韓国の南の東端、「釜山」が一番、活気づき、華やぐ季節へ。

慶州 佛国寺にて
慶州 佛国寺にて
佛国寺の入り口
佛国寺の入り口

※この文章は、業務の合間で、隔日で書かれているため、天候の表記が、チョッとずれております。ご笑覧ください。

今日は、雨が降っています。釜山では、夏の日差しが小休止する程度するくらいの、恵みの雨ですが、業務、或いは、その下準備に忙殺されて、しばらくニュースを見ないでいると、九州では、数日で500ミリ以上の豪雨で、大変な状況になっているのを、知りました。

実際に、命や日常の生活を直撃する被害は、何よりも大変なことと思いますが、観光等のインバウンドの入り込みを見込んでいた方々には、恨んでも恨みきれない天災だったであろうことは、わたしどものような仕事していると、痛いほどわかります。

日本に、13年いて、日本のコンテンツの細かさ、現場の熱心さ、厳しさは体で覚えてきましたから、ここにきて、沢山の日本のかたが来られていた時から、「今は、ただ、ここはツイているだけなんだ、これが当たり前だと思っていたら、足を掬われる」それで、ただ、必死でトライ&エラーの中で、仕事をして参りました。

桃栗3年、柿8年。日本のことわざではありませんが、ひとつ、ひとつの仕事のなかで、どれだけ、自分の力足らずや、請け負ってみて初めて、その仕事の過重の重さに気がついたり、コンプライアンスの先読みをしないと、大変な状況に直面することになることなど、身をもって学ばざるを得ない状況を、経験しながら、気づけば浦島太郎ではありませんが、8年の日々が流れていました。

それがため、トータルな意味で、さりげない形でお客様に、事案解決のアイデアを提供したり、事案選択の幅も少しくは拡がり、業務として、ひとつの踊り場に出たような節目を、感じております。

小体の体制で、かなり込み入ったビジネスの通訳・翻訳、ビジネス・サポートから、個人の方の同行通訳・観光ガイド通訳まで、請け負って参りました。より専門性が必要とされる、現況のなかでは、専門を絞って、夫々の業務に特化して、サービスを提供することのほうが、時流にはあっているかもしれません。

でも、合理的ではないかもしれませんが、私どもを頼りにしてくださったお客様との業務に、そのときには、全霊であたることで、実地にひとつひとつ血肉にしてきたことが、クロスオーバーというのか、問題解決をあきらめない視点を、作ってきたのかなと、分野の違う業務の準備を毎日している日常を振り返って思います。

冬柏公園からの、海運台、遠望。
海運台ビーチ、これからが、本番。
海運台ビーチ、これからが、本番。
KTX釜山駅前広場の、噴水。
KTX釜山駅前広場の、噴水。

この3日間は、ずっとおつきあいさせて頂いている、大阪と釜山の会社の業務で、釜山近郊の農協・農事団体(作物別)を訪問しております。今回は、新しく海運台ビーチ沿いに、すくっと現れた、東横インの新しいホテルで、海側の部屋を韓国側の会社がとり、泊まられた日本の会社の方も、「私の東横滞在、経験のなかで、一番部屋がひろく、景色もとても良かった^。」と、喜んでおられました。

私は、連日の朝7時半スタートの、長時間通訳でしたので、夕食を食べたら早々に引かして頂いたのですが、朝から晩までびっしり、皆さん、長い移動で何軒もの訪問、または商品の説明をされていたのに、結構、晩酌されていたそうです。

海のみえる部屋で、業務とはいえ、海の街の異国情緒で、少しリラックスされたのなら、何よりと、思い、嬉しく思いました。

とにかく、いつも同じことをいって、念仏みたいになってますが、海と街が近く、街の躍動と、ビーチが醸す、海風の非日常が渾然一体となっているのが、釜山のいいところ。古には、マルコポーロも、バスコ・ダ・ガマもここまではきて、海のむこうに、「ジバングという、黄金の溢れる国があって・・。」などと言って、行ってはいない、日本に、思いを馳せたそう。

週明けには、ちょっとグレードの高い専用車をチャーターして3日間、慶州・釜山界隈と、釜山には、はじめて来られる、妙齢のご夫婦を案内させて頂く予定です。

今日の晩からは、新羅、千年王国と、釜山に群雄した小国、倭館のことなどの、おさらいです。

今回は、長安寺(チャンアサ)にくので、拠らないかもしれないけど、海東龍宮寺。
今回は、長安寺(チャンアサ)にくので、拠らないかもしれないけど、海東龍宮寺。
遊覧船から見た、APECハウスと、マリンシティの億ションの雄姿。
遊覧船から見た、APECハウスと、マリンシティの億ションの雄姿。
珍味・カンチャン・ケジャン、韓国は、ワタリをこう食べる^
珍味・カンチャン・ケジャン、韓国は、ワタリをこう食べる^

7月です。釜山が、一番、活気づく季節にどんどん向かっていきます^^。

もうすぐ、こういう風景に^^。
もうすぐ、こういう風景に^^。

釜山の6月。夏のはじまりに、日本人の独り言・・

”夜のビーチ”から、昼間も憩えるビーチに変身中の ”広安里ビーチ”

ここ釜山は、6月迎え、一気に夏モードに突入しております。福岡や下関よりわずか300キロ弱の、この海のむこうの隣街から見ていても、あの災害のあと、懸命に頑張っておられる東北の方、支援しておられる全国の有志の方を尻目に、迷走する国家が、痛々しい気持ちです。

ここで生活して3年目だが、日本にいたときは、硬直的で閉鎖的だと思えた、ある種の秩序だった日本人の習俗・風習、それ自体が、カオス的な大陸の無秩序さの名残を残す、だけれども、依拠するシステムや憧れる生活の方向性が極めて、日本と変らない、この国の街で、まさに「日本ブランド」という価値なのだなと、身を持って体感しています。

とはいえ、尚更、ここにいて感じることは、間違いなく、これからさき、大勢は、本当に”アジア”の世紀。

長らく、完成途上だった高層ビルも、続々完成している”センタム”エリアの今。

その時に、きっと「日本ブランド」が、ただ汎用性(すなわち、便利で、性能がよく使いやすい)を標榜しても、”細かさ”をDNAに持つ日本人が、イニシアチブを取れる場面は、限定的だと、思われる。

もうすでに、これを読んで頂いている方は、ご存知でしょうが、汎用性については、この韓国は勿論、どこのアジア諸国の若者も、日本人を凌駕して、死ぬ思いで学習しています。おそらく、企業的な(大量・大規模生産)的な視座では、制度に関係なく、日本人(いや、人間が本来もつ)の「変りりたく」ないという習性が続く以上、”変化こそ生き延びる視座”とプログラミングされたアジア諸国の人々が、累々と侵食していく感は、既知の日本を懐かしむ方には、脅威以外の何ものでないのかも知れません。

なにさまな、おこがましいことを書いてるかと、お思いでしょうが、”貧富の差は当然”という事と、”取らなければ取られる”というのが常道、という社会で暮らしていると、かなりの”呆けもの”でも生き延びる為に、当然、肝に銘じて、微々たる己のリソースでも、何とか磨きをかけて、単なる使い捨て状態を脱し得なければ、存続さえも、ままならなくなる、と思ってしまうものです^^。

広安里大橋を、眺めながら寛ぐ 人たち。
ビーチで、寛ぐ人々 2
在プサンの外国人も、多い プサンのビーチ・リゾート

韓国では、今、現在、連日、大学で、高騰する学費をめぐって、学生がデモをしています。デモをどう捉えるかは、別にして、合理性を盾に、”怒り”を表さない美徳を、逆手に取られる愚かさだけは、もし、日本が変化し、大量生産。大量消費のスパイラルから軸をうつして、コンテンツ国家の魅力で、日本コンテンツを黙していても応援してくれる”擁護者”を創っていくことの必要性を、誰もが心の奥で、認めているとすれば、断じてかわらなければならないことだろう。

過剰なまでの上昇圧力と競争。欧米とは違い、人がひしめくアジアでは、例外なく、その軛(くびき)はついて回る。だからこそ、その必要性と闇を、アジアの中でいち早く体現した、日本人の持つ感性を、堂々と差し負けないで、提示すれば、いいと思う。ある意味では、”いいひと”と思われなくても・・・

訳のわからないことを、列記しましたが、備忘録由、お許しください。

昼下がり の ビーチで、憩う カップル達・・

ところで、サイドバーにつけている、動画。ひとつは、いわずと知れた押尾コータロー^^。韓国も、ヒップホップやガールズグループが席巻する一方で、ひそかに、ギターブーム。うちの高校生の甥っ子も、日本のアコースティックギタリストにはまり、この間は習いはじめてから2ヶ月で、見事に押尾氏の黄昏(たそがれ)を、披露してくれた。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=tCRKD1gbroI&feature=related[/youtube]

もう、ひとつは、イ・ソラ。「パラミ・ブンダ」(風が、吹く)を、はじめて聞いたとき、アイリッシュ・ミュージックマニアの自分達は、韓国の歌手の歌を聴いている気がしなかった。と、同時に、くしくも押しつぶされそうな困難に際して、懸命に怒りと悲しみを堪えて頑張っているひとと、是非、日本で聞いてみたいと思ってしまった。