”2019”ファィナル。釜山~対馬12回。海峡で想ったこと。

恒例(業務がらみ)の月壱、対馬行き。12月9日から25日まで、運休だっため、今回は、2日遅れで。運休、船体検査といっているうちに、便がなくなるため、不安。
左が未来高速のNINA号、右が 大亜高速海運 のオーシャン・フラワー号ここしばらく、この2船が隔日で交替に運航していたのですが、12月中は、この2会社の2船とも17日間、運休。
久々の運行再開だったため、けっこうの数の人たちが、免税品ツアーや、小トリップ、釣りへと、賑わっていました。

水しぶきで煙る船窓から、釜山内湾を出ていく途中、大橋の下をくぐり、すれ違う、船舶や、タグボート。
対馬・比田勝港。自然の入り江を活用している港で、慣れてくると明媚で、静謐なところだと、行く度に思うようになりました。

本当に、2019年もオーラスを迎えていますね。日本にいた頃、31日には、鍋を囲んで、紅白歌合戦を、見るともなくTVでは流れていたのを、思い出します。殊に、北海道の年の瀬と、この釜山の年の瀬は、大分、違います。

北海道・小樽市郊外 蘭島・忍路 辺り

ウェブサイトでも、youtubeでも、韓国や釜山のことは、いろいろと語られ、紹介されていますが、いつも、対馬に行く船中で思うことですが、現状の覇権争いとはチョッとずれて、海峡の荒海を帆船のような船で、人々は行きかっていたのだろうな、ということです。


海洋博物館の展示より、こんな感じの船
あるいは、 こんな感じの船 か・・。

そんなこんなで、ふと思い出して、本当に久しぶりに、影島(ヨンド)の海洋博物館に、行ってみました。

影島(ヨンド)にある、国立海洋博物館、 韓国海洋大学校 に隣接されている、なんとは言っても、釜山は、韓国の海の玄関口。

釜山圏というか、この辺りは、このブログでも時折、触れてきたことではありますが、”東アジアの半島の端”という場所であると同時に、ユーラシア大陸の地続きであるという場所です。

釜山から、福岡、下関へは 200と数十キロ、対馬までは最短、50キロ。

この海の隔たりが、歴史や習俗・風俗の相違の綾(あや)を作りだしてきた事は、軽んじられるものでない事を、体感できる場所でもある気もするのです。

2020年を迎える、現在。もし、日本の方にとって、なんか本当に訳わからん考えのする連中だなと思われる時、一瞥するだけではなく、この陸と海の長い攻防から作られた癖のある発想は、たんに韓国、朝鮮半島という枠組みだけでなく、また現在・話題の、チュサッパ思想などのプロバガンダさえ越えて、ユーラシア大陸で、何度も代や種族を違えて、大帝国が作られ、また、群雄割拠した時代が交互に折り重なる場所と直に対面してきた処である事も、加味されてみては、どうかと、この一年、12回、対馬に赴いたことで到った、実感です。

今一度、比田勝の豊崎神社。日本、本土には神風が吹いて、避けられた”元寇”を、ここはもろに戦禍を蒙った。もう少し、お知りになりたい方は、対馬観光協会の歴史観光のページまで。

気軽に読む、ブログのような場で、年の瀬に、ビジネスはもちろんのこと、グルメやショッピング、エンタメとも直接関係のない、取り留めのない話で2019年の幕をひくことは、申し訳ないことですが、”日韓”この難しい関係性を紐解く、備忘として、書き残してみました。

博物館の傍にある、カフェテリア&レストラン。
海洋大学の研修船が停泊し、影島の大型クルーズ船が横付けできる船着場。ここも、初冬の風情。

皆様、何卒、2020年、良いお年をお迎えください^^。

南浦洞のクリスマス・ツリー、
ライトアップ・モニュメント ☆(ノ^o^)


釜山は、港だ!!影島ドック・エリアで、港町の光と影が織り成す、非日常に憩う^^。

※”ドック”というのは、 船の建造、修理、係船、荷役作業などのために築造された設備及び施設の総称 。

釜山市内の1日、観光ガイドで、昼間にチョッと影島を散策する前に、部隊チゲの人気店で、腹ごしらい、店内からは、日本語、中国語、東南アジアの言葉が飛び交い盛況。
キングコングという、チェーン店ですが、光復路のメイン・ストリートを、ひとつ入った飲食店が軒を連ねている一角にあるので、すぐみつかるはずです^^。

日本は12月に入り、皆さん、お忙しい時を迎えておられると思いますが、韓国は旧暦なので、一ヶ月位、時節がずれて、日本の11月のような感覚です。

メディアでは、まだまだ日韓の喧騒は続いておりますが、毎日のように街に出て、何かと用を足している眼からも、一頃とは明らかに違った動きが出つつあります。

釜山、南浦(ナンポ)エリアと影島(ヨンド)を結ぶ、跳ね橋、影島大橋、
開門にたまたま、遭遇。
続々と影島側のポート・サイドに、稼働中、建設中のホテル、オフィステルのビルが出現しています。このビルの裏手に、バリュー・ホテルがあります。
影島大橋を渡る途中、船がひっきりなしに通る、釜山港ならではの風景。
港湾ということで、タグボート、作業線、運搬船と、ひしめきあって係留されている、影島側の独特の風景
これも、大橋から。
影島大橋の歴史や、復活・再建の経緯などが、書かれた記念碑。
影島から、建設中、稼動中のホテル、オフィステル。グレーの建物が、稼働中のバリューウ・ホテル。橋を渡れば、繁華街エリア、景色はポート・ビュー、釜山港を一望。
係留されている、タグボート、作業船
荒海で作業する船体の醸す迫力
港湾エリアらしい、工具、船具、修理工場などが、居並ぶ周辺。

影島側から見る、釜山ロッテデパート光復路店。

今回、歩いた日は、空は爽快に晴れ渡っていながら、初冬の海風が吹き抜ける、群青色の海面(うみも)を、さまざまな流れが交錯する、そして、港湾の荒々しさもエッセンスのように、付加された、港の都市ならではの、一隅。

入り口の引き戸に、ect studio と書いてある位で、ファサードも造作ないエンタランス。だけど、その中に入れば・・。
中央に見える、白い機械はロースター(焙煎機)、炒り立てのコーヒーが楽しめます。

北海道でも、小樽の運河の倉庫跡、函館の海運倉庫跡等を始めとして、各所で農事倉庫などを活用した商業施設サービスを、楽しみましたが、船舶ドックの小工場を活用した、このetc studio のカフェは、廻りの釜山らしい港湾エリアの荒々しさと、極めてハイセンスなインテリア(アンティークを主とした、インテリアショップであるため、当然ですが)が、何ともいえない一体感をなして、ここでしか味わえない、オリジナリティと、ゆったりとした時が流れる、贅沢さを、醸していました。

ここから、2階へと繋がっています。
2階の窓から見える港湾の風景
レトロモダンなアンティークの家具と、潮に塗れた赤銅の鋼鉄の重厚さと、海の男達が行きかった歴史の波動が渾然一体となって、それが、不思議と、茫洋な寛いだ時間にいざなってくれる空間です。

この時期、ホテルの予約サイトなどを見ても、釜山のホテルが一気に増えている事もありますが、お得感のある価格設定になっていますし、チケットも格安な物もでているようです。チャガルチ・南浦などの繁華街からも程近い、影島エリア、結構、お勧めです。

カフェにほど近い埠頭から、この寒い中、港湾クルーズに乗り込む、観光客の方々
将来は、ここら辺もウォーター・フロントとして開発されて、いくのだろうなぁ。


2012年 春から 初夏へ  釜山は、かまのやま

2月の福岡の、太宰府 にて

関空 釜山から、LCC・ピーチに乗り換えて、千歳行の途中で

4月上旬の札幌・中島公園。大阪は、20度越えで、札幌は吹雪だった・・

大阪 心斎橋・難波の近くが、宿。束の間・散策。。

5月も、後半を迎えました。今年に入ってから、慌ただしくではありましたが、福岡、大阪に2度、遠く札幌に出向く機会が、ありました。すべて、仕事絡みの束の間でしたが、毎日、ここで色々な方と相対しながら日々考えてきた事を、確認するに良い機会でもありました。

これまでの、仕事が一段落して、さてこれから、また、新たな一歩。

本日は、釜山での市場調査に来られた方の同行通訳のあと、影島の太宗台へ、ミニ観光。

影島へ渡る橋から 海の街 数々の入江が続く 釜山ならでは

釜山は、造船の街 影島のドックで、竣工を待つ船舶。

お椀を被せたような山が点在する、だから、”釜山”。中腹まで、びっしり家屋が軒を連なる

 

締めは、海の街、圧巻・海鮮鍋(ヘムルタン)

夏の 香り?  暑さに、暫し思う事

韓国海洋大学校(国防省管轄・日本でいえば商船大学)のエントリー 海の街釜山ならでは。

釜山も、本当に真夏の暑さになってきました。今日、通訳担当のカンは、韓国特産のエゴマの栽培技法を求めて、ここより少しく内陸の密陽(ミリャン)というところに、快く受け入れて下さった著名な栽培農家の所へ、山口県の方と、朝早くに出向いて行った。来られるのは84歳の方、だと言う。

何かと、ネガティブな話題の多いなかで、自分のヴィジョンを見据えて、漸く海を渡ってこられる方の発想と行動力。 なんか、いいです。

少し前になるが、関西の実業家の方に、うちのサービスをご利用頂いた。かなりユニークな方だったが、まさに企業家らしく、どんな情報であっても自分が何かを感じたら、自分の眼で確認し、自分の感覚でその場所をどう活用できるかを考えておられる事が、伝わってきた。

商人の街、大阪。

北海道でも、しっかり地域に根付いて、且つ、尊敬できる関西圏(大阪)の人達に、色々なことを何気ないおつきあいの中で学ばせて頂いたが、厳しさの中にある”情”というものの所在は、国や民族の違いを越えて、机上の学習では、学べないだろうことを、ここにきて、最近はより強く感じる。

ついこの間まで、市中を埋めていた真っ赤な薔薇の花  何故か、韓国らしく感じる

人生というのは、ままならない。嘗ての人気棋士の”泥沼流”じゃないが、悪手を選択しても、それ以後で挽回するしか手はない。笑)その後に、蓮の花が咲くかどうかは、知らぬが、それを目指して、悪あがきする事で面白がる・・そんなメンタリティになれればよいなと、ここに来てみて思う訳です。

明日にでも、密陽行きの写真も含めて(カン先生に、写真を撮る余裕があったら。笑)アップしますが、時折、この異国で、図らずも、昔し目の当たりにしていたような事に、邂逅することがあります。