2018年 最終月。 対馬で見た、東アジアの未来。

2019年、明けましておめでとうございます。この数日、日本のニュースでは、帰省の人々が、降りしきる雪のなかを、列をなして故郷に向かわれる光景が、幾度も映しだされておりましたが、ここ韓国の南東端の釜山は、ぐっと温度が下がって冬冷え、ひきかえに雲ひとつない青空が、広がっております。

2018 12 29 蟹といえば、機張(キジャン)、機張といえば、蟹という位、知る人ぞ知る、機張市場。釜山の冬の、風物詩。
相変わらずの盛況と、言いたいところですが、ロブスターが40%を占めているのが、今年の特徴。でも、やっぱり、ガッッと頬張ってみたいものです^^

蟹だけではなく、地元の港で獲れる、魚介類が、これでもかと、盛られています。
タコ、イカ、アワビ、トコブシ、そして、さまざまな海藻類。威勢の良い、アジョンマ、アジョモニの掛け声が、飛び交います。
釜山周辺は、岩場も多いので、貝類の種類も、豊富。

まず、はじめに、2018年中、当方をご愛顧いただいたお客様へ、心からの御礼を申し上げます。やはり、業務とは申せ、係わらせて頂いた、会社・企業・個人さま、いろいろな兼ね合いから、今、現在は、音信を交わすことがない方々ではあっても、その後の進展また状況は、本当のところ大変気にかかるものです

関係のないかたには、”他山の石”のようなものではありましょうが、国を跨ぐビジネスは、韓国・相手にかぎらず、なかなかに決断する勇気、あるいは、規格の調整等、労力をようする場面も多いからです。

業務のキャリアは11年目を迎えて、今が、いろいろな事案に対応する能力、予見する力も開業時とは、雲泥の差になっておりますが、それ以上に、おためごかし・などではなく、おしなべる事など、ほとんど通用しない、国のちがい・国民性などを凌駕している、全く個々夫々の状態・状況の違い、それに少しでも対応し、良い流れにもっていくことの、一助。それができるか、できないか。

もちろん、私どもは通訳・翻訳サポートをメインとして、業務をさせて頂いている訳ですから、この10年余、ハングルの文字を象形文字として、ネタにしていたような時代から、今では若い方々が、釜山にも少なくない数、留学されていたり、ワーキング・ホリディの多国家が日韓双方ですすみ、海外の語学学校で知り合って、韓国に友達をもって、SNSで日常茶飯事に遣り取りするのが当然といった時代のなかで、早くから、より専門的で、実践的な知見と経験を積み、その経験を実務に落とし込むことを、意識して、これまで仕事をさせて頂きました。

釜山港国際旅客ターミナル

間釜フェリー
釜山から対馬・比田勝

もうかなり、過日となってしまいまいましたが、12月20日、急遽、私どもが使っていた、日本の銀行口座のサービスの変更を失念していたことや、お客様の急な日本への送金の期日が差し迫っていた事の代行の用もあり、海霧煙るなか、ひょんな事から、対馬の比田勝に行くことに、なりました。

福岡に行く途中で、「なんか、アッという間に着くな・・。」という位の感覚で、見ていたので、徹夜あけでしたが、「なんのことは、ないさ。」と、ただ案件の期限が本当にタイトだったので、船が欠航する心配だけして、乗り込みました。日本なら、師走の20日・平日。未来高速社(ジェット・ホィ-ル※
水中翼船 )NINA号、乗員450人、満席 (;゚Д゚)エエー

出航まもなく、ハンドイルカの豪快なダイブの併走がお出迎え、のところ位までがピークでその後は、未曾有の船酔い!?に青色吐息となり、楽勝と思えた、対馬行が、暗転したのでした。

下記のとおり、ここまでカメラを向ける余裕もなく、比田勝湯便局に向かう、道すがら。

1時間半が永遠に思えるほどの苦役と、成り代わり、鄙びたといえば、まさに、その通りの比田勝の港に着いた時には、そのまま運ばれるのを、必死に回避するのが精一杯、トイレで吐いているうちに、入管、手続きは、げれっぱ(これ、北海道弁だ・・最下位の意)に。

総勢、400余のご一行さまは、驚くほど団体のバスに乗り込むこともなく、思い思いに、辺りを散策する、地元のタクシーのご年配の運転手さんと、交渉していたり、そして、若い人も沢山。
フェリー・ターミナルの案内所で、貰った、比田勝観光マップを片手に、突如、船でやってきた外人客たちが、ぞくぞくと、限られた数の、定食の店、寿司店、食堂に入っていきます。

とにかく、使命受けてめざすは、比田勝郵便局。このいわば、国境の・片田舎の街で、果たして、案件をはたすことができるのか。そう思いながら、噂に聞いていた、釜山圏からの対馬に向かう人の、増加の、不思議な?光景を、めまいが覚めやらない頭で、フラフラ歩きながら見ていました。

島では、ここで働く、若い韓国の人も、ぱっと見で、結構いる感じ、単身者向きのアパートらしき建物も。

免税店での、買い物。これは、もちろん合点がいくのですが、結構、若い男の子が、普通のスーパーに入って、でっかいビニール袋一杯に、何か買ってでてくる。※後で、帰りの待合所で、覗いてみると、わさび、カップラーメン、インスタント・ラーメンなどなど、本当に日本の日常品。

ATM等を持つ・コンビ二がない比田勝では、郵便局は頼りの綱なのでしょう、入れ替わり、立ち代わり、お客さんがひきも切らない状態でした。

そんなこんなしているうちに、地図では郵便局を通りすぎている感じだったので、近くのバスの待合所で、郵便局のことを聞くと、すごく親切に教えてくださって、はじめて、ここ日本だなと思ってきました^^。体調の不良などで、ぼっとしてはいけないと、あぶら汗を拭い、気を取り直して、郵便局にはいると、そこは、まさに日本。あっけない位、用事自体は、完了。

ま、そのあとも、帰りのチケットをなくす、※未来高速のお手を煩わせて、事なきを得ました (*´ρ`*) 。その性で滞在3時間半余くらいの中、昼食も、血糖値が落ちるのを防ぐための、コンビ二おにぎりのみ。とか、まったく、一人とんでも珍道中と、なってしまいましたが、百聞は一見にしかず。これを、書いている今も、いろいろな示唆を与えられた気がしています。

もし、対馬の現況や、今、現在、4社が乗り入れ、近々に巨済から乗り入れ航路が増えるという、釜山圏から対馬への高速線乗り入れの経緯のこと等、興味をもたれた方は、下記に関連のリンクをつけて置きます。

https://www.fnn.jp/posts/00331440HDK  海洋経済学者 山田吉彦 氏の、対馬の現況を、描写・考察したレポート。思想や、施策についてよりは、私が見て感じたことを、そのまま的確に、書かれておりましたので。

https://bit.ly/2LKs73B  釜山~対馬~福岡 先行していたJR九州に、後発で高速船運行に乗り出し、現在は、共同運航するまでになった、同社・社長のインタビュー記事。国境の海が、チョッとこれまでと違って、見えてきそうな元気がでるものでしたので。

https://bit.ly/2SuMKn2 「リトレンゴ」という、日本の離島に関連する、とても面白い総合情報サイトより、釜山~対馬のアクセス情報。

https://bit.ly/2F1FFav  「国境の島・対馬へ」と銘打った、対馬観光物産協会 の、ウェブサイト。対馬の情報を総合的に網羅、アクセス情報も提供されています。

https://bit.ly/2TiEW7O 近々にも、開設されそうな、巨済島から対馬への、新航路についての記事。

そうこうしている間に、暦は新年明けて、2日。2019年もまた、新たな時代の胎動というより以上に、激震のような1年になるのではないかと、そんな気がしますし、日韓のことは、相変わらず喧しいことであろうと思います。

そんな中ではあっても、私の廻りでも未来にむかって、前へ歩をすすめている方々を知っています。

自分自身も、傍観者になることなく、スキルを向上させて、新たな視点から、業務にあたっていく所存です。何卒、ご活用のほど、お願いいたします^^。

2019年1月2日 釜山の古刹、 梵魚寺 / ポモサ に、参拝。旧暦の釜山では、初詣の方もいず、澄み渡った青空の下、祈念できました。どうぞ、これを読んで頂いている方の2019年が、格別によいものと、なりますように。 ☆彡 *.:*:.。.:

「対馬までの海を、カヤックで、一人・漕ぎきった」”冒険家”の記憶 (˘灬˘)

海運台、2014年の5月初夏の海。

この写真は、下記の記事と連関性は、ありません。2014年次に、撮ったものでしたので。

このところの釜山は、本当に、良い天気。そして、天気が良ければ、海の街は、旅情をこのうえなく、醸し出して、しまいます。

私のしている仕事は、ビジネスにしろ、韓国に来られた方の、いろいろな用件での同行通訳にしろ、繰り返し、お使い頂くかたは、ございますが、9割の方は、本当に一期一会となってしまいます。初期にご利用下さったお客様には、もう私が通訳したことの記憶も定かではない方も、おられること、でしょう。

私に関しましても、繁忙だった時、閑散期、試行錯誤期、悟り期(´゚д゚`)・・・と、10年を過ぎ越そうとしていますが、そのなかで、ずっと頭の片隅に残っている、できごとが、あります。

それはその時に、自分が一度は、確約した行政との折衝が難航して、ご依頼のクライアントさまの、達成しようという用件ができなかったら、どうしようと、必至だった事もありますが、その事の意味を顧みれば、なんで、地元のメディアに繋ぐなり、なんなり、モニュメントになる刻印を用意して、差し上げられなかったのか、という後悔と、後から知ることになった、苦闘の挑戦の顛末が、悲劇と紙一重のものだったことを知ったときの、戦慄です。

下記のリンクは、ご本人のBLOGと、それを紹介した冒険家仲間の方の、HPです。もうすでに、4年の月日が流れたこの事を、あらためて、今、取り上げるのは、由なく、この冒険家の方がなんで、ノンサポートで、流れのきついといわれる、対馬海峡・西水道(朝鮮海峡)を、日本人でありながら、釜山のヨット・ハーバーから出立したのか、知って頂たかったからです。

https://bit.ly/2rXRRRw

お友達の冒険家が、「五十嵐 やすゆき さんの、単独・ノンサポート対馬海峡・西水道のシー・カヤック横断」を、紹介したページ 

http://yasufreeman.blog53.fc2.com/category18-1.html

冒険家 五十嵐 やすゆき氏 のHP 「旅する写真館」

2014年といえば、セウォル号事件があった年でもあり、その中で個人でのこういった試みに挑む葛藤は、五十嵐さんのBLOGを読んでいただければ、手にとるようにわかります。

当時、韓国側の出航の許可を業務として請負い、それを果たすことだけに、やっきになっていた私は、五十嵐氏の佇まいから、それ相当のトレーニングを積まれた方なことを、体感で判断しましたので、最終的に、出航のてはずが整ったときには、次の業務も控えていたりしたので、お見送りもできませんでした。

大変なことは、わかっていても、本当に、それがどれほどのものか、知るよしも、ありませんでした。その日、五十嵐さんの到着予定時間から、大幅に過ぎても、到着の報がなかったので、さすがに心配でいても立ってもいられなかったのですが、BLOGを読んで、身震いがとまりませんでした。

「カンさん、もし自分の仲間達に、カンさんのこと、紹介しても、宜しいですか?」といわれた時、「こういう業務は、うーん・・。」と曖昧な言葉が口をついて出たのは、どういう心境だったのか、今も、よくはわかりません。

五十嵐さんは、この挑戦を終えたとき、「これで、刺さっていた小骨がようやく、とれた気がする。」という表現をされておられますが、日本に一番近い海の都市が、今年も、海のシーズンを迎えているさまを、眺める時、そして、これまで海を眺めるときに、いつも、心のどこかにひっかかっていた、

この人知れずなされた挑戦を、今回、お伝えすることで、時代は過ぎていっても、国境はあり、いろいろな制約や立場の違いがあり、でも、戦争や断交などということを回避する、最低限度の見識と良識を人知れず、名もない誰かが担保してるからこそ、だれもがその海に、想いを託すことが、できること等。

ところで、皆さんにとっての、冒険とは、何ですか?

チェジュへ向かう、フェリー。

2016年 2月・釜山のコンベンションの現状から

2月5日頃の、センタム・シティー、ロッテデパートの横から

コンベンション・向いの、私立美術館では、アンディウォーホール展が開催中。
コンベンション・向いの、私立美術館では、アンディウォーホール展が開催中。

2月も半ば過ぎました、いきなり温度と湿度があがり、市中を歩いていても大汗を搔いたと思えば、次の日は、氷点下に冷え込んだり、2月は天候が不安定の日も多かったですが、昨日からは、爽やかな晴天。海運台側のビーチ・サイドのホテルに、お泊りだった方は、対馬までが眺められるような、シチュエーションを、お楽しみになられたのではないでしょうか。

今日・明日は、いつもご利用頂いている、大阪のオーナー経営者さまの、商談通訳&法務関係サポート通訳。韓国での、靴の製造を先代さまの代よりなされている方ですが、日本の規格と韓国の工場との細かい修正のため、頻繁に、私どももご活用頂いております。

これから、ソルラルを迎えるというのに、ちょっと寂しい風情のコンベンション・センター

先日、久しぶりに、センタムのコンベンション・センターに行ってみたのですが、いささか驚いたことが、ありました。「最近、釜山でのコンベンション関係での通訳業務の以来が来ないな・・。」と思っていたこともあったのですが、他地での通訳もあったりしていて、その相関を考える余裕もなかったのです。

地下鉄内などで2年位前までは、盛んにコンベンションの宣伝を見受けたのですが、最近は気のせいか、そういう広告も、減っていた気がしておりました。それで、向かうと、ガランとした佇まいで。第2センターまで、増設されて、いたのに。

ちょっと、寂しい風情では、ありました。コンベンションも、ビジネスである以上、イベントを引いて採算をとることは、大変なことなのかもしれません。が、調べてみれば、ソウルは無論のこと、大邱市(デグにも満たないイベントの誘致状態。

ちょっと、悔しいですね。インフラは、色々と整ってきているのに。そして、釜山の持っている環境のポテンシャルは、決して、恵まれてないものではないのに。

新世界デパート・アイス・アリーナで、スケートに興じる風景を眺めながら、ランチする人々
新世界デパート・アイス・アリーナで、スケートに興じる風景を眺めながら、ランチする人々

冬の広安里の海を、クルーズする、ティファニー21
冬の広安里の海を、クルーズする、ティファニー21

冬の広安里ビーチ
冬の広安里ビーチ

刺身センター側から見た、広安里ビーチ
刺身センター側から見た、広安里ビーチ

過日、韓国の企業に20年以上、日本の企業との取持ち役を務めておられた方(日本の方です)に帯同して通訳に参った際、地元の企業にレクチャーしておられた中で、「物(機械設備)だけではなく、それを活用するソフト(人的・教育)が大切だから、そのこととセットで投資を考えてください。」と何度も、強調されていたのを、思い起こしました。

一時期、日韓の様相が、あまりにも現実を無視して変転していた時、正直、あまりにも利己的な理由で、色々なひとの生活を平気で暗転させる決定をする諸々に、失望にも似た気持ちを抱えておりましたが、そんな折、

NHKのドキュメンタリーで、日本がバブル期に、故郷創生と言って、地方自治体に、当時の政権が自由に使える、1億円のお金を配った時、この釜山の対岸にある、対馬の老境にあったリーダーの方々が、日本から見れば、辺地で日本からの人の訪問が減り、人口も減るなか、若い人達が居残れるような道をつけようと、まだ今ほど交流がさかんでなかった時節に、60キロの海のむこうには400万(当時)の市場(釜山)が、拡がっていると、それを元手に、釜山とのフェリーの定期便を運行する会社を作った。という、話を見て、すごく感動もし、何か、救われる思いもいたしました。

今、エア・プサンは、市中のバス広告の宣伝でも、プサン~札幌直行便、就航を熱心に、告知しています。私には、かつて住みなした忘れられない北海道の道都。雪祭りだけではなく、これから、この釜山からも、これまで以上に、北海道を知る人々が、増えることなのでしょう。

ケーブルTVでも、鳥取・宮城・青森・長崎・沖縄、日本の温泉地と・・などの紹介は、ひっきりなし。

自分達も、努力すべきではありましょうが、釜山として、どんなふうに、場当たり的でない人の誘致をしていくのか、またしているのか、気になるところでは、あります。

新世界デパート地下・入り口
新世界デパート地下・入り口

新世界デパート1階売り場
新世界デパート1階売り場

 

”釜山から対馬” オールひとつで。

真夏の広安里ビーチ・提灯回廊 1

本当に、このブログを最後に更新したのは、いつだったか(笑)。でも、業務をいい加減に扱ったり、ウェブサイトの運営を怠ったっている訳ではありません。

最悪の日韓関係などと、メディアは喧しく、現実この間も、いつも真摯な対応でお世話になっている、冷静な両替商の方が、珍しく「ほんとうに、日本の方が減ってしまったね。」と洩らされるほど、日本からの観光の方は減っている現状のようです。

こんな状況であるから、より実務優先、守秘義務の徹底として、業務でのこぼれ話の掲載を、躊躇していたら、業務の準備と遂行の狭間の中で、今日に到っている次第です。(すごい言い訳だ^^^)

益々、韓国では、ライフスタイルに日本の製品が普段使いされ、甥っ子たちも日本のアニメや、コンテンツの話題も、自分より詳しかったりするのに、その理由や是非はどうあれ、残念なことではあります。

そんな中、この数日、オーストラリアから、この韓国・釜山までこれまで、シーカヤックと自転車で、その間の国々や海を越えてこられたI氏が、対馬にむけて、釜山の海岸から出立する為の、行政とのやり取りを仲介する業務を請け負ってまいりました。

8月13日、あるいは、14日、朝・未明。 ”冒険をしながら、アジアの若者にメッセージを送りたい” Iさんは、釜山・松島海水浴場から、出航します。”I さんの Blog

波穏やかに、クジラが泳ぎ、大マグロが回遊し、鯛やアオリイカ、スズキやヒラメや太刀魚、が群れ遊ぶ、絶景の海を、謳歌して無事、対馬に到着して欲しいと、心より思う次第です。

 

真夏の広安里ビーチ・提灯モニュメント
真夏の広安里ビーチ・提灯モニュメント

犬にとっても、真夏。広安里ビーチ。

PS 出発地は、当局のお達しで、他所へ変更になりました。また、このような私的な冒険の場合は、韓国の国情もあり、安易に実施するのは、容易なことではありません。日本語ブログに書いても、仕方ないこととは思いますが、釜山の関係の諸機関のかたには、色々とお手数・ご苦労おかけいたしました。心より、感謝いたします。

2014年8月13日(水)夜10時過ぎ、I さんより連絡があり、無事、対馬に到着したとのこと。

大韓海峡の速い潮流と、14時間、挌闘の末、たった一人で漕ぎ抜いた、Iさん。本当に、おめでとう御座います。

無事到着の報を、受けるまで頭の中で、http://bit.ly/1kBjTL3 の曲が流れていました。良かった。