コロナ・救援の医療スタッフ、続々、大邱 (テグ)へと。

3月に、なりました。お元気ですか? の挨拶が憚れるほど、地域により温度差はあるでしょうが、非日常な状況の中、閑散とした街中の風景の中で、ここ釜山もそうですが、日本でもこの週末をお過ごしになられている方も、多かったのではと、思っております。

もう、あらためて、表記することも、ためらわれる事ですが、コロナウィルスの韓国での罹患者が、3,700人を越えようとする中で、この釜山での感染者の伸びは、少しく鈍化しております。

あれだけ途切れることなく、感染者の行動経路を全携帯(スマホ)で告知し続けた、啓蒙活動の成果もあったのか、緊迫状況下にあって、個人的には、心の中で、ささやかな朗報ではあります。

とはいえ、深刻な状況を迎えている 大邱 (テグ)とは、100キロ程度の距離でありますので、引き続き、余談を許されぬ状況では、あります。

ところで、 韓国での、感染者増加の9割を占める、その大邱 (テグ)では、 差し迫る状況のなか、不足する医療スタッフ救援の声を受けて、他エリアから、医師、看護師のかたが、続々と、有志で、入っておられるようです。

本当に、とおり一遍ですが、頭がさがる思いです。今は、プロフェッショナルな医療スタッフの尽力なしに、この難局を打開する術はないだけに、是非とも、皆さんに、御加護あらん事を、願うのみです。

その中には、大統領候補としても、呼び声も高かく、医師として勤務しながら、敏腕プログラマーとしてセキュリティ・ソフトを開発し、アン・ラボというIT会社を設立した企業家でもあり、米のペンシルべニア大学でMBAを取得するといった、異色の政治家と言われている、安 哲秀(アン・チョルス )氏夫妻※(奥さんも、医師)も名を連ねていると、報じられていました。

実は、何を隠そう(隠すほどのことではないですが)、先回の大統領選挙の時、私が支持していたのも、安さんだったのです。これまでの政治家と違い、権謀術数ではなく、 今の時代を知り、 能力も知識もずば抜け、国際性も十二文に持ち合わせている、新時代の韓国のリーダーに、まさにうってつけの方と、少なからぬ期待を、寄せていたのです。

当時は、韓国側においては、中小企業の社長さんとの交流が多かったので、その事を、社長さんがたに話すと、「安さんは、悪くない。ただ今回は、国の中で、経済格差が進みすぎている為、政治家として経験の豊富な政治家で、そのこと(格差)の是正を公約している人がいい、だから、今回は、文さん。」という言を、幾度も聞いたものです。

その後、急速にそれぞれの会社が、日本からの依頼をなくした為、その後をよくは知らないのですが、選挙後、一連の状況下のなか、貧富の差はもっと進み、既存の中小会社には、まさに、受難の時代を受けてここに至っている現状を、社長さん達はどうされ、何と言うのか、フッと頭をよぎってしまった。

はからずも、日本に於いて、私の知人、友人、恩人、義親族のいる北海道も、同様な局面に立たされ、そのことも私の直近の大きな懸念になっている。

このウィルスの沈静化が、無論、今一番、大事なことであるけれども、この背面で進んでいる、国を越えた大転換期に、少しでも現実の視座を見据えて、今、今を一人でも多くのひとが、人間として生きられる方向を提示して頂ける方に、率いて欲しいと、痛切に想ってしまった、午前3:00でした。

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半島からの、”役に立たない”伝言。

2020/2/16 ウイルス渦のなか、機張のオシリアのIKEAオープンに人、殺到。
駐車場から、駅から、もう人の群れ。

ここしばらく、春かと錯覚するような陽気から、一転、今日は窓を叩く風も寒気を携えて、真冬に逆戻り。とはいっても、知人が送って来てくれた北海道新聞アプリでは、新千歳が大吹雪で運休とか、この間は、マイナス35℃になったとか、そんなのと較べれば、”何のことですか~ಠﭛಠ”ってことなんでしょうが、とにかく、そんな日でも、なんとか前向きに生きていかねば、なりません。(ナンノコッチャ。)

隣は、何をする人ぞ。これがどんどん進展しているのは、韓国も日本も変わらないようで、人だかりを避けるように注意を喚起しているお達しとは裏腹に、IKEAのオープンに、この人だかりができておりました。

かく言う私も、このオープンを待っていた一人で、「このご時世に、そんなとこ行くのは、おめでたいな・・。」と家人の箴言もなんのその、休日で実家に帰省している甥っ子をなかば唆して、年老いた母親を伴い、馳せ参じたのであります。

市中や、地下鉄、バスの広告も、病院だらけの韓国。そんな中、例えば、黒人参、黒ニンニクの韓方補身食材。効きそうですよね。

ま結果は、入場規制がかかる程の事態で、隣のロッテモールで甥っ子の冬物を買い、お茶して、そそくさと退散したのですが、ウェブやメディア、youtubeや、日本での報道と較べて、先回のMARSの時より、街の人達の反応が呑気な気がしたのは、気のせいなのか。写真から見ても、お分かりの通り、先回の時と較べて、マスクをしている人も少ない。

報道でも、非常事態の宣告から、じょじょに、感染ルートを正確に確認することも難しくなってきて、蔓延した場合の治療を重症者優先ですることや、自己防衛に関する情報が増えてきたように、思います。

本当に、事実あるいは真実を見極めるのが、溢れる情報の渦のなかで、便利になったように見えて、難しい時代になっている。というか、事実の価値が置き去りにされて、いくらでも改ざんできるご時世なのかとも、思います。

フィールドワークではないですが、私どもは何はさておき、限定されたエリアのサービスを標ぼうするなかで、”実際に確認すること”を原則に仕事をさせて頂いて参りましたしかし、そもそも大して、本当の意味での切実さがない事案では、そのように見えた方が便利なことが、事実より都合がいいことに、もうバイアスがかからない時代なのでしょうかえっ、何言ってんだが。

きっと、オホーツクの海は、今頃、こんなんでしょうか。。

なんてことさえ、もうどうでもよくなって(業務を疎かにしているのとは、違います ( ー`дー´) )、自分のような類の者が、目に見えないお方々が(国とかでなく)どんな風に世の中を持っていきたいのか、今度は、そして次はみたいなことに、なっていくというのが、ここでこういう業務していると、次第になってくる視点なんであります。

現場仕事も多いので、生薬を調達して、お手軽自家製薬膳スープ。時代は、免疫⁉

本題に戻しますと、事実や真実は、かならず、時を越えて、それをないがしろにした者達に、修整をせまってくる気がします。ナンテ。とにかく、それの道連れになることは、本当に悔しい。今、現場でウイルスの真実と向き合っている方は、無論のこと、免疫をあげて、行かねばですね。

数年前の、ニセコ。
同じく、数年前の、小樽にて。
羊蹄山 知人が撮った、北海道の写真、このブログで願いごとを載せると、この頃、それが現実化するので ( ゚∀゚) 。

宜しければ、ポッチとお願い致します。 m(。≧Д≦。)m

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2018年10月1日 釜山の秋に、想うこと。

これなんの看板か、一見、わからないですよね。昔の、怖い時代の警察署モード。ま、字面読めば、テジカルビの店ですが、とにかく、個性溢れる若い感性が、跋扈する西面エリア。色とりどり、百花繚乱のファサードや趣向で、軒を連ねている中で、逆手を狙ったのか??

韓国・釜山は、10月を迎えました。私どもは、韓国にはおりますが、日本のお客様に対して、サービスを提供させて頂いております。今日の釜山は、まさに秋晴れで、涼しいと思えるほどの気持ちのよい風が、麗らかに吹き抜けていきます。

朝のTVでは、日本をもう今年何度目になるのか、縦断した台風の影響が夜が明けて、明らかになり、それでも度重なる天災で、収斂している思いきった対応で、韓国にいれば10年に一度起きるかの災害を、ひと夏・秋で受けて、それでもすぐ復興していこうと頑張る。

長きに渡って関空(KIX)からのお客様を迎える、また、日本での案件に関しては、関空に降りるというのが結構、習いになっておりましたので、まさか関空自体が、水没するなど考えていませでしたし、幸い、当時、本当のところはどうかわかりませんが、大阪のお客様の会社自体は、「うちは、大丈夫です」と皆さん、気丈にも仰られておりましたが、9月の私どもの案件も、偶然、大阪からのお客様で予定されていたものが、全て順延になったほどでしたから、現場の大変さは、いかばかりかと思っておりました。

そのうえで北海道しかも、千歳圏ないしは札幌をほぼ直撃する地震が起きるなどは、予想だにしない事で、ありました。

自分が長きに渡り過ごした場所の、信じられない光景は、他の被害地域の大変さを思う事とは、また少しく違う感情を、惹起させました。

東海線乗り入れで、活気づく、KORAIL釜田駅、周辺。

この日は、25日でしたか、まだ、秋冬(チュソク)が明けきらず、開店しているお店も、まばらでした。

釜田市場、ここにあるのは、嗜好品ではなく、人が生きていくために、必要なもの、本当に、なんでも、あります。韓国伝統の補身の素材。

地下鉄1号線の釜田駅の、壁面に描かれている、市場ので働くアジョンマのイラスト画。このタッチが、なんかいいんです。

そんな中、こちらに戻る、日本での最後の一年間、本当に小さな韓国語の教室をしていた時の生徒さんが、ある方の訃報を知らせて下さった。「Nさんが、ご逝去されました、ガンでなんども手術して。ランニョンさんにも、何度か、手紙を書いたんだけど返事がなかったと、悲しがっていました。」なにか、撃たれたような、言葉では説明できない衝撃と、北の辺で、吹雪のなかも、本当に嬉しそうに熱意を持って、至らないその方から見れば若輩の私を、女手で水産加工場を切り盛りする女丈夫でありながら、「先生、先生」と慕ってくれた、その方の背筋を張って勉強する姿が、昨日のことのように、甦ってきました。

本当のことを言えば、その時のできごとの全てが濃密で、そして、それは言葉では説明し難いことに思えて、でも、それはもう戻れないことでもあるのだからと、その思いを業務に託して、それを糧にここでも頑張ってきたのだと、思っていました。

東莱・温泉場エリアにある、雰囲気のある、洋食のお店

最近は、南浦などの従来の繁華街ではなく、エリア毎の一見客相手でない店のなかに、面白い魅力的なお店や、試みが目立ってきています。温泉場エリアも、面白くなってきました。

日本と韓国を、またこの台風が鎮まれば、沢山の人が行き交います。今回、日本政府は、北海道割りという、北海道への思い切った支援を敢行するようです。私どもも、内容を詳しくは精査していませんし、災害を受けてきたのは、北海道だけではないという方も、おられましょうが、秋から冬にかけての北海道を楽しむには、画期的な試みと思います。どうぞ、北海道を走り廻った人間が言うことですので(笑)、釜山ともども、足を運ばれてください。

想い出。ごめんなさい。有難うございました。

釜山・3月 新年度を迎えるにあたり。

綿の花 イルガンビーチのカフェの一隅で。

平昌オリンピックの余韻も、序々に鎮まり、気がつけば、釜山は3月も、半ばを過ぎ越しています。華やかな舞台の傍ら、北との関係で仰仰しい報道が、目立つ半島情勢ですが、業務をされている企業間は、ことに製造においては、受注と発注、検品、搬出、確認、クレーム処理を、繰り返す日々が、続いております。

夫々の業種で、扱う商品のスケール、商品の性格も違うはずで、今現在、私どもが業務代行に、携わっている取引は、BtoBに属する形態がほとんどですが、行政からの受注ではなく、7割方は、日本のクライアント(会社・企業)さまが、企業・個人から受注し(営業活動をして)、その成果が、韓国の製造会社に発注することで、成立する取引となっております。

私どもの役目は、クライアントさまの取引による、錯綜のストレスを下げることと、日本の細かいオーダーと、韓国企業とのクッション的なことが、結果的に求められたりします。

広安里ビーチの漁港から、マリンシティを臨む。

丸10年、こういう企業間の仕事に携わってきて言えることは、世情では、刻一刻とすすむ技術革新、金融環境の変遷等、テクニカルな部分に脚光があたりますが、不思議と最近では、もっと何というか、スピリチャルというか”縁”みたいなものの介在をビジネスの分野でも、感ぜざるをえません。業務とはいえ、あっというまに経っていく歳月をかけて、誰もが仕事をされているわけで、ご縁があり携らせてていただいている会社さまや、商品に愛着が湧いてくるのは、いたしかたがないことで、業務をとおして、私たちの見えている世界や、存在するサービスが世にでるまで、どれだけ多くの労力がかけられているか、身をもって知ることになりました。(実際は、そんな悠長な世界ではなく、ふうふういいながら、やっているのが、現実ですが・・)。

東海線ができて、マンション建設がこれから、進むイルガン・ビーチ。この、のどかな光景も、いつまで。

残念ながら、今回の地元のオリンピックで、参画する場面はありませんでしたが、その間も続いていた業務の合間に、かって住んでいた、北海道出身の選手の方々が、堂々とインプレッシブなパフォーマンスと、洗練された応対で、話題をさらっているのをみながら、やっぱり、AIが跋扈する時代にあっても、人と人とが論理を越えたところで、やりとりしているのだなと、たくさんの学びが、ありました。

2017(昨年) 3月・北海道央・視察行時。札幌・藻岩山からの夜景。

同、ニセコ・小樽エリア視察時の、道中、羊蹄山。

余市 ニッカ・ウィスキー博物館での、ひとコマ。

博物館内

小樽運河

韓国は、一足はやく3月から、日本も卒業や配置転換等を迎えて、4月から新年度ですね。私どもも、これまで手をつけてこれなかった、業務のプレゼンテーションの改善・促進、また、業務自体のクライアントさまの満足度(必要性、必然性の明確化)を上げる事等、手をつけて参りたいです。

平昌オリンピック・マスコットと。

2017年 「釜山」の現状と遅すぎる・新年のご挨拶^^。

よく利用させて頂いている、運転手さんからの、あけおめメールの、小坊主さんの写真^^。

自宅近く、温泉場のカフェストリートにある、焼肉店。

2017年、遅ればせながら、明けまして、おめでとうございます。

ここしばらく、ソウルに較べてくだんの事では、扱いが地味だった釜山の名が、年初から、かなり露出する事となり、政治が一般の人々の交流や、普通に行われている生活を、かなりいびつで偏向的なイメージにつくることに、これまでもあった事ですが、少々うんざりさせられています。中東やアフリカなど、本当に戦場となっている、大量の難民がでているといった事象ではないのに。

平和などは当たり前と思っていて、そのメンテナンスを愚弄していると、すぐ、信じられない状況になることは、私も何度もお客様をお連れした、博物館や記念館の資料でも明らかであるのに。

釜山でも、ひらがなの店名をつけて、招き猫をかざるのがブームだったり、自分が英語や日本語を教えている中高生にも、「君の名は」の上映で話題が持ちきりだったり。それが、今、普通に暮らしている韓国人の日本への認識です。

ですから、わかっておられる方には、「そんなこと、知ってるよ。」と言われることかも、しれませんが、大手のメディアのちょこっと韓国にいるだけで、或いは、日本にいっただけで、訳しり顔に語られる韓国の一面の現状を、鵜呑みにして欲しくないと、思わずにはいられません。

ところで韓国は、実際は、旧暦の正月なので、まだ本当の正月気分では、ありません。そういう意味では、韓国は以前にも書いた記憶がありますが、正月を2度味わえるところです。思い立って、冬の釜山、例えば、機張(キジャン)市場で、”茹でたての蟹を、頬張る旅”なども、良いかも知れません。

ところで去る年の瀬、甥っ子が兵役の入隊で、釜山を出立しました。先週、入隊前に励ましの意もあり、一緒に夕食を取ったのですが、「他にも入隊で暫し会えなくなるというので、仲間や友達との壮行会のスケジュールが、びっしりです。」と、笑っていました。過日、「寂しくなるね、心配だよね。」と言ったら、「皆んな、行くんだから。」と無頓着に言っていた姉も、直前になって、「今、韓国は、不安定な状況だから、なんか心配。」と、今更言い出す、始末。

甥っ子が入隊する北の江原道(カンウォンド)エリアの街へむかって、一家でスノウタイヤを装着した、4駆車で、出て行きました。韓流グループのファンの方なら、自分の好きなアイドルや俳優の入隊見送りで、そういったところまで、行かれた方もいるでしょうが、頭を丸刈りにして入隊です。

バンド活動して、ギターやドラムをやり、私の誕生日でも毎年、演奏してくれた優しい子です。「除隊したら、日本へ行ってグルメツアーしたいから、いいところ探しておいてください。」と、冗談とも本気ともつかず、話していました。少しまえからは、週一で、日本語も勉強していたけれど、一所懸命、フレーズを作って練習していました。

元気で、逞しくなって、帰ってきて欲しいです。

ところで、これも既に昨年の12月の末になりますが、夜になると零下10度の雪景色の北海道から、工業プラントほか、施設の地下埋設技術に定評のある、北海道の企業さま、御一行、総勢40余名の皆様が、韓国への旅も兼ねて、釜山現地企業の視察、面談も含めて訪問されました。

今回の韓国への研修を決めたのは、特に、韓国に限らず、国内にいてはわからない、国外の状況がどんどんと変わっていることを、自社のメンバーに肌で感じて欲しいということが、趣旨だということでした。

たまたま、機縁があり今回は、韓国でといったことだったようですが、皆様、真摯に熱心に工場を見学されておりました。

こういった交流の機会を逃すことなく、積極的に有機的な関係を築いていけるか、これからの韓国にとっても、極めて大切なことだと、身をもって知らしめてられている、昨今でありますが、その橋渡しのサポートをより円滑に行うことも、自分達の重要な役割だと認識して、激動の年となるであろう、2017年に向き合って行く所存です。

頂いた、「六花亭」のお菓子

2016年版”光復路クリスマス・イルミネーション”

釜山では、毎年、この時期になると、南浦を基点とする、光復路ストリートでは、艶やかな電飾に彩られたクリスマス・イルミネーションが、いやがうえにも、冬の港町の風情を引き立てます。 事に昨晩は、寒気のせいか、雪の降らない街と思えないほど、中空に配置されたLEDの灯りが、幻想的な風情で、ここにお越しになっている、日本のお客様も、旅の気分を存分に味わえたのではないかと、思いました。

そのイルミネーションのもとでは、ストリートの両サイドに、改装されて益々、お洒落になってきている、ブティック、コスメショップ、カフェ、レストランの端整なディスプレイが連なり、それと、相対するような屋台の湯気が、なんともいえない旅情を、地元に住んでいる人間にさえ、感じさせます。

もう12月も半ばを越え、年の瀬も押し迫っていますが、年々、商店街の人々の努力で魅了的になっていっている、南浦洞の冬を、ひとりでも多くの日本の方に、満喫して頂たいと思います。

ところで、そんな中、遠く北海道の会社さまが、韓国の工場視察と交流、ビジネス商談も兼ねて、釜山に総勢40人でお越しになられる際の、面談サポートのオファーをたまわりました。会社の未来を見据えて、この釜山まで皆さんで足を運ばれる。本当に、有難いことです。今日、頂いたメールでも、「北海道はもう、零下の世界です。」と書かれておられました。

おぼろげな南浦洞の幻想的な灯りを見ていると、思い出すのはいつも、かつて知ったる北海道の雪原の夜空に輝く、満天の星の光景です。でもそんな感傷にひたることなく、技術通訳を通して、地元、釜山の企業との末永い機縁になればと、務める所存です。

ともわれ、今の釜山、最高です。^^