井の頭五郎・コンテナの港街を彷徨う・・ヾ(*´∀`*)ノ 。

釜山は、今日も麗らかな晴天。激動の2019年も、12月後半を、迎えております。一昨日、東京のクライアントさまから、久しぶりに、韓国現地での施工のための見積もり、を聞いて欲しいと連絡がありました。

現在の日韓の係争で、様々、難儀なことがありながら、慶尚南道圏でお取引きされているのだなと、嬉しく思うと共に、とにかく良い方向に行ってくれれば、いいなと思ってしまいました。

ところで釜山といえば、港湾都市であり、2019年の現在、皆さんが釜山にお越しになった際、普通に眼にするのは釜山旧港(北港、南港)であり,25kmほど西方に釜山新港があります。

釜山新港(釜山市西部の江西区から、 昌原市鎮海区に跨る エリア

下載の表にあるとおり、中国の激しい・競り出し方に、色々な懸案をかかえながらも、それでも、まだ、対抗して頑張っているようです。

釜山新港のコンテナバースの風景

この慌しい師走に、何の話かということですが、そんな釜山ですから、港の廻りは勿論のこと、コンテナを、眼にする事が、とても多いのです。また、業務においても、物流の確認、中継の業務等も多かったので、コンテナに自然と眼がいくように、なっていました。

コンテナーは、普通の人には、あまりなじみがないかもしれませんね。でも釜山は港の街だから、かなり釜山らしいアイテムなのです。

よく韓国の人が、災害などの不用意・発言することがあったりしますが、それ位、天災にかぎっていえば、日本よりも、災害をうける割合が少ない性もあるかと、思います。台風なども、案外、逸れていきますし、また、地震の類は、日本と比較すると、はるかに少ないです。

近時、韓国の都市部では、平屋の家屋は少なくなり、空いた土地には、どんどんマンション・オフィステルのビルが建設されています。

色々な理由で、都市に人口が集中するのは、高齢化や核家族化の傾向もあいまって、仕方のないことなのかもしれませんが、いろいろな意味でのリスクへの対応のひとつの、アイデアになりうると、このところそんな関係の動画に、はまっていました。

種あかしをすれば、東京のある会社との業務を通じて、コンテナの可能性に興味を持ったのが、そもそもの発端だったのですが。株式会社ランドピア


話がガラッと変わりますが、地元の東莱(ドンネ)市場に行った折に、撮ったものです。 ここ最近、本当に訪れる用事や、気持ちの余裕もなかったのですが、久方ぶりに行ってみました。チョッとタイムスリップした感覚で、逆に釜山も本当に変わったなと思いました。

東莱(ドンネ)エリア、史跡巡り散策コース。この場所は、東莱在来市場にの傍らすぐにありますので、見つかり安いです。日本の方の旅BLOGを覗いても、結構のかたが、一人旅などでも、来られていたようで、有難いかぎりです^^。
釜山といえば、釜山港にしても、海運台エリアにしても、海岸線。伴侶にも、”ドンネ族”と揶揄されるように、外国にいた時を除いて、私の家は、ずっと、ほぼ東莱(ドンネ)区で過ごして来ました。でも、釜山の歴史のなかでは、由緒あるエリアで、上載が証拠。実家は、この間、ついの住処も、東莱に落ち着いた模様です。 (´Д`)ハァ…

釜山市長さんも、久方ぶりに、日本の近隣自治体との合同会議のため、日本へ行ったようですし、それと、あの「孤独のグルメ」の年末スペシャルが、福岡~釜山編だというじゃないですか (≧◇≦) 。
『孤独のグルメ 2019 大晦日スペシャル~緊急指令!成田~ 福岡~釜山 弾丸出張編!』

嬉しいけれど、なんで、五郎さん、ウチに声をかけてくれなかったのか・・ (ノД`;)。


2017年 「釜山」の現状と遅すぎる・新年のご挨拶^^。

よく利用させて頂いている、運転手さんからの、あけおめメールの、小坊主さんの写真^^。

自宅近く、温泉場のカフェストリートにある、焼肉店。

2017年、遅ればせながら、明けまして、おめでとうございます。

ここしばらく、ソウルに較べてくだんの事では、扱いが地味だった釜山の名が、年初から、かなり露出する事となり、政治が一般の人々の交流や、普通に行われている生活を、かなりいびつで偏向的なイメージにつくることに、これまでもあった事ですが、少々うんざりさせられています。中東やアフリカなど、本当に戦場となっている、大量の難民がでているといった事象ではないのに。

平和などは当たり前と思っていて、そのメンテナンスを愚弄していると、すぐ、信じられない状況になることは、私も何度もお客様をお連れした、博物館や記念館の資料でも明らかであるのに。

釜山でも、ひらがなの店名をつけて、招き猫をかざるのがブームだったり、自分が英語や日本語を教えている中高生にも、「君の名は」の上映で話題が持ちきりだったり。それが、今、普通に暮らしている韓国人の日本への認識です。

ですから、わかっておられる方には、「そんなこと、知ってるよ。」と言われることかも、しれませんが、大手のメディアのちょこっと韓国にいるだけで、或いは、日本にいっただけで、訳しり顔に語られる韓国の一面の現状を、鵜呑みにして欲しくないと、思わずにはいられません。

ところで韓国は、実際は、旧暦の正月なので、まだ本当の正月気分では、ありません。そういう意味では、韓国は以前にも書いた記憶がありますが、正月を2度味わえるところです。思い立って、冬の釜山、例えば、機張(キジャン)市場で、”茹でたての蟹を、頬張る旅”なども、良いかも知れません。

ところで去る年の瀬、甥っ子が兵役の入隊で、釜山を出立しました。先週、入隊前に励ましの意もあり、一緒に夕食を取ったのですが、「他にも入隊で暫し会えなくなるというので、仲間や友達との壮行会のスケジュールが、びっしりです。」と、笑っていました。過日、「寂しくなるね、心配だよね。」と言ったら、「皆んな、行くんだから。」と無頓着に言っていた姉も、直前になって、「今、韓国は、不安定な状況だから、なんか心配。」と、今更言い出す、始末。

甥っ子が入隊する北の江原道(カンウォンド)エリアの街へむかって、一家でスノウタイヤを装着した、4駆車で、出て行きました。韓流グループのファンの方なら、自分の好きなアイドルや俳優の入隊見送りで、そういったところまで、行かれた方もいるでしょうが、頭を丸刈りにして入隊です。

バンド活動して、ギターやドラムをやり、私の誕生日でも毎年、演奏してくれた優しい子です。「除隊したら、日本へ行ってグルメツアーしたいから、いいところ探しておいてください。」と、冗談とも本気ともつかず、話していました。少しまえからは、週一で、日本語も勉強していたけれど、一所懸命、フレーズを作って練習していました。

元気で、逞しくなって、帰ってきて欲しいです。

ところで、これも既に昨年の12月の末になりますが、夜になると零下10度の雪景色の北海道から、工業プラントほか、施設の地下埋設技術に定評のある、北海道の企業さま、御一行、総勢40余名の皆様が、韓国への旅も兼ねて、釜山現地企業の視察、面談も含めて訪問されました。

今回の韓国への研修を決めたのは、特に、韓国に限らず、国内にいてはわからない、国外の状況がどんどんと変わっていることを、自社のメンバーに肌で感じて欲しいということが、趣旨だということでした。

たまたま、機縁があり今回は、韓国でといったことだったようですが、皆様、真摯に熱心に工場を見学されておりました。

こういった交流の機会を逃すことなく、積極的に有機的な関係を築いていけるか、これからの韓国にとっても、極めて大切なことだと、身をもって知らしめてられている、昨今でありますが、その橋渡しのサポートをより円滑に行うことも、自分達の重要な役割だと認識して、激動の年となるであろう、2017年に向き合って行く所存です。

頂いた、「六花亭」のお菓子

通訳の 愉しみ?

CAM00111

今日は、戸外は木枯らしという訳ではないですが、枯れ葉を舞散らす、冬の到来を告げる冷たい風が、吹き抜けています。

上載の写真は、東莱市場近くにある、朝鮮時代からの役所跡を復元している、ところ。

仕事に出かける折、地下鉄駅までの間、バスより見る風景ですが、大分、仕上がってきたようです。

釜山市中に、今も尚残る、日本家屋
釜山市中に、今も尚残る、日本家屋

 11月で、ここにきて、このサービスを立ち上げてから、丸6年を過ぎ越しました。お客様と、仕事を通して、今までいかなかったような

韓国のエリアに行ったり、本当にさまざまな案件に、係わらせて頂きました。 

 

早かった、遅かったか、そんなことにさえ、気がいかなかった程、嵐のような日々でしたが、鏡にうつる自分を見れば、

目尻に深く刻まれた皺に、その歳月が現実であることを、いやがおうでも突きつけられます。(笑)

 

でも、この皺も伊達ではなく(苦笑)、ことにここ最近は、業務でいった相手方の方に、「貴方なんで、そんなに頑張るの。」と、

押し問答しながら、半分笑って聞かれることも、ままあったりします。

 

若いときなら、角がたったり、押しがきかなくて、通せなかった案件が、それなりに相手のかたの「やれ、やれ」感も伴って、結果的にちょっと無理めかなという、

お客様の意向に、何とか対応できたりしている。

そして、やっぱり、お客様に「助かりました。」と言われることは、この仕事の、醍醐味かなと思います。

釜山の絵画展から、釜山の或る街並み
釜山の絵画展から、釜山の或る街並み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東莱 (忠烈祠) の 秋

東莱 チュンヨルサ(忠烈祠) の 秋

釜山の秋も深まり、昨夜も夜に海運台を歩けば、夜の海風はもう、初冬を思わせる風情。秋の風情も、なかなか味わう事もできずに、過ぎこしている中、昼間のあいた時間に、近くの(忠烈祠)チュンヨルサに、足を向けた。

釜山も、海岸線に沿って、どんどん都市開発が進んでいる。そんな中、自分達の住んでいる、東莱のエリアは、釜山では古い歴史を持っているエリアだと、されている。

(忠烈祠) の  秋 2

たわわに 実った カリン 

そして、韓国、ことに釜山の史実ともなれば、侵攻したのは、大抵、日本ということになる。それでも、何故か、不思議と、このチュンヨルサには、時々、足がむいてしまう。慌しく、過去など振り返る暇もない日常は、ここ釜山もなんら変わらない。

それでも、高層マンションが、どんどん増えていき、工事中と雑踏が入り混じる中で、忽然と、常に整然と整備され、数多くの在来の樹種が配置され、鳥がさえずり、涼やかな気を湛えているこの場所は、古のエレジーに、おごそかな気分を醸されながらも、何故か懐かしくこころ落ち着く場所なのだ。

(忠烈祠) の 秋 3

(忠烈祠) の 秋 4

今は、本当に転換期だ。ここ、釜山も3ヶ月ぶりにどこかへ行くと、瞬く間に、雰囲気が変わっていたりする。拙速というのは、容易いが、とにかく「やる」と決めたら一気にことが進んでいく。乱暴というまでに、進展させていくのが、ここの人の持ち味だ。

この慰霊の場所も、来るたびに、ベンチを多く配置した散策路が新たに整備され。観光案内所が、置かれ。無料開放の日を増やして、やんごとなき場所から、市民の憩いの場所として、体裁を異にして行っている。

チュンヨルサ(忠烈祠)の秋 5

(忠烈祠) から、垣間見る 東莱 の 街

熱帯夜に、ミルミョンを想う(--)

センタム・新世界デパート前 の 現在地からの世界主要都市の方角と距離案内

色々あり、暫く、更新できませんでした。というのに、釜山の日差しは、また、真夏に逆戻り。暦は、いつのまにか、9月に入っています。今まで、ご利用頂いた方は、北限・東京ですので、「あいかわらず、暑い日々、いかがお過ごしですか?」などといえる現況。本当に、この暑さで、皆さん、熱中症はもとより、食中毒に要注意。

ここ暫くは、炎天下の中、歩き、ミルミョンで涼む、といった按配でした。舌が、化学調味料や、添加物キラーとなっているので、ここは!と、納得したところは、繰り返す使うことになる。

いつも、冷え冷えの 東莱・メガマート裏の 伽耶ミルミョンのミルミョン コシの強い麺がうまい

クーラーのない部屋で、これを書いてるせいか、余計に、また、食べたくなってしまう。(笑)

釜山に来てから、後、2ヶ月で、2年になる。こんなインターネットで結ばれた時代なのに、色々な懐かしい人たち、大切な人達との音信も疎遠になってしまった。自分の不徳に他ならないが、自分の現実とそれらの方の現実の乖離の度合い、取り巻く状況の違いを考えると、大切な思い出を、今のこの一時の感興で、壊したくないという、錯誤もはなはだしい、センチメンタルな、体のいい、いい訳に過ぎない。

ただ、現代の一度、席を失うと這い上がるのが、極めて難しい現実と、異国でも十二分に直面している。

豊かさを、物質のみに仮託して、その対価の得失を問わない風潮は、日本だ、韓国だに留まらない。世界の人達の幸せをなんて、白々しい事はいいたくないが、お世話になりながら、お礼のひとつ言えず、ここに来ることとなった方々、また、これまで、このサービスを利用して頂いた方々に、なにやら、とってもお礼がいいたい、熱帯夜であります。

PS そういえば、この間、珍しくお客様を、新世界デパートにひっぱっていった。ひいきの引き倒しはしたくないのだが、新世界は、デパートはひとつの文化なのだという、雰囲気を形づくろうとしている。年寄りも、若者も、勿論、そのスペースの巨大さのみならず、サービスの一寸した対応。到るところに、誰でも腰掛けられるソファを配置して、誰もが、気軽にカンフォートな気持ちに浸れるように、配意されている。

イベント・スペースでのドイツで修行された、著名な女性陶芸家の方の展示だったが、撮影禁止の表示にもかかわらず、こころよく許可してくださった。過日は、携帯を落として、取りに行った時、保管してくださっていた、SPAの係員の方の真摯な対応。。かえって、迷惑になるので、ここまでにしますが、釜山にきたら、是非、遊びに行ってみてくださいね。

ワールド・カップ初戦前夜、賑わう ”東莱”駅前 の 飲み屋街

ワールド・カップ・ギリシア戦、前日の地元 東莱駅前の飲み屋街

サッカーのワールド・カップも、始まりいち早く、韓国代表はギリシアを相手に拍子抜けする位、アッサリと勝利していました。IMF対決などと、憎まれ口を叩きながら観戦したのですが、ギリシア選手の動きがあまりにも重かったのが気になった。

特に熱心なサッカー・ファンではないが、2004年に、怒涛の圧力で欧州チャンピオンになった時の印象が強いギリシアの心ここにあらずといった戦いは、2001年に国家破産した直後に、2002年日韓ワールド・カップで精彩なくグループ・リーグで敗退したアルゼンチンを想い起こさせた。

経済危機のことあるごとに、死神のように見え隠れする、IMFという名前。真面目なサッカー・ファンからは叱り飛ばされそうな事を、スマートな体裁きで、プレーする韓国の選手を見ながら、時代の流れを感じたりした。このところ、韓国は、なんか、本番までのシミュレートが何につけても、徹底している気はする。

24時間 炭火焼海鮮 の お店

それにしても、自分達が住んでいるこの東莱の、飲み屋街は、観光スポットではないのでお客さんを連れてきた事はないのだが、いつも千客万来で、大賑わい。オープンスタイルのビヤホールで、海の街、釜山らしく生きた海鮮の素材を、炭火の網焼きで戴く。とにかく、オープン・スタイルの店が軒を連ね、老若男女(笑)結構、楽しそうな風情。

写真とか、ビデオを廻していても、気さくにピース・サインで答えてくれたりして、こんなところは陽気なコリアン気質の楽しいところでもある。 次回からは、釜山の地元の風情を感じたいお客様を、お連れしてもいいかなと思った。きっと、西面や、広安里とかより、安いだろうし^^。

ついに、満開・釜山の桜”市民公園のマジック”

釜山 市民公園 の 桜 その1

桜・散る花・・。今日は、時間がない中、自宅から、徒歩3分の温泉場(オンチョンジョン)の桜が、まさに満開なのを、なんとか、フォローアップしにやってきました。2000年の、IMF不況の嵐、吹き荒れる中で、背に腹変えられぬ状況の中、施工された公共事業として創められ、毎年整備され続けている河川敷の市民公園。

いつも、沢山の人が、自分の体を維持するべくウォーキングしています。日本の人以上に、思い思いのスタイルで老若男女歩いている様は、壮観ですが、それ以上にここは、冬の数ヶ月を除いた1年中、色々な花が続々と楽しめるように、計画的に整備されています。

満開 の 桜の下で、将棋にうち興じる、アジョシ。

数え切れないほどの桜の木が、何キロも連なっている。

個々人が、自発的に、ゴミを散らかしたりしないという習慣は、日本とはチョッと違う(笑)感じですが、それを凌駕する勢いで、イベントなどで、とんでもなく散らかったゴミが、朝10時位までには綺麗に片付けられていたり、台風で目茶苦茶に散乱したゴミが、1日で消えうせる、”マジック”に内心、驚嘆していました。

そしてじきに、その正体は、年配の方たちで構成される公園管理事務所の人たちだと、判明したのです。それ以来 、その方たちが、綺麗にゴミを拾い、花を植えたり、コニファーを植えたり、下草刈りするのを、みるともなく見てきました。昨年は、「なんで、プサンにこんなに桜の樹木があるの?。」と、びっくりしたのですが、今年は、また違った視点で、百花繚乱に咲く、桜を見やりました。

高層マンションの裾を、雲海のように彩る

釜山の桜は、これからが、本番^^

東莱温泉場にいたる 河川敷 市民公園の 5分咲きの 桜

もう、3月も本当に終わり。実に、早いです。とか、言っている間に、暦は4月に変わっていました。

最近、街で軍服を着る若者が、不思議と目に映るようになっていました。徴兵制の国では、あたりまえの光景なのですが、軍服を着ていても、あどけないとも言える普通の若者。それだけに、沈没した軍艦に兵役の若者が乗っていないければなと、思ってしまった。映画「iris」を地でいく状況を抱える、この国の現実を肌で感じる刹那です。

ところで、この釜山にも夥しいほどの桜の樹木が、植えられています。この近くでは、鎮海(チネ)というところの桜祭りが有名ですが、この市民公園も、高層マンションと、桜花のコントラストでなんとも贅沢な風情になります。日本人が、半島で、めでる桜です。

3月29日 の 通度寺の 一景

近郊のお寺の風情も、一段と彩られます。エネルギッシュに生きている、この慶尚南道の人達が、憩う場所でもあります。

通度寺 の 名物 の全自家製 山菜 の ビビンパプ 彩りも、味もとてもセンスが いいです

釜山の桜、これからが、本番です。

釜山の怪、朝鮮半島「奇譚」。

自宅から一番近い、在来市場 東莱市場のなかにある 古い「廟」

今日も、雨が降っている釜山からです。

ところで、ここ、釜山にいると、国境という壁は厳然としてあるけれど、やっぱり大陸への登竜門なんだなと、事あるごとに、思います。なぜなら、やはり生活しているうちに、中国との関係(たとえば、中国から生薬を運ぶ人の話)や、ロシア地域にまで到る、朝鮮族の人達の往来の話を聞くともなしに、耳にするようになるからです。

韓国によく来る方は、周知のことでしょうが、釜山の市内ではコンビ二の数ほど、と言ってよいほど、キリスト教の教会が、多く、韓国に来てすぐに、牧師である義姉夫妻が開拓教会の設営をする手伝いに、駆り出されて、色々な経験をしました。(ちょっと、日曜がくるのが、怖いときもありました 笑)。とはいえ、仏教の信徒はそれよりも多く、釜山市内、近郊のお寺にいけば、仏教の作務衣を着て、お参りにくる熱心な在家信者の方を沢山みかけます。 (このブログでも、順番に、この近郊の名刹のルポを書いたりします。)

その上で、儒教、道教の文化がいり混じります。

東莱市場から マウルバス 6番の途上で、見た路地より

釜山に来て、この家(上載の写真は、関係ありません^^)で寝た初めての晩に、萱葺きの原初的な農耕の村を背景にした、これまで見たこともない風景の中で、笠をかぶって一人、こちらを見て笑う少女の異常に鮮明に、記憶に残る、夢を見ました。後で、折々に見ることになった、近代化する前の朝鮮の村落の写真が、まさにその風景だったのには、驚きました。(勘違いをして欲しくないので、はっきり言いますが、自分はオカルトマニアでもなんでも、ありません。)

ただ仙道などを、生半可に齧(かじ)ると、気には敏感になり、不思議な思いをする事は多いのですが、やはり、島国にはない、独特の歴史を内包しているのを体感したのかもしれません。

自分も言葉がもっとわかれば、中国の道教とは、また似てるようで違う、韓国の国仙道の話などを、ガンガン読んでみたいのですが、今は相棒のご機嫌をとりながら、少しずつ探求していくつもりです。(相手は、プロの通訳なんで、敷居が高いです・・なかなか。ナンテ。)

儒学者の なのか?堂に祭られていた。肖像。

言葉は、一朝一夕で、身につくものではないのですが、アイデアのある方は、通訳を使ってショート・カットするのが、或る意味、(費用対効果的に)賢い選択だと最近つとに思います。何せ、時(タイム)はお金以上ですから、自分らの年代になると。