本人に直接・歓談できたらしいのだが、その5名にも残って、直接、話をし、握手をする事ができたと、嬉々として語っておられた。

それを、きっかけに、その後、オホーツクを舞台に韓国映画が撮影された折には、その撮影スタッフのサポート・ボランティアにも参加し、そこで覚えたばかりの韓国語で撮影スタッフとも、楽しい時間を過ごしたらしい。勿論、エキストラで、ばっちり出演も果たした。

韓国映画 おいしいマン <===ここを、クリック 監督キム・ジョンジュン 出演 イ・ミンギ、池脇千鶴、チョン・ユミ

自分達の、突然の釜山転進後、映画の地元キャンペーン・チームのスタッフのひとりとして、ソウルにいらした折も、元気な声で話されていた。そのうち、私達が、こちらでの基盤もない、日々の諸々にかまけて、ご無沙汰していたのだが、この間、メールを頂いた。

「私、この間検査を受けたら、悪性だったの。でも、先生、私がんばりました。韓流見ながら。本当に、韓流、さまさまです。ありがとうですよ・・。」

この方だけではない、もうひとりの30半ばの生徒さんは、心臓にペース・メーカーをされながら、韓国語を勉強されていた。この間も、「また再手術で、ペース・メーカーを、入れ替えたんです。独学は、大変だけど、頑張ります。今は、無理だけど、いつか韓国に行きたいです。」と、近況を伝えて下さった。

その方達に、「向こうから、Webサイトで音声送るから~。」と言って、果たせなかった約束の性もあっての、音声です。 何かの、役に立ててくださいね。