季節も、時代も変わり目、自分に”喝”をいれて、幕張でリスタート。

広安里ビーチの、お洒落だったカフェ跡にできて、もう暫く営業している、釜山をモティーフにした、手作りの小物が店内に、所狭しと並べられているショップ。
広安里ビーチ。今回、複数回、釜山を訪れている方でも、はじめてという方も、多かった、広安里の想い出に、ぜひ、立ち寄られては、いかがですか^^。

大きな台風が、久方ぶりに上陸というなか、私どもがアテンドする業務のお客様が、また(苦笑)来られないのではという、状況下、奇跡的なタイミングで、海路から空路に切り替え、釜山に到着。この日・月と、私どもとしては珍しく、他社さまのパッケージの中で、お仕事をさせて頂ました。色々と、勉強することもあり、また、これより私どもがするべき事の、確認にもなりました。そのことについては、詳しくは、後日ナンテ(笑)。

これまで、なんといっても、私どものメインはビジネス通訳での、日本のクライアントさまの新規開拓、商談、業務締結後の韓国の会社との遣り取り、オーダー、業務確認、クレームの伝達(双方)でありますが、この数年は、既存取引先との意思疎通がうまくいかない、相手先担当者が変わることによる齟齬のため、問題が生じながら、今まで相互に互恵関係であったこともあるため、取引を打ち切ることも、賢いやり方とはいえないが、対応を改善してもらわなければ、損失も大きいため、相手に対する信頼もゆらいでいる・・そんな時に、お声かけいただき、信頼関係の回復を暗に望まれていることを、踏まえて、業務に励んで参りました。

ここは、釜山・・ではあるのですが、どこ?・・実は、建物内、

そうなると、どうなったか・・。例えば、その状況下で鬱憤がたまっていたものを、私どもが入ることで、韓国の会社へのアプローチがスムース(意思疎通がという訳ではなく、伝達が)になることで、日本の会社側もストレートに懸案を言うことになり、韓国側の弁明を私どもが伝える、それを結果的に当方が楯になることで、いくつかの案件では、韓国の企業に私どもが帯同して、日本を訪問して、儀礼的にでも(意味深・苦笑)謝罪説明をする、それで何とか、取引きの継続が成される。

ただ、そういう形になると、韓国側の企業の要件にも、十分、気を配ったですし、かなりの不満の受け皿にもなった筈なのですが、私どもを通しての、日本側とのやりとりでの情報の伝達を、まばらにされて、日本側とのやりとりの齟齬を、暗にわたしどもの方に向けられるという事案が、続けてでてくるようになり、頭を抱えることが、暫く、続いておりました。

ビジネスは、きれいごとでも成り立ちませんが、さりとて、不信感を募らせて、成り立つものでもありません。

それなりに最悪の事態を、まずは取引を継続させることを最優先に、採算にも目をつぶって、さぁ、これからという時に、はずされる。もちろん、それを何とかするのがプロであるのですが、なかなか・・(苦笑)。

そんなことで、モティベーションも、クオリティも常に刷新されている気概ある、加えて、”釜山でそれをする”というところを、意気に感じて、チョッと畑違いのアテンドに、挑戦?してみたのです。”喝”入りましたね。

”負けてたまるか”、精神。最近、チョッと忘れていたかもです^^。

早朝の、金海空港。普段は、お客様をお迎えする場所。朝の、空港いいですね。

 

金海空港

 

成田到着。ここからは、高速バスで、幕張メッセへ。
同じく、成田空港、南出口、近辺。
高速バスの中、から。

 

幕張・到着。日本最大の、農業資材EXPO。2回目の、帯同。このような場合、同行の案内はもちろん、ホテルや移動交通機関のブッキング、セッティングも、もれなく(笑)

どこでも、そこでも、熱く説明、商談、ビッチリ通訳^^
幕張感 ある風景 !?

農業関連のことなら、ありとあらゆるもののブースがあります。

 

各自治体が出展する、ブース。
今回、お連れした、金海市に本社を持つ会社、このエクスポにも出展されている、大阪の農業資材会社の高品質の肥料を扱われ、ゴルフ場のグリーン・メンテナンスも、各所で手がけています。

目一杯、閉場まで見て、聞いて、やっとホテルに戻って、晩御飯を食べたのは、夜9時すぎ。 帰ったのは、幕張からほど近い、京葉線の始発駅、千葉市の蘇我駅。徒歩1分。ソガインターナショナル・ホテル。

取り急ぎ、明日もあるので、今日はこれにて、失礼します^^。

国を越えた、製造業の現場に、想う事。

太宗台(テジョンデ)の突端にある、灯台からみる、釜山の海。

更新の時間が取れず、機を逸した感がありますが、過日は日本を直撃した台風の余波で、釜山でも、海岸沿いを、風速20メートルの風が吹いて、注意を喚起を、アナウンスする音声が、パトカーからか、或いは、市のスピーカーから流れていました。

また、台風の影響は、私どもが係わっている業務の機器等の、搬出遅滞にもなっていて、お客様への状況説明等、ほぼサポート業務に明け暮れる感じでした。

日本でも、そんな中、大きな選挙も終わって、また、日本と韓国の仲介業務(通訳・翻訳を介する)を主たる業務としている私達も、少し落ち着いて業務に、集中できるのではないかと思いますが、昨日来、久方ぶりにウォン・円が逆転しています。ここしばらくは、大体1:1できていた訳ですが、日韓といえば、色々なことがある訳ですが、やっぱり、そこに目がいってしまいます。

金海サイエンス工業団地 ・路線も拡張し続け、”元気なLCC”「エア・プサン」本社も拠を構える。
工業団地の佇まい 1

私が韓国に戻ってきた9年前は、円・1:ウォン・1,6でした。

それだからこそ、韓流ブームもありましたが、日本から沢山の人が、来られたのだと思います。

それが、今は1:1。少し前は、1,2 : 1まで逆ザヤになっていた時も、あります。

何をそんなわかりきった事を、書くかということですが、ほぼ10年近くこの仕事をしてきて、とくにビジネスに於いては、いろいろな要素が絡みあいますが、値段があう、あわないは、仕事の流れとして、色々なことには眼をつぶれる、大人の方でも、それは、看過できない条件なのだと、つど、知らしめられてきたからです。

そんな中、このところ日本のメディアの以下のような記事が、よく目につくようになっていました。それは、今、そのことが、私どもの業務とも、少なからぬ係わりが、あるからです。

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3771/1.html

上に挙げている記事が、云々ではありませんが、今、韓国では、というより私が業務をする廻りでも、将来を見据えて、日本の商品を扱いたいという、企業家精神を持っている中小の会社が、結構あります。※(勿論、皆というのではなく、たまたま、私どもが、日本と韓国の会社のサポート通訳をしているからというのも、ありますが。)

そして、何度か顔を合わせて、業務が終わって食事をする時に、よく耳にするのは、「・・さん(日本の会社の社長さん)が、引退されたら、この機械の製造は、どうなるんですか。」かなり本気で、韓国側の社長さんが、聞いています。

これまで、私どもも、サポート通訳をする中で、本当にこの自分達が見ている街、インフラ全般、個々の家庭の生活空間を、彩るインテリア、生活用品を、製造するために、さまざまな機器、機械が必要なのを、そして、それを造る会社があることを、実際に知って、ビジネスという厳しい、判断のひとつ、ひとつが、成果を大きく左右する行為の中で、結果的に補完しあっている現実に、触れて参りました。

私どもが、お世話になった、かなり大手の自動車製造のパーツの会社でも、韓国で複数社で製造を依頼していたのが、かなり治安が悪く、駐在のかたが危険であっても、中米に発注を移していたり、以前、韓国での製造を経験されている会社が、日本での法律の改正などで、新たな商品の製作を求めて韓国に来られて、こちらが複数社の訪問先を開拓して、見積もりを詰めても、なかなか折り合いがつかなかったり、様々な要素はありますが、詰まるところ、金額の問題でありました。

以前より、韓国jでは”モメチョッタ”(体によい)の伝統があり、日本のかたに、パッケージにして、送ったものです。滋養・補身によく、保存にも便利な、お粥、ワカメスープと、ここには、でていませんが、生薬を抽出した薬茶のパック。抵抗力が落ち、風邪がなおらず、臥せっていたそうですが、体が大分、楽になって動けるようになったそうです。

私どもが、携わった仕事の70%以上は、広義の意味で、全て、製造業のサポートでした。韓国への技術移転や、継承となると、抵抗感もあるのでしょうが、わたしどもが扱ったケースでも、日本のトレンドからは洩れて、省みられなかったところを、熱心に製品の向上を求めている国外の企業が探しみつけて、そのうち、韓国の会社からオファーあった日本の会社、オーナーさまから、問い合わせを受けたのが、事のはじまりでした。

韓国でも、一般の人達は、勿論のこと、日本製は今でも多大な信頼がありますが、機械や機器を扱う方々には、それ以上の或る種の、信仰さえあります。表向きは、ドイツ製をもてはやしますが、その実、その他のもっと広い”モノ”という意味合いで、日本製を信頼していますし、それに関わる、メディアでは絶対に語られない、製造業の”武勇伝”でみたいな韓国の中の”日本製”にまつわる裏話を、聞いたりすることも、ありました。

しかしながら、幾多の歴史が物語るように、全て、変わらないものなどなく、国やエリアの役割も変化していくことは、止めることはできない、ようなモノの感覚を、この小さな”現場”でも感じています。

その国が固有にもつ事情、そこで会社や個人が生き延びていく状況は、その国をチョッと眺めてみていても、わからないのでは、ないでしょうか。

記事とは、全然、関係ありませんが、韓国の伝統のポジャギをインテリアに活用したブティック。ポジャギの教室も、やっています。
ポジャギ・ブティックその2

話が脱線して、とりとめもなくなりましたが、この数日後も、新しい機器を、日本から購入した会社と、その特殊機器を提供した日本の会社の方と、その設置にあたっての問題解決の糸口を見つけるため、シビアな工程のサポートを、させて頂ます。

それぞれが、それぞれの立場で生き残りをかけて、懸命の取り組みをしているわけですが、こういう事例が、その作業の過程で、実を結ぶことができれば、国を越えてこれまで継承されてきた技術や、経験が、所を変えて再生することにも、繋がるかなと。ここでまた、ひとつ、そういう事案をサポートするスキルを身につけるために、必要な知識やスキルをしっかり勉強させて頂く所存です。