東莱 (忠烈祠) の 秋

東莱 チュンヨルサ(忠烈祠) の 秋

釜山の秋も深まり、昨夜も夜に海運台を歩けば、夜の海風はもう、初冬を思わせる風情。秋の風情も、なかなか味わう事もできずに、過ぎこしている中、昼間のあいた時間に、近くの(忠烈祠)チュンヨルサに、足を向けた。

釜山も、海岸線に沿って、どんどん都市開発が進んでいる。そんな中、自分達の住んでいる、東莱のエリアは、釜山では古い歴史を持っているエリアだと、されている。

(忠烈祠) の  秋 2
たわわに 実った カリン 

そして、韓国、ことに釜山の史実ともなれば、侵攻したのは、大抵、日本ということになる。それでも、何故か、不思議と、このチュンヨルサには、時々、足がむいてしまう。慌しく、過去など振り返る暇もない日常は、ここ釜山もなんら変わらない。

それでも、高層マンションが、どんどん増えていき、工事中と雑踏が入り混じる中で、忽然と、常に整然と整備され、数多くの在来の樹種が配置され、鳥がさえずり、涼やかな気を湛えているこの場所は、古のエレジーに、おごそかな気分を醸されながらも、何故か懐かしくこころ落ち着く場所なのだ。

(忠烈祠) の 秋 3
(忠烈祠) の 秋 4

今は、本当に転換期だ。ここ、釜山も3ヶ月ぶりにどこかへ行くと、瞬く間に、雰囲気が変わっていたりする。拙速というのは、容易いが、とにかく「やる」と決めたら一気にことが進んでいく。乱暴というまでに、進展させていくのが、ここの人の持ち味だ。

この慰霊の場所も、来るたびに、ベンチを多く配置した散策路が新たに整備され。観光案内所が、置かれ。無料開放の日を増やして、やんごとなき場所から、市民の憩いの場所として、体裁を異にして行っている。

チュンヨルサ(忠烈祠)の秋 5
(忠烈祠) から、垣間見る 東莱 の 街

釜山の怪、朝鮮半島「奇譚」。

自宅から一番近い、在来市場 東莱市場のなかにある 古い「廟」

今日も、雨が降っている釜山からです。

ところで、ここ、釜山にいると、国境という壁は厳然としてあるけれど、やっぱり大陸への登竜門なんだなと、事あるごとに、思います。なぜなら、やはり生活しているうちに、中国との関係(たとえば、中国から生薬を運ぶ人の話)や、ロシア地域にまで到る、朝鮮族の人達の往来の話を聞くともなしに、耳にするようになるからです。

韓国によく来る方は、周知のことでしょうが、釜山の市内ではコンビ二の数ほど、と言ってよいほど、キリスト教の教会が、多く、韓国に来てすぐに、牧師である義姉夫妻が開拓教会の設営をする手伝いに、駆り出されて、色々な経験をしました。(ちょっと、日曜がくるのが、怖いときもありました 笑)。とはいえ、仏教の信徒はそれよりも多く、釜山市内、近郊のお寺にいけば、仏教の作務衣を着て、お参りにくる熱心な在家信者の方を沢山みかけます。 (このブログでも、順番に、この近郊の名刹のルポを書いたりします。)

その上で、儒教、道教の文化がいり混じります。

東莱市場から マウルバス 6番の途上で、見た路地より

釜山に来て、この家(上載の写真は、関係ありません^^)で寝た初めての晩に、萱葺きの原初的な農耕の村を背景にした、これまで見たこともない風景の中で、笠をかぶって一人、こちらを見て笑う少女の異常に鮮明に、記憶に残る、夢を見ました。後で、折々に見ることになった、近代化する前の朝鮮の村落の写真が、まさにその風景だったのには、驚きました。(勘違いをして欲しくないので、はっきり言いますが、自分はオカルトマニアでもなんでも、ありません。)

ただ仙道などを、生半可に齧(かじ)ると、気には敏感になり、不思議な思いをする事は多いのですが、やはり、島国にはない、独特の歴史を内包しているのを体感したのかもしれません。

自分も言葉がもっとわかれば、中国の道教とは、また似てるようで違う、韓国の国仙道の話などを、ガンガン読んでみたいのですが、今は相棒のご機嫌をとりながら、少しずつ探求していくつもりです。(相手は、プロの通訳なんで、敷居が高いです・・なかなか。ナンテ。)

儒学者の なのか?堂に祭られていた。肖像。

言葉は、一朝一夕で、身につくものではないのですが、アイデアのある方は、通訳を使ってショート・カットするのが、或る意味、(費用対効果的に)賢い選択だと最近つとに思います。何せ、時(タイム)はお金以上ですから、自分らの年代になると。