喪が少し開けて、気づけば物流も・・皆さん、情報収集は、怠りなく(汗)

私の家は、本家筋ではありませんでしたので、兄は初めての仏さん。それで、甥っ子が手配して、市が運営している納骨の慰霊施設、機張の新都市、鼎冠(チョングァン)にあるメモリアルパークに、納骨しました。山間の空気も澄んで、綺麗な場所。
綺麗に整備された施設で、赤いツツジでしょうか、とても印象的でした。

ここでは、仏教もキリスト教も関係なく、遺骨がおさめられています。当日は、初七日というのではないのですが、骨が納められたスペースに遺影が設置されたのに合わせて、参りました。

今日、ここより大分、北の江原道(カンウォンド)にもほど近い、職場の蔚珍(ウルチン)に向けて、年休をぎりぎりまで使って、お祖父さんとお祖母さんを慮っていた、喪主を務めた甥っ子が、帰っていきました。

葬儀の手配、納骨の手配も自分でして、まだ20代なのに、悲しんで泣いている家族を励まして、ほとんど涙も見せなかった子が、電話越しに「ハルメとハルベ、頼むね、コモもお疲れさん。」と言いながら、泣いていました。

そんなこんなをしている中でも、季節はどんどんと春めいて、周辺には山が連なる釜山の木々も、緑をじょじょに深めていっています。

ウィーク・デイは、週末と違い、静かな広安里ビーチ。
広安里ビーチも、整備がどんどん進み、水上アトラクションもしっかり準備万端で用意されていますが、今は、始動の日を待っている状態。
アトラクションの運営事務所。色々なものが、楽しめるようです。

例えば、こんな感じ。

先週の週末に来た時は、若い人がいっぱいで、しかも、かなりの数、マスクもしないで密集していたところもあったので、慌てて避けたのですが、鈍った身体を立て直すべく、また、近場の広安里ビーチに来たのですが、今日は、バスの中も外もみな、きちんとマスクをつけ、次第に活発化しながらも、防疫の意識は薄れていないようので、一安心。

それで、今回、日本の家族もこの一連のできごとや、主人の再入院(短期でしたが)あったりしたことで、心配をかけたり、気遣いさせてしまった事もあったので、幾ばくか、紅蔘茶や補身のものを送ろうと、郵便局に荷物を出しに行ったところ、「東京や、大阪以外、日本にEMSは送れません。ただ、次々に状況が変わって行っているので、私たちも確認が大変です。」と、唖然として帰ってくることに。

すぐ、東莱(トンネ)の集配局に電話して問い合わせたところ、私どもの送り先の札幌は、大丈夫そうだと、いうことでしたが、最大遅延が、一ヶ月かかるというのです。

本当に、少し眼を離している間にも、すぐ浦島太郎状態に、あらゆるところがなる、昨今。とりあえず、明日また、東莱・本局まで出向くつもりです。

もう個人で、商品の購入・物販されている方には、周知のこととは思いますが、関係のリンクを貼っておきます。

日本における国際郵便の取り扱い区分。※2020 04/23日 現在。

日本向け郵便 韓国、一部休止 定期航空便急減で

[新型コロナ]日本郵便が海外160か国・地域からの郵便物・EMSなどの引受を一時停止【随時更新】

日本郵便:国際郵便・EMSに関する情報を掲載

韓国から日本へ郵便を送るための現況情報。

P.S

先ほど、東莱郵便局に荷物を持ち込み、あまりに遅延がひどそうでしたので、上記のリンク内でも、おススメしていた、EMSプレミアム を使おうとしたのですが、食品関係は、お茶や海苔など、乾いているものでも全部だめ、それと、しつこく聞かれたのが、「荷物にマスク入っていませんか、入っていたら、一枚でも、荷物差し戻しになりますよ。」さんざん、脅された(笑)ので、無念でしたが、荷物からはずしました。

この前に、日本の家族が、札幌の市中銀行から、お見舞いということで、韓国宛てに送金しようとしたところ、「マネーロンダリングの観点から、できません。」と言われ、戸籍謄本を提示したり、「家族へのお見舞いが、何故、マネーロンダリングなんですか。」と色なしたりして、やっと送金したことを、後で聞いて知りました。

コロナ禍の中ですので、色々な不自由さは、仕方ないのかもしれませんが、コロナ以上にこれがどこを基点に正常化していくのか・・。資産家ではない、普通の人々は真剣に考え、なんらかの手を打っていかなくてはいけないと、改めて思った次第です。

コロナ禍の中の”兄の死”と受け継がれたバトン。

2020 4月17日の、釜山、海運台ビーチ。
コロナ禍の中、家族葬で、見送りました。カン ビョンオン 享年、57歳。

皆さん、お元気でしょうか?

私が、そうであったように、沢山の方が、身動きがとれなかったり、ライフラインの防衛も困難な中、未曽有の事態に、懸命に相対されておられる事と存じます。

ところで、私ごとですが、過日、長患いしていた兄が、釜山からソウルに赴き、心臓では国内でもトップレベルだと言われている病院で、10時間におよぶ手術の後、ICUでの8日間での面会謝絶の後、一気に予後不良の報を受け、ソウルの姉の家に待機していた他の家族と共に、変わり果てた姿で再会し、悲しむ暇もなく、釜山まで遺体を搬送し、つい過日、葬儀やその後の儀礼を終えて、その備忘に、これを書いているところです。

左端が、喪主を務めた、兄の長男、並んでいるのは、仲の良い姉のところの、兄弟。今回も、女の子を加えた、成長した甥っ子、姪っ子たち6人、本当に、頑張って葬儀を支えてくれました。

もともと、兄は活発な性格で、若い時は、現代自動車の敏腕・営業マンで、韓国のお国柄、家では跡取り息子ということもあり、姉2人に依れば、「オモニもアボジも、兄さんには甘かった、私たちと待遇が違った。」といまでも、口についてでるほど、期待されていたそうです。

私は、マンネ(末っ子)でしたので、いつも「マンネが、キャーキャーしてる。」とか、からかわれたり、頬っぺたをつねられてたりしてました。

しかし、若年性の糖尿病を患ってから、人生が暗転して、ながらく、透析をしながら、辛い闘病生活を送ってきました。今思えば、そんな兄の辛さや我慢強さを、私は半分も、理解していなかったと、思います。

出棺の折も、甥っ子の友達が、朝早くから控えていて、しっかりと、棺を運んで、くれました。コロナ禍のなかの、友達の親の葬儀に、必死になって駆け付けてくれた若い方たちの姿を見て、若い人たちに、きちんと、大事なものを紡いでいく心が育まれていることを、知りました

兄は成長した子供達と、もっと長く過ごしたいと思ったのでしょう、このコロナ禍のなか、プサンの病院ではリスクが高く手術できないと言われたオペに臨みましたが、その願いは叶えられることは、ありませんでした。

でも、今、韓国も日本同様、大変な過渡期で若い人にも、楽な時代ではありません。そのなかで、小さい時に、母親と離別し、おじいさん(私の父)、おばあさん(私の母)と、そして闘病の父親と、みんなが頑張ってきて、立派に育った喪主を務めた、甥っ子・姪っ子を見て、また、それぞれの沢山の友達が異常事態の状況下のなか、遠くから、駆け付けてきてくれて、肩を抱き合っているのを見て、兄もどんなに喜んだことだろうと、思いました。

本当のところは、病院に対する憤りや無念さも、ありましたが、まだ若くして死んだ兄に、不詳の妹ができることは、兄さんの分まで、しっかりと生きていくことだと、思った次第です。

釜田市場に、買い出しにきている人々。
人がびっちりで、びっくりした週末の、広安里ビーチ。

話は変わりますが、今日、2020年4月20日、現状、韓国では医療崩壊はおきておらず、また、物資の買い占めによる混乱、また、食料の入手の困難さなどは、おきていません。

さきの選挙で、政権を掌握した与党は、5月よりは、コロナの防疫は続けつつ、本格的な経済の正常化にシフトすると、言っています。

今現在、日本から韓国への渡航は、韓国への入国ビザを取って、入国した後、24時間以内に病院で検査を受け、陰性判定の後、2週間指定、確定した場所で軟禁され、というところですが、下にその体験をされた、西日本新聞の方が記事を書かれておられるので、参考にされてください。

韓国釜山渡航の、最新・体験情報。※入国、および、入国後の実態について。

また、日本で受けるのが難しいと、言われている、コロナの判定検査で、キットを扱っている情報が、それなりに信頼できる筋が入りましたので、参考までにシェアさせて頂きます。※わたしどもに、利害のある案件ではありませんし、私ども自身で確認したものではないので、そこのところは、ご了承ください。

コロナの検査キット 。

マスクについては、通販を使いますと、韓国のほうが入手はし易いみたいですが、価格は汎用性商品が、50枚入りで、5000円弱位です。

大変な状況下であり、人のことを言えたギリではないですが、精一杯工夫して、この事態を乗り越えましょう^^。

広安里漁港、突端からみる、トンベク、 マリンシティ 。
広安里ビーチ界隈も、新築マンションの建設ラッシュです。