韓国のコロナ・ウィルス対応・最前線と、福岡への小さな旅。

先回のBLOGで、福岡にでも行きたいなどと、宣っていたら、先週、本当に急遽行くことに。釜山のフェリー・ターミナルの乗船前の待合の風景。
停泊する、関釜フェリー、船着き場に向かう途中
福岡への、高速線での渡航は、5回目だけれど、これまでは、未来高速のコビー号、今回は、JR九州のビートル。考えてみれば、不思議なことに、初ビートルで、福岡。
ビートルの船内、とても綺麗で若干のリクライニングは可能で、快適。

新型コロナウイルスが、武漢だけでなく、中国はもとより、東アジアで厳戒態勢となっております。本日(2020/02/07),定期健診で 梁山・釜山大学病院に行ったところ、全ての来院者は体温をチエックされ、名前を記載させられ、ここ2週間内の海外への渡航の有無を、確認されていました。

それで、日本に行ったことを伝えると、いきなり、空いている診察室に通され、簡易隔離状態で、診察を受けることに。そういう扱いは、中国や東南アジア方面に渡航した人などが対象・などと巷間に伝え聞いていたので、ちょっと驚きでした。

しかしながら韓国は、過去にSARSの、そしてMARSでのソウルの著名病院での院内感染の経験があったりしているし、思い起こせば、ウイルス禍によって、私どもも業務被害や大幅な業務スケジュールの変更に大変だったことを経験しているので、仕方ないことだと、即時に思いました。

韓国での防疫体制が、強化されている事をひとまず伝えたく、冒頭に書いた訳ですが、本題に話を戻せば、久しぶりに福岡に行ったという、お話です。※やはり、至急の業務がらみでしたが。

この日も、午前中は対馬行きの他の船が運休しているため、この福岡行きのビートルが対馬・比田勝に寄港して、向かうことになっていました。
4時間弱、波に揺られながら、福岡が見えてきた。
久方ぶりに見る、福岡の国際旅客ターミナル
福岡到着^^

釜山に来て、業務開業の当初は、兎にも角にも福岡のお客様、または企業さまにお世話になりました。そんな所以もあり、釜山に来てから、初めて、日本に渡航したのも、この福岡でした。

次第に大阪、東京、中京の会社との仕事に移行するようになってからは、なかなか来る機会がなくなり、気がつけば7年振りの渡航でありました。

以前、来た時もあったような、ただ日付は2020(笑)
フェリーターミナル、2階から。
早速、バスに乗り込んで、1軒目の用向きのある、天神まで。
福岡は、水路(CANAL)も印象的な街並み。

時間がタイトな中で、「福岡は、よく知っているので、任せてください。」などと行った手前、初めて行く出先だったので、かなり緊張していたのですが、でもなんか懐かしい気持ちが強く、天神の繁華街からはちょっと離れたオフィスだったのですが、思いのほかスムーズに、行き着くことができました。

続いて、博多駅で待ち合わせの用件があったのですが、さすがに午後2時を、とおに過ぎて、お腹が空いて来て、やはりラーメンをとも思ったのですが、やたら”もつ鍋”の店が多く、そんなのを見ていたら、今度に日本に行ったらホルモンを食べたいなと、思っていたことを思い出し、けっこう人が出入りしている、鉄板ホルモン焼き?の店で、遅い昼食。いや、やっぱりあのブチュウというシズル感、たまりません。※ 鉄板焼天神ホルモン 博多駅店

PCの備品を求めに、久しぶりのヨドバシカメラに向かう途中。ここに、来るまで、中国の人よりは、天神でも移動のバスでも、韓国人の家族連れ多し。
ヨドバシカメラ店内、昔はこういうところにこそ、韓国人がいたものだが、今は、そうでもないようで。

せっかく来た、福岡だけれど、出あるくのもままならず、出先でもらった資料を翻訳して、また、過不足分を調整して、昼1時20分の便で釜山に戻るといったスケジュール。その中で、ずっと難儀していたPCを調達する。いみじくも、先回来た時も、PCを持って帰ってきた。

今回も、同じPC店で、他店に出ていた商品を天神店で、受け取れるように手配してもらって、今回もしっかり対応して下さって、資料作成に間に合うことができた。※パソコン市場・天神店

本当は、ゆっくり書店や古本屋にも行き、資料も探したかったのだけれど、コロナ・ウィルス騒動のなか、福岡の風を少しでも感じれただけでも、良しとしよう。そうそう、行きたかった大宰府も、時間とコロナウイルスからの防衛のため断念。本当に、また、早々に来たいと思ってしまった。

博多駅、辺り。
ラーメンも次の機会。ただ何とか、おみやげ「長浜ラーメン」は、ゲット。日本の他のエリアからか、または韓国、中華圏かわからないが、うらわ若い女の子たちも、手に手にラーメンのおみやげを持っているのには、笑ってしまった。

久々の福岡だったが、本当に出先と天神、博多駅の辺りをチラッと覗いた位の渡航だったけど、釜山から来ても、直線距離2百と数十キロにあるこの街は、使い勝手も良く、食べ歩いても、観光するにしても、魅力も大な素敵なところだ。

また、先回来た時とは、問題にならない位、インバウンド対応が進んでいて、それに呼応するかのように、自分が考えているより、この時期でも、はるかに多くの韓国の人、案外、小さな子供を伴った家族連れが、とてもリラックスして慣れた様子で観光を楽しんでいた。

自分も思ったように、今度来たらあれ食べてみよう、ここに行ってみよう、これを探してみようと、繰り返し来ているなという風が、垣間見えた。

福岡から、北海道(札幌圏)の知人に、普通郵便でハガキを出したけれど、三日位で到着の知らせを受けた。釜山から、普通で郵便を出せば、その倍以上は絶対にかかる、以前対馬から出した時もそうだが、離れていても、やっぱり日本なのだ。(当たり前ですね。ごめんなさい。(;^_^A  )。

美味しそうな、おみやげが、目白押し。
沢山のひとが、いつも列を為していた、スイーツ店、これも次の機会。
なぜか、福岡の最終飯は、カツカレーが食べたくなり、福岡で、金沢カレーのチェーン店、ゴーゴーカレー。
バイバイ、福岡、また、来るぞ~
その日は、結構な高波でしたが、その荒海を疾走する、釜山~福岡をつなぐ、カメリアを、対馬までと、対馬停泊後の2度に渡って、追い抜きながら、釜山へと。

思えば、釜山に戻って13年、ここまで双方が行きかって、人的交流も進んだ痕跡も、有機的なリレーションを育める下地も十分に育った事を、体感しつつも、3歩進んで、2歩下がるじゃないけれど、なかなかに難しいものだと、

帰りの船の当時よりは、はるかに減った、釜山行きの日本の人の搭乗客の現実を見ながら、思いました。し、インバウンドに対応するということは、あらゆる不可抗力と不条理とにどう対応するかの、知恵くらべであるとも、あらためて痛感しました。

ビートルの船内でも、対馬の比田勝港で、ウイルス防衛のために、釜山からの乗船者は一人ずつ、検疫担当の方から、体温のチエックを受け、個体確認をされ、福岡の入管でのボディ・チエックも従前より、かなり綿密に行っていました。

今回の福岡行きで、行ったのが、人通りの多い、博多駅付近や、繁華街の天神だったという事もあるかと、思いますが、パワーアップして魅力を増しているのを感じました。

こういう業務をしている者として、日本の方に何を提案すれば、役に立ち、喜んでもらえるか、この間もずっと考えていました。例えば、これからもウィルス感染に対してばかりでなく、免疫を上げること等、モメチョッタ(体にいいこと)の伝統を有している韓国のもので、ご提案できるものがあればと、真剣に考える契機にもなった小さな旅でした。

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”ここは、天国みたいな所” by ジョンウ。

27日、ソウルでの法要を終えて、釜山にむかう、下りの高速のパーキングエリアの様子。下りはまだ、空いている方。ソウルへの上りは、未だ、車列でびっしりだった。
途中のパーキング・エリア。26日、ソウルまで本当に、8時間の行軍だった。

ウェブ上では、中国の新型コロナウィルスの情報が席捲していますが、ここ釜山は韓国でも、”民族大移動”と呼ばれる、新年のソルラルも2日間目を迎え、早くもUターン・ラッシュとなっているのでしょう。

これまで、そのラッシュは、実家が釜山なので、ソルラルの準備の手伝いはあるものの、案外・他人事でありました。しかし、今年は年明け早々、実家で父親が熱発して、救急病院へ走り、救急病院で待っていたら、2番目の姉さんの旦那さんのお父上が亡くなられたので、これをアップしている頃には、私もソウルに向かって、初体験の帰省ラッシュの車列の中でしょう。

そんなこんなで、例年になく慌しい新年の幕開けでしたが、成長した甥っ子達と束の間でしたが、話をするなかで、色々な事を示唆された気がしました。

音楽関係の仕事に就こうと、ここ辺とソウルを行きかっている甥っ子ですが、ちょっと会わない間に、またも背が伸びて脚もながく・歯が矯正の最中といった、まさに韓国の今風の現代っ子という風情。

もう大分前の、福岡のフェリー・ターミナル。

で、日本に住んでいる友達の案内で、福岡に行ったけど、めちゃくちゃ楽しかったと聞きもしないのに、言ってきて、「とにかく、温泉が最高で、寿司だって韓国と較べて、ネタのバリエーションが問題にならないほど豊富で値段も手ごろ、それと、大きな木があって祈るようなところがあった。」私「温泉って、どこの温泉行ったの。」というと、なんか細かい施設の名前をいうから、「そういうのじゃなく、温泉地。福岡だから、湯布院とか?。」甥 「そうそれ、*ゆふいん*。」私※内心「こちとら、福岡は一回を除いては、タイトな業務日程ばかりで、湯布院も、黒川温泉もいったことないわ・・・」とか思いながら、まだなにやら、まくし立てているので、聞いていると、「道聞いても、どこで何か尋ねても、みんなすごく親切だった、バス停の事を訪ねたりした時も、一緒に連れて行ってくれて、時間の心配までしてくれた。」

その時は、PCや生豆のコーヒーを、買ってきた記憶が

ちょうど、韓国での日本の・買運動まっさかりの時期に、行ったらしいのだが、ま・うちの甥っ子もこんなに大きくなってても、よそよそしくならず、前から性格のいい子だったから、日本でも楽しい思いができたのかなと思ったけど、その後、案内してくれて、今は長崎に留学している、その友達の子の言っていたという話を聞いて、ちょっと、打たれてしまった。

例えば、その子をジョンウとしよう。そのジョンウは、昔、姉さんが釜山にいた時、開拓教会(キリスト教)しながら、学習塾をやっていて、当時、私もそこで英語を教えたりしていたので、面識はあるのだが、甥っ子とは、兵役も一緒に行き、同じ部隊にいたらしい韓国では、若い時期の、将来をこれからどうしようかという時期に、兵役がある。

ご他聞に洩れず、甥っ子もその悩みを抱えて、悩んでる位なら早く兵役を終えてしまおうとなって、その子も一緒に兵役に行ったらしい。兵役では、休日は電話をかけれるようなのだが、ときおり、たどたどしい日本語で電話がきたり、突然、これは日本語でなんというのか、聞いてきたりしていた。なんでも、そのジョンウと二人で、日本語の学習会をやっていてジョンウは、除隊後は何故か、長崎に留学するといっていて、それを凄く楽しみにしているという事だった。

考えてみれば、他の甥っ子達の友達の誰にも、漫画でとか、もちろん家庭教師をつけたり、アニメの勉強がしたいからとか、動機も方法論もまちまちだけど、すぐ指折数えられるほど、日本に行こうと思っていた子供達(当時、7年ほど前)がいた。ところで、ジョンウだが、長崎の留学先では、ホテルの経営を勉強しているそうで、今回、甥っ子を車で福岡じゅうを案内してくれたらしい。車の運転も、日本で始めて、釜山に帰った時は、車は運転しないという事だ。

その小さな旅の間、ジョンウが甥っ子に、「今度は、長崎を案内するから、自分が今いるところも、トイレが汲み取り式なのを除いて、天国みたいにいいところなんだ。」と、何度も話していたという。

私が、19や20歳の時、当時、福岡や下関があって、関釜フェリーや、福岡へのフェリーもあったはずだけど、日本へ行く事は、それほど、当たり前ではなかった。

甥っ子の弁では、行った時が行った時期だけに、「韓国人が、ばらばらいなくてどこも結構空いていて、楽で、値段も安くて良かった。」と、屈託のない顔していう。

折々に、人づてに聞いていたが、ジョンウに限らず、当時、日本に行きたいと行っていた子は、みんな日本に行き、日本で住んだり、望んだジャンルで仕事をしていることを、ふと思いだした。

「最悪の日韓関係」

それは私のしていた業務や、日本企業の韓国から撤退や、LCCやフェリーの減便が急なのも、厳然たる事実。

しかし、もっと長いスパンから見れば、そしてジェネレーションの違いから見える風景のちがい、そして、個々人の想いまでをひっくるめると、もうよく解らない気がしてしまいました。

ただ、自分がいる場所を、”天国”だと言って日々を送れる心。なんか、ガツンと来ました。

ご精読、有難うございます。何卒、ポッチとご協力お願いいたします。 <(_ _)>

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