”ここは、天国みたいな所” by ジョンウ。

27日、ソウルでの法要を終えて、釜山にむかう、下りの高速のパーキングエリアの様子。下りはまだ、空いている方。ソウルへの上りは、未だ、車列でびっしりだった。
途中のパーキング・エリア。26日、ソウルまで本当に、8時間の行軍だった。

ウェブ上では、中国の新型コロナウィルスの情報が席捲していますが、ここ釜山は韓国でも、”民族大移動”と呼ばれる、新年のソルラルも2日間目を迎え、早くもUターン・ラッシュとなっているのでしょう。

これまで、そのラッシュは、実家が釜山なので、ソルラルの準備の手伝いはあるものの、案外・他人事でありました。しかし、今年は年明け早々、実家で父親が熱発して、救急病院へ走り、救急病院で待っていたら、2番目の姉さんの旦那さんのお父上が亡くなられたので、これをアップしている頃には、私もソウルに向かって、初体験の帰省ラッシュの車列の中でしょう。

そんなこんなで、例年になく慌しい新年の幕開けでしたが、成長した甥っ子達と束の間でしたが、話をするなかで、色々な事を示唆された気がしました。

音楽関係の仕事に就こうと、ここ辺とソウルを行きかっている甥っ子ですが、ちょっと会わない間に、またも背が伸びて脚もながく・歯が矯正の最中といった、まさに韓国の今風の現代っ子という風情。

もう大分前の、福岡のフェリー・ターミナル。

で、日本に住んでいる友達の案内で、福岡に行ったけど、めちゃくちゃ楽しかったと聞きもしないのに、言ってきて、「とにかく、温泉が最高で、寿司だって韓国と較べて、ネタのバリエーションが問題にならないほど豊富で値段も手ごろ、それと、大きな木があって祈るようなところがあった。」私「温泉って、どこの温泉行ったの。」というと、なんか細かい施設の名前をいうから、「そういうのじゃなく、温泉地。福岡だから、湯布院とか?。」甥 「そうそれ、*ゆふいん*。」私※内心「こちとら、福岡は一回を除いては、タイトな業務日程ばかりで、湯布院も、黒川温泉もいったことないわ・・・」とか思いながら、まだなにやら、まくし立てているので、聞いていると、「道聞いても、どこで何か尋ねても、みんなすごく親切だった、バス停の事を訪ねたりした時も、一緒に連れて行ってくれて、時間の心配までしてくれた。」

その時は、PCや生豆のコーヒーを、買ってきた記憶が

ちょうど、韓国での日本の・買運動まっさかりの時期に、行ったらしいのだが、ま・うちの甥っ子もこんなに大きくなってても、よそよそしくならず、前から性格のいい子だったから、日本でも楽しい思いができたのかなと思ったけど、その後、案内してくれて、今は長崎に留学している、その友達の子の言っていたという話を聞いて、ちょっと、打たれてしまった。

例えば、その子をジョンウとしよう。そのジョンウは、昔、姉さんが釜山にいた時、開拓教会(キリスト教)しながら、学習塾をやっていて、当時、私もそこで英語を教えたりしていたので、面識はあるのだが、甥っ子とは、兵役も一緒に行き、同じ部隊にいたらしい韓国では、若い時期の、将来をこれからどうしようかという時期に、兵役がある。

ご他聞に洩れず、甥っ子もその悩みを抱えて、悩んでる位なら早く兵役を終えてしまおうとなって、その子も一緒に兵役に行ったらしい。兵役では、休日は電話をかけれるようなのだが、ときおり、たどたどしい日本語で電話がきたり、突然、これは日本語でなんというのか、聞いてきたりしていた。なんでも、そのジョンウと二人で、日本語の学習会をやっていてジョンウは、除隊後は何故か、長崎に留学するといっていて、それを凄く楽しみにしているという事だった。

考えてみれば、他の甥っ子達の友達の誰にも、漫画でとか、もちろん家庭教師をつけたり、アニメの勉強がしたいからとか、動機も方法論もまちまちだけど、すぐ指折数えられるほど、日本に行こうと思っていた子供達(当時、7年ほど前)がいた。ところで、ジョンウだが、長崎の留学先では、ホテルの経営を勉強しているそうで、今回、甥っ子を車で福岡じゅうを案内してくれたらしい。車の運転も、日本で始めて、釜山に帰った時は、車は運転しないという事だ。

その小さな旅の間、ジョンウが甥っ子に、「今度は、長崎を案内するから、自分が今いるところも、トイレが汲み取り式なのを除いて、天国みたいにいいところなんだ。」と、何度も話していたという。

私が、19や20歳の時、当時、福岡や下関があって、関釜フェリーや、福岡へのフェリーもあったはずだけど、日本へ行く事は、それほど、当たり前ではなかった。

甥っ子の弁では、行った時が行った時期だけに、「韓国人が、ばらばらいなくてどこも結構空いていて、楽で、値段も安くて良かった。」と、屈託のない顔していう。

折々に、人づてに聞いていたが、ジョンウに限らず、当時、日本に行きたいと行っていた子は、みんな日本に行き、日本で住んだり、望んだジャンルで仕事をしていることを、ふと思いだした。

「最悪の日韓関係」

それは私のしていた業務や、日本企業の韓国から撤退や、LCCやフェリーの減便が急なのも、厳然たる事実。

しかし、もっと長いスパンから見れば、そしてジェネレーションの違いから見える風景のちがい、そして、個々人の想いまでをひっくるめると、もうよく解らない気がしてしまいました。

ただ、自分がいる場所を、”天国”だと言って日々を送れる心。なんか、ガツンと来ました。

ご精読、有難うございます。何卒、ポッチとご協力お願いいたします。 <(_ _)>

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