韓食を求めて・・

”下記のへジャンククではなく、タラを使ったもの” 南浦洞の韓食店にて。

いつの間にか、あっという間に、バンクーバー五輪が行われている。韓国の選手は、大健闘しているのだが・・。案外、冬季の五輪の性か、まわりは、淡白なリアクション。やっと、連日の金で、少し盛り上がってきた感じ。(SBSが放映権を独占して、KBSもMBCも放映できない上、その演出が、チョットばかり?しょぼいのにも一因が・・。ワールド・ベースボールリーグ時の方が、全然盛り上がっていたなぁ。)

ショートトラックの接近戦での強さは、韓国の”ミリ単位で見切る”車の運転を彷彿とさせるし、5000メートルでの最後まで垂れないスタミナは、韓国のスタミナ食の賜物のようにも、感じる。とにかく、アジアではパワフルで通っていたが、体躯の飛躍的な向上と、期を同じくして、世界レベルで炸裂しているのは興味深い。

街中でも、背の大きくないアジョマが、他のヒトはお構いなしにぶつかり、大声で話すのに較べて、背が一段と高い若い大学生位の、殊に、男の子達は、すれ違ってもさっと身をかわすし、ちょっと言葉をかわしても、なかなかスマートで、親切。アジアも、どんどん変わっていることを、裏打ちされた気もしました。あ・・また、横道にそれちゃった。

ところで、釜山近郊の、海浜観光への個人旅行の起点でもある、西部バスターミナルのある沙上(ササン)に、昨日行った折、ふと小さなへジャンククのお店が目に付いた。一見のお客ではなく、いかにも食べつけてると言った風情の近隣のオフィス?の制服を来た一団が、ぞろっと入って行った。

唐突だけれど、韓国料理の魅力は、見た目の繊細よりも、食べた後に感じる、体の奥からじわじわと、沸き起こってくる滋味に、その真骨頂があると思っている。それなのに、釜山に来て以来、オモニがたまに振舞ってくれる家庭料理を除いては、どこで食べても??がつく事が、自分に中では多かった。

間違えてもらっては困るのだけど、決して、普通に、釜山は,食のまずしい街ではない。それどころか、街に食材は溢れかえっていて、食材のバリエーションも市場を覘くまでもなく、海のもの、山のものとも豊富で、メニューのアイデアには事欠かない。イタリアンのレストランなどは、極めて食材を調達しやすいだろう。

でも、ここは、韓国。陰陽五行で彩られた韓食を食べたいじゃないですか^^。海外の韓国レストランで、韓食の魅力にはまり、日本にいる時から、韓国料理の滋養とその効用を説いてきた身(笑)には、期待が大きすぎるのが、その要因だとは解っている。それでも、とにかく、理屈ではなく確信が欲しい。。

そんな中、その食堂のへジャンククの色を見た時、「来た~」と思った。財閥系が元締めのチェーン店が多くなり、ソウルの特級ホテルのレストランから、”韓食のレストランが消えた”なんて記事もいつぞやかは、見た。経営の観点から、価格をあげられず、利益率の点で、イタリアンや日本食のレストランが増えているような話は耳にするし、現に、そのとおりの状況を眼にもしている。

で、そのへジャンクク・軽めのテンジャン(韓国味噌)で味付けされた、髄からのエキスの深いコクと、抜けのいい喉越しは、その店の仕事が、手抜きのないプライドのあるものである事が窺われた。やっぱり、この一仕事の違いが、韓食に限らないかもしれないが、「カムサ(感謝)」というか、食文化に繋がっていくのだ・・と、勝手にひとりごちて、最後の一滴までしっかりと夢中で、味わった。

通度寺(トンドサ)への道すがら

オリンピック中継を見る暇はなく、今日は、釜山近郊の韓国3大名刹のひとつ、通度寺(トンドサ)に下見に行って来た。(報告は、後日^^)前の晩、永らく透析治療を受けながら、厳しい闘病を続けている、義兄が一時、昏睡状態に陥って、救急病院へ駆けつけた翌日。寺院の厳かな本堂で、久方ぶりに、その平癒とこれまで自分達を支えてくれた方々の顔を思い出しながら、3帰の礼で仏舎利が安置されていという異国のお寺で膝まづいた。堂を吹き抜ける風は、久方ぶりに、懐かしいオホーツクでの、まだ大変ながらも、日本の家族と、心ある人達と紡いでいた日々を想い起こさせた。

韓国、釜山。数奇な運命でここに来たけれど、縁なくしてはここにいないのだから。ここに来る、日本の方にも、少しでも、元気になって帰ってもらいたい。

老圃洞(ノポドン)バスターミナルの食堂

帰り際、以前から眼をつけていた、老圃洞(ノポドン)のバスターミナルにある食堂に、入った。コクのあるキムチ鍋。だんだん、当たりがよくなってきたと、気持ちを震い起こした。TVの下に流れる、小さなテロップには、ハングルまじりで、「スキージャンプ予選で、日本の葛西が142.5m」と流れていた。彼もまた、北海道人だ。

閑話休題。 束の間の旅人

釜山市金井区(クムジョング)老圃洞(ノポドン)長距離バスターミナルの夜在留ビザが、更新されたのが11日、これで、釜山での生活が、丸1年だ。(国際結婚をしていると、そこに住むという事、自体が、当たり前の事ではないという、習慣が身についてしまいます。)

昨年は、北海道の氷点下の厳冬に慣れた者にとっては、零下になる訳でもない、釜山の冬の、ちょっと冷え込んだ日に、「チュプチ・チュワ・チュワ・・・。(寒い~寒い~)」と言って震えている地元のヒトが滑稽だった。普段の威勢のよさは、どこにいったんだい。^^と、突っ込みをいれたくなる位、だったが、今年は自分がこの寒さに慣れてきている。考えてみれば、何の事はない、あまりの環境の激変の為に、寒さを感じる余裕もなかったのに、気づく。

ちょうど、昨年のこの時期、思いもかけなかった釜山転進と、時を同じくして、韓国が再びデフォルトなみの危機に瀕するのではないか、というような事が、誠しやかに謳われた為替状況だった。100円=1600wまで、行ったのではなかったか。

とにかく、どこへ行っても、時代が大きく移り変わっているのが、わかる。

昨日も、寒い中、金井区(クムジョング)老圃洞(ノポドン)にある長距離バスターミナルに行くことがあった。

ここから、韓国のあらゆるエリアに向かって、バスが出発する。自分は、韓流マニアではないけれど、なぜか、この夜のバス・ターミナルは、ホ・ジノ監督の「8月のクリスマス」を不意に、思い起こす風情だった。

後に、あの映画のいくつかのシーンは、その後のホ・ジノ作品にはない、ちょっと異様な美しいものだったが、ユ・ヨンギルという韓国映画を80本も撮ってきた、撮影監督の遺作だと、後に知った。韓流では、空港は主人公同士の、華々しい悲恋の別れや、すれ違いのシーンに、デフォルメされたBGMと共に使われる事が、多い印象だが、長距離バスのターミナルは、話の伏線で、縁かなわず別れ行く父と娘の、束の間の出会いと、終の別れに何度か使われていた記憶がある。

帰りに、チョッと明るい気持ちになりたくて、若者が運営するブティックやカフェも多い、釜山大学前駅に、降りて見た。

さすがに、若い連中で一杯だった。チョッと、東京の吉祥寺?にも、似た感じで、なにより、元気なのが良かった。

夜の釜山大学前駅辺りの、ストリート