50歳からの、日本語。

下記・文中の会社とは、全く関係ないですが、凡一洞には、色々な種類の卸が、軒を連ねている。

釜山の問屋街、凡一(ポミル・旧 凡一洞・ポミルトン)。この4月から、日本からの工作機械を扱っている会社で、日本語の短期集中講座を、請け負っている。社会の末端まで、いくつかの大財閥が差配する韓国の社会の中で、その隙間を埋めるように、「韓国の通りで、”社長”と呼びかければ、いっせいに何人もが、振り向く」ほどの、自営業者が、軒を連ねている。

息子さんに事業を継承する為、日本とのパイプをより密接にしたいと、50近くになって、日本語を猛特訓の社長さんが、「円高に進んだので、焦って決済したが、失敗した・・1000万(w)持って行かれた。」と、苦笑いしていた。妹さんに、「兄さんは、20年前から、日本語を勉強すると言っていたけど、今、する事になったんだね。」と言われたり、「その歳になって、なんで、日本語やるの。」と、友人にからかわれたりしているらしいが、本人は、語学の勉強をするのが、楽しいらしい。(会社の若い社員の方も、自発的に加わっている・・・)

一回、2時間の授業の合間にも、かなりのロット(数)の機械の部品の発注を、社員に指示している。下関まで、機械を陸送してもらい、そこで貰い受けて、釜山まで持ってくるという。ただ、現在、今回の震災の為、一度貰い受けた機械を、在庫がないからと、日本の発注元が買い戻す程、機械本体の確保は、逼迫している状態という。

それでも、軍事政権の頃から、ずっと日本の交易を続けてきた経験からか、殺気だつこともなく、授業に没頭されている。

話は逸れるが、韓国で作られている、日本語の教材は極めて、実践的でアプローチもバリエーションも豊富で、本当に感心させられるものが、多い。(興味ある方は、訪韓の折、是非、書店に行かれて、チエックされる事を、お勧めします。)通訳業務の合間の仕事ではあるけれども、これを機会に、できるだけ短期間で、社会人の方が、韓国語・日本語の双方を身につけられる手法を、身に付けることも念頭において、この問屋街のエリアに、暫く、足しげく通うことになりそうである。

仏具の問屋
いったい、いくつあるか、わからない程ある、貴金属卸、小売店。

4月6日(現在)、釜山の桜は、8分咲き。まさに、春・爛漫の、自分達にとって、半島で愛でる3度目の桜である。気負いこそないが、自分達のできることで、日韓の交流や、交易になんらかのことが、できればよいなと、少しく思っている。

外国で咲いても、桜は、桜。 頑張れ、日本・・

長く、新たな、挑戦のはじまり・・

海運台 冬柏公園の 人魚の像

3月11日の、信じられないできごとから、何日が経過したのだろうか。急な仕事が入り、徹夜続きの目に、ニュース速報が入ってきた時は、冗談としか思えなかった。其の後、ここ韓国でも、言葉にもならない、いやこんな姿の日本を、想像だにできない姿の被災地の光景を、終日、放映する日々が続いた。

釜山港や、金海空港からも、日本語で「がんばれ日本」の横断幕を張ったコンテイナーや、物資を格納した貨物が、出立していった。韓国の現代史の中では、異例の光景だと、当局のカンも何度も、驚いていたが、2000年から始まった、韓国と日本との交流促進の過程で、確執がありながらも、厳然と、人や物が行き交った証だと、隔世の感も感じつつ、浮き足だった毎日が続いた。

住む家を失い、昨日まで日常を傍らで共にしてきた伴侶や、子供や親を突然に失い、寒さにうち震え、失くした生活の痕跡を求めて彷徨う人の姿には、大災害を前に先進国も、途上国もない、痛切なリアルと無常をいやが上にも、突きつけられた。その間も、お客様を伴って、海運台や松亭などの、春のビーチを案内しながら、沢山の人々が集う、和やかな波濤と、被災地の映像のギャップに、混乱を禁じえなかった。

日本の災害から1週間後の日曜日、海運台ビーチに憩う人々

今、現在も日本からの避難の為もあって、ここ釜山は小さなモーテルに到るまで、お客様でいっぱいらしい。殊に、ビーチやセンタムの新世界デパート等も、それらしい日本からの外国の人で、にぎわっている。苦肉ではあるが、そんな状況下の中だけに、日本に1番近い外国として、釜山を活用して頂けるのなら、非力な、半島に住む日本人としては、一時の休息の場として英気を養って頂くのを祈るのみである。

信じられぬかもしれぬが、今回の日本の災害は、これまでにないインパクトで、韓国のひとに、捉えられている。もはや、国の枠、云々ではなく、まして、日本だけに起こりうる事案ではない、というのが、心ある韓国のひとの本音ではないだろうか。

自粛は、平時にある人間の役割として、須らく、讃えられるものではないけれども、震災間もなく、釜山近郊の機張の漁港で、永きに渡って続いている、伝統のいわし祭りも、今回の日本の震災で早々にとり止めになった。「同じ、海を糧に生きてきた漁港の街の多くが、あれほどの被害にあった中で、祭りなどできぬ。」と、古老の人達が暗黙のうちに瞬時に、決したそうだ。

昨日立ち寄った、釜山の繁華街西面の、2大書店、栄光図書や教保文庫でも、ここ最近ではないほどの、多くの、年代の端正な眼差しをされた方々が、熱心に日本語の学習書を、選んでいた。

昨年は、北朝鮮に撃沈された天安の喪に服す為に、春の慶尚南道の桜に纏わる祭りは自粛されたが、今年は執り行われるだろう。今、現在は木蓮の白い花が、これからこの市中を埋め尽くす、雲海のような街路樹の桜の露払いのように、咲き誇っている。

 

震災から、ずっと頭の片隅で渦のようにちらついていた、自分達の、第2の故郷ともいうべき、北海道の北・オホーツク、流氷の海の街・紋別。そのながきに渡り、地域の人々にも愛されている地方紙のウェブサイトを覗くと、言行一致で新参者を支援してこられ、国内外を飛び回っておられた(る)デスクのコラムが、日本の中でも地震や天災の少ないところとして、震災した方々の受け入れの準備をすすめよと、力を込めて提言されていた。既に、数組の被災地のご家族が、ほど近い、芝桜観光で有名な滝上という街に入られたそうだ。海の物、山の物に恵まれ、食料自給率200%と言われる北海道の中でも、本当に格別の素材を提供する場所である。

話が逸れてしまったが、そこに住んでいた自分達が良く知り、本当に懐かしく、かけがえのない素晴らしいエリアである。被災地のみならず、今、現在、国難ともいうべき危機のなかで、安全で環境のよい場所をもとめている方がおられるなら、一度、検討に加われてみるのも、いかがかと思う。私たちのような、日韓の夫婦も陰に日向に支えてくださった、多くの、心あるかたの、おられるエリアである。

単に、東北が危ない、東京は・・とかいう状況ではなく、まちがいなく、新たな価値観で生きる場所を、生き方を選ぶ時が、来ていることを、ここにいても、強く感じてしまう。日本は、せまいようで、ここ韓国から見れば4倍強の国土がある。

自己主張も、声も、大きく、「隙間があれば前に、突っ込む」(笑)という半島の風土の中で、言葉はうまくならないのに、ぶつかり合いで鍛えられ、韓国のひとの機微や、優しさ、それは、日本のひとの気配りや、優しさとはまた違うけれども、困難な歴史が培ったコリアン独特の気質。それが、皮膚でわかり始めた今だから、こそ、あえて、国外からの買収だ侵略だということの前に、日本を日本人が、広く使って欲しい・・。

死者不明者が、2万7000人を越えたという。「たちあがろう・日本」の掛け声。本当に、沢山の国内外からの懸命の応援が続いているのを、見る。それでも最後は、被災を乗り越えるのは、一人・一人違う状況の中で、徒手空拳で活路を見出す、ものなのであると思う。政治や国体も大切だが、人間のもつ直感や、意志や集中力や忍耐力が導きだす、知恵みたいなもの。そして、体力。そう体力。

 

 

 

 

 

 

 

(仏)ルクルーゼVS韓国・釜山”JOYCOOK”

この3日間、通訳担当のカンは、日本からのTVクルーのサポート通訳に、朝は8時前から夜は11時まで、かかりっきりでした。ビジネス通訳(勿論、それはそれで、厳しい仕事ですが)とは、訳が違い、まさに体力勝負のこの仕事。本人いわく、「ちゃんと、もっと仕事内容、確認すればよかった!私は、スタッフじゃなく、通訳なんだから・・・。」ぼやく事しきり。

でも、ドラマ好きな本人も、TVがどんな手間のうえで、製作されているのか、わかった事に違いありません。(桑原桑原・・)

しかしながら、(何が、しかし、か意味不明ですが)そのおかげでお料理が大好きで、トレンドの先取りが得意な方には、とってもホットな情報が舞い込んで来ました。

韓国では、釜山・発祥の新趣向のお鍋が大ヒットしています。お鍋で、「オーブン料理」ができるのが、ウリで、しかも、素材を返したりしなくても、両面がそのままで、シッカリ・カリカリの食感で、焼き上がるという、お鍋。

その名も、”JOYCOOK”商品の詳細はここより


【JOYCOOK】 直火オーブン

 

今回、・本TVが、その話題を取り上げ、釜山まで街頭インタビューを含めた商品の紹介番組を製作した遠征ロケを、サポートさせて頂いたのですが、その場で、道行く人をピックアップして、この鍋の感想を語ってもらっているのにも拘わらず、やらせではなく、本当に大好評なのです。

「自分で使って便利だから、贈り物で知人に送ってもすごく喜ばれるんですよ。」って、本気で語って下さるからビックリしたとは、カンの感想。(これまでも、同行取材の通訳をさせて頂きましたが、こんな事は、珍しいそうです・・。)

知的で、落ち着いたジェントルマンなJOYCOOK社の社長さん?が、この取材でも、つきっきりでサポートされていたそうですが、

この方がアメリカ留学時に、「アメリカの家庭に常設されているビルト・イン(作り付け)タイプのオーブンの便利さや、魅力を、もっと手軽にアジアの家庭でも使えるようにしたかった。」と、3年をかけて,試作を繰り返し、考案したのが、”JOYCOOK”だそうなんです。(韓国といえば、韓流ドラマ恒例の、アメリカ留学。)

愛用のルクル-ゼと、スタップ

元・料理人で(笑)ルクルーゼや、スタップをこよなく愛してきた自分達も、是非使って見たくなったなぁ・・。社長さん、くださらないかな~。いやいや、自分達で買います。

昨年9月から、日本でも販売を始めているそうですが、まだ、使っている人は、ひと握り^^。

贈って喜ばれ、後でみんなに自慢できる韓国・釜山発のアイテムになりそうなんで、珍しくプッシュして見ました。

それにしても、釜山が本社とは知らなかった・・・。JOYCOOK社 Webサイト

 

蘇る金狼・・in 釜山?

釜山駅、 近くの街角
2011年も、もう2月半ばです。今朝、釜山も市街地まで、うっすらと、雪が被り、一面の冬景色になりました。
それでもクリスマスから、1月半ばまで続いた底冷えも、既に過ぎ去り、昨晩は近くの東莱MEGA・MART(大型スーパー)も、バレンタインのチョコを買い求める人たちで、一杯でした。ここ最近釜山では、街の至る所で、新空港建設運動の垂れ幕や、広告がいたる所で目につきます。
韓国政府が、推し進める仁川(インチョン)を核とした首都圏を巡る一大プロジェクトと、釜山のような地方都市の浮沈をかけた生き残り合戦。
一般人では伺い知れない、戦略的なプロジェクトを推し進めて、綱引きしながら、今現在も、日々進んでいる様に、近代的で且つ魅力的な街に整備されて行くのでしょうか。
艶やかに彩られた、もう今では、珍しい寝台車、食堂車を曳く 旧型車両・ムグンファ号
ここに来て、身内を含めて、戦争のことや歴史のことを話すことは、ありません。竹島を初めとして、日本のことが話題にのぼる事も稀です。(唯一度、カンのオモニが、ソウルのもっと北の江原道(カンウォンドウ)から、戦時、生まれ育った家を捨てて避難し、その行程で、弟さんを亡くして、抜け殻のようになった母親を引き摺りながら、釜山近郊まで辿り着いた話を、涙ながらに話をした、それきり。
[youtube width=”320″ height=”250″]http://www.youtube.com/watch?v=Ulq2GPh7fR8[/youtube]
(そういえば、つい、先日の九州、宮崎の火山噴火のことは、珍しく大騒ぎしていたが。)
ただ、面白いことに、近時、大ヒットして、色々なジョークのネタや、そこで使われたファッションも話題になっているドラマ、「シークレット・ガーデン」に象徴的に使われている、主人公の居住する邸宅の雰囲気(デザイン)や、シチュエーションが、北海道の著名な菓子舗「六花亭」が1980年の後半から、暫時、増設し整備してきた「中札内美術村」と、酷似していたり、劇中のクライマックスの場面での、海沿いを走る一本道が、道東から、稚内へと連なる道北の国道沿線の、風景にみえたり・・。
道北 オホーツク・紋別郊外の 国道238号線 冬の海岸線
[youtube width=”400″ height=”250″]http://www.youtube.com/watch?v=ZgzTi2X8jBY&feature=related[/youtube]
とにかく、なんだかんだ言っても、近いことは、近いのかなと、ひょんなところで、体感したりします。
釜山 の 港 (チャガルチ市場 裏手より)
自分の中の、くだらない私案は、釜山で、「探偵物語」の韓流版のリメイクを撮ってはと、いうこと。1970年代の横浜の港湾倉庫エリアの一角に、あの知る人には、なんともノスタルジック”な工藤探偵事務所”はあったような。
で、今の釜山なら、まだ日本のあの頃の風情を、再現できる気がする。港、うらぶれた路地裏、相半するように造成され林立するビル群そして、道路を神風タクシーのように、獰猛に走り抜ける車・バス。極めつけは、韓国名物、信号も黙殺・歩道も突っ走る、宅配サービスのべスパの勇姿。言わずもがなに、あの蘇る金狼・・ではなく、松田優作とその仲間達(笑)を思い出して、しまった。
[youtube width=”300″ height=”250″]http://www.youtube.com/watch?v=UWC0B17z1XI&feature=related[/youtube]
それと、長身でアクションをこなす韓国男優の中には、残念だが、日本の俳優より迫力のある新たな「探偵物語」を再現する予感が、些かでも感じてしまう。どんどん変化しているとはいえ、粗野と情がないまぜになっている韓国の醸す風土と気質の性か。
ところで、最近、韓国食の本当に安くて、体に美味しい、名ばかりでない薬食を提供しているお店を見つけた。ビジネスであっても、観光であっても、是非、単なるB級グルメではない、韓国食の魅力を感じて欲しいです。

2010年 年の瀬・センセーション、フラストレーション・・(笑)

釜山 新世界デパート のクリスマス デコレート

2010年も、もう12月。冒頭でも、書きましたが韓国に来て、3度目のキムジャンの時期を迎えれば、後は瞬く間に、クリスマスから、大晦日へと、雪崩れ込んで行きます。

ここ釜山にきて、まる2年。

自分達が考えている以上に、釜山のインフラも、日本から韓国へ、韓国から日本へ行きかう人の層や、目的も移り変わっているのを、この仕事を通して、また、ここに住んで、生きていく中で、感じました。

仕事においては、もっとそうですが、机上のデジタルな話ではなく、現場レベルでの話しでは、まさにそれぞれの国の習慣や、考え方の違いから、「なんで、こんな基本的なことが、わかって貰えないのか?・・」といった、お客様からの憤りなども、共感しつつ、

もう一方では、それぞれの人達のバックグラウンドの決定的な違いを考えると、違うのは仕方ないことだな・・と、思ったり、そのひとつ、ひとつが、とても貴重な経験であった気がします。

2010年、続々と、飲食テナントが、カフェへと 変わっていった (南浦洞にて)

このブログの更新が、滞るのも、通訳業等と平行して、中高生に英語と日本語を教授する小さな塾を運営していた為だが、それを通して、巷で喧伝される、「躍進する韓国企業」の勢いとはまた別の、硬直した、権威主義的な価値観の中でもがく、韓国人の日常と相対してきた。

カフェ 2
金曜の夜 渋滞する 西面 の 夜
ちょっと、路地に入れば、やっぱり、南浦洞は 南浦洞

で、なんかまたしても、長い前置きになりそうなので、結論からはいりますが、日本も韓国も、中国云々といいながら、欲しいものや、なりたいことは、中国から来ているものではないという、端的な結実。

2011年は、日韓の交流も、喧騒をより喧しくしながら、拡大すると思われます。そうともなれば、国や民族や慣習という根源的な洗脳の呪縛を越えた、共感性に、フォーカスすることが、どんな状況にあっても、必須なのかなという気がしてしまいました。

それにしても、習得するのも、教えるのでも、言語は、一朝一夕で身につくものではなく、それ以上に、モチベーションの強さ、持続力、そして実践力以外に、仕様がない事を、実体験で学ばされました。(というより、なんでも、親が先回りする社会の効率性と、脆弱性の両端に振り廻されるのに、辟易したり、大変だなぁ・・と思ったり)

韓国でも、今の受験英語教育のシステムが、「実際に、話ができて、活用できて、なんぼ。」という発想に変わらなければ、英語トラウマの子供を増やすばかりで、親御さんも大切な投資金を、ドブにすて続けることになるのは、必至。

いかん、いかん。ここは、愚痴をいう場所では、アニエヨ。

明後日は、今年、最後だと思われる、遠征での通訳に、釜山よりバスで2時間余の、全羅道の小さな街に出かけます。KTXも、全線開通したし、来年は、ソウルにいくことも増えそう。

子供たちの受験が、なんとか終わり、新たなサービスの準備に、暮れは、費やすことになりそうです。

そして、クリスマスソングでも、k-popでもなく、日本のNO.1ヤング・バンドRADWIMPS(ラッドウインプス)を、聞きながら、12月の釜山を駆け回る現況^^。

あ~、でも、日本の年の瀬が、懐かしい。

対馬まで、見渡せそうだった、これまでで、視界NO.1だった 海運台の 海

G-STAR2010 PCゲームの国だから、熱い!?

ゲームメーカーのアトラクション ブースでの キャラクター実演

はっきりいって、当事務局の両名は、PCゲームでは門外漢だ。こちらにきて、「ゲームは、よくするの?」と聞かれ、「いや、しませんね。」というと、本当に怪訝な顔をされる。任天堂や、Playstation等、ゲームのメッカ(笑)の国から来ているのに、何で?という感じからか、

それとも、街に溢れているPC房でオンラインゲームをする事が、大切な憩い(決して、子供達ばかりでなく)のひとつになっているお国柄のせいか。

中韓のゲームメーカーが、一堂に会したG_STAR2010会場 釜山 べクスコ

今日は、「釜山の面白い場所を」とおまかせ下さった、お客様をともなって、たまたま開催されていた、かなり大規模なPCゲームのイベントに、潜入してみた。

それにしても、このセンタムのコンベンションセンターは、いつも稼動している。短期間の間に、ブースが設置され、また瞬く間に、撤収されるさまは、まさに、ソウルから見れば一地方都市とみなされながちだが、さすがに360万余を擁する釜山の、面目?躍如である。(ちょっと、ありきたりですかね。)

会場入り口

明日の土曜日は、馬鹿混みするのがわかっていたから、平日の今日を狙ってみた。それでも、既に沢山のゲーム慣れした、釜山の若者が大挙していた。

会場 に はいってすぐ の 光景(笑)

とにかく、韓国の甥っ子たちが、空き時間があれば、家のPCはもとより、テストが終わればすぐ、駆け込んでいくのが、オンラインゲームのPCバンだ。勿論、任天堂のゲームも、大人気だが、ケーブルテレビでは、2局も対戦型ゲームの専門チャンネルがある。

そんな韓国のメインストリームとも言える、ゲームのイベントだから、熱気がない訳ないのである。

イベント会場 の 模様 1

日本でも、こういうアニメとか、ゲームとかのイベントに行ったことがないので、どんなものかなとは思っていた。とはいえ、こちらも何といっても、嘗てはゲーセン世代である。永らくのロハス生活(爆)のブランクがあるといえ、なんとはいっても、*チョヌン イルボン サラミ エヨ*である。

楽勝、楽勝とばかり、思っていたけど、会場にはいるなり、の大音響と、瞬く閃光に軽く、眩暈が。

対戦型ゲーム の 公開 実況解説

日本とは、また少しく異なる進展で展開し、PCキーボードを使用する韓国型のゲームと、日本が熟成させてきた体感型のゲームが、渾然一体とかなり広めの会場いっぱいに、展開されている。

色々なブースで、思い思いにプレーする若者 

音楽や、映画なら、今のトレンドをフォローすることもできるが、いかに、ゲームの情動というか、神経に作用するエフェクトと暫く、無縁な生活をしてきたかに、気づかされる。どんな時代でも、その時代が生み出すメディアやツールと、馴れることで新しい技術や、ひいては文化を創ってきたのだろうから、と思うが、ま~それはそれ、人それぞれということで。

大きなプロジェクターで映される、ビジュアル エフェクト

もう、明けてしまったが、今日19日(土)は。かなり人気の、歌手やタレントが来て盛り上がるらしい。「少女時代」ではないようだが(笑)

追伸 おまけ

べクスコの3階には、バイキングのレストランがあるが、地下一階には、イタリアンの綺麗なリストランテもある。ちょっと、小粋な韓国風インテリアショップも。

べクスコ 地下一階 の レストラン
同じく、地下一階の韓国伝統工芸アレンジの インテリア、小物 の 店

東莱 (忠烈祠) の 秋

東莱 チュンヨルサ(忠烈祠) の 秋

釜山の秋も深まり、昨夜も夜に海運台を歩けば、夜の海風はもう、初冬を思わせる風情。秋の風情も、なかなか味わう事もできずに、過ぎこしている中、昼間のあいた時間に、近くの(忠烈祠)チュンヨルサに、足を向けた。

釜山も、海岸線に沿って、どんどん都市開発が進んでいる。そんな中、自分達の住んでいる、東莱のエリアは、釜山では古い歴史を持っているエリアだと、されている。

(忠烈祠) の  秋 2
たわわに 実った カリン 

そして、韓国、ことに釜山の史実ともなれば、侵攻したのは、大抵、日本ということになる。それでも、何故か、不思議と、このチュンヨルサには、時々、足がむいてしまう。慌しく、過去など振り返る暇もない日常は、ここ釜山もなんら変わらない。

それでも、高層マンションが、どんどん増えていき、工事中と雑踏が入り混じる中で、忽然と、常に整然と整備され、数多くの在来の樹種が配置され、鳥がさえずり、涼やかな気を湛えているこの場所は、古のエレジーに、おごそかな気分を醸されながらも、何故か懐かしくこころ落ち着く場所なのだ。

(忠烈祠) の 秋 3
(忠烈祠) の 秋 4

今は、本当に転換期だ。ここ、釜山も3ヶ月ぶりにどこかへ行くと、瞬く間に、雰囲気が変わっていたりする。拙速というのは、容易いが、とにかく「やる」と決めたら一気にことが進んでいく。乱暴というまでに、進展させていくのが、ここの人の持ち味だ。

この慰霊の場所も、来るたびに、ベンチを多く配置した散策路が新たに整備され。観光案内所が、置かれ。無料開放の日を増やして、やんごとなき場所から、市民の憩いの場所として、体裁を異にして行っている。

チュンヨルサ(忠烈祠)の秋 5
(忠烈祠) から、垣間見る 東莱 の 街

いやはや・・何とも 釜山 now 2

第17回ITS世界会議釜山2010に、自動車関連ポータルサイト様の通訳として、参加

このところ、たてつづけに、大阪、九州、東京の企業から、通訳のご依頼を頂き、毎日、慌しく過ぎこしていました。日本国内の、失われた10年どころではない、無政府的な営々と続く迷走にたまらず、ここ釜山へも本格的に、生き残り、いや、新たなビジネス・チャンスを探りに、日本のビジネスマンの方が来られています。

釜山は、360万余りの韓国第2の都市とはいえ、国の中枢機能は、9割が首都・ソウル圏に集中しています。機能が集中するという事は、国の予算も、そこに集中する、ということであり、釜山も政府に大声をあげて、働きかけているよう。

だからこそ、釜山のセンタム・シティのべクスコのコンベンション・センターを中心に、様々な民間セクターの国際会議を誘致して、外国からの投資の端緒を掴むべく、努力している。

このたび、東京の自動車情報・総合ポータルサイトさまに同行して、当事務局の通訳カン・ランニョンも参加させて頂いた、ITS(高度道路交通システム)世界会議も、関係者総員3万人の規模で、行われた。ITSの分野で、虎視眈々と次世代のイニシアティブを獲るべく、この分野に造詣の深い、トヨタ自動車(株)の豊田章一郎名誉会長も、直々に来場して、視察されていたらしい。

自分達も、この2年あまり、この釜山訛りの飛び交う海の街を、歩いてきたが、異国で、益して、日本と、複雑な係わりを持つこの国で暮らすと、日本の国がこれまで謳歌してきた生活の質(文化レベルではなく、利便性レベルとして)は、世界の中でも稀有なものであった気もする。

そして、それを維持してきたのは、日本の国の官吏ではなく、まさに民間企業の海外へ賭した、バイタリティであったのではと、この仕事を通して、改めて気づかされる。

韓国のひとに、それを言えば、怒られてしまうだろうが、まさに、韓国ほど、インフラのモデルが、日本を志向している国はない。

近年、相克を抱えながら、一気に交流が加速した日韓。既に、ニトリで廉価な家具を買い、ユニクロの価格やクオリティに慣れてしまった国が、内向きでいることは、ある意味、欺瞞であると言われても、仕方ないことではないかと、ここにきて、慣れない風俗のなか、汗を流している方を見ると思ってしまう。

これからも、本当に力およばずながら、自分達のできる精一杯で、自分、自社のプランを持って、韓国と日本を行き来きするかたの、手助けができればと、不遜で生意気ながら、強く感じいった次第です。

ちなみに、この会議の詳細については、自動車情報・総合ポータルサイト「レスポンス」上で、ご覧いただけます。ここを、クリック=> #mce_temp_url#

PS

それはそれとして(笑)、釜山もこれから、紅葉本番です。韓国のコマーシャルでは、日本の観光広報大使「嵐」が、일본에, 오세요. イルボネ オセヨ (日本へ、いらっしゃい!!)とやっていますが、

どうぞ、これをご覧になっている、あなたさまへは、부산(釜山)에, 오세요. 秋深まる、釜山へ、ふらっと、お越しください。

えっ・・・10月 13日? 釜山 now 1

センタムで、続々と建設が進んでいるビル群 綱一本あっという間に、降りてくる作業員に、びっくり

また、更新に大きく時間が空いてしまいました。韓国では、旧盆の秋夕も、遠の昔に過ぎ去り、いつの間にか夜風も涼しい、秋たけなわを迎えています。ストリートでは、1tトラックにりんご(サガァ)を満載した路地売りが、到る所に現れて、なかなかに美味しいです。

何かと、喧しい昨今の東アジアですが、ビジネスの現場におられる方、ここに住む自分達のような者、訪れる観光の方には、それをどうこういう,暇もないというのが、現状ではないでしょうか。それ位、既に、一国では存続できない体制に、経済も形づくられています。

日本では、「ゲゲゲの女房」などの快作もあったようですが、韓国では、引き続き時代劇が強く、今、現在も、ドンイ(同伊)や、[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=6kmKbkPbG9E&feature=related[/youtube]

東方神起のユチョンも出演している、「成均館スキャンダル」と、[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=OULB4qvvvVE&feature=related[/youtube]演出も、イ・ビョンフンの名人芸で魅せる前者と、コミック・漫画を実写しているような新しさと、若い役者の演技も光る後者。おかげで、いやがおうにも、朝鮮の歴史を垣間見ることに。

これも、センタムシティ いけいけ、ドンドンと、 やっています
ミル マッ ククス  水冷麺の そば版

ところで、あれほど混んでいたビーチも、まるで、祭りの後のように、穏やかになってきています。

写真では、わからないのですが、海運台ビーチは、あまりの人を受け入れてきた性か、ビーチが「もう、ちょっとオフにしてーー。」という、ぼやきが聞こえてくるほど、宴の後 といった風情。あれほどいた、「少女時代」なにするものぞと、闊歩していた脚長ビキニ軍団も、消えうせて、10月の釜山国際映画祭までは、暫しの休息といった感じ。

国際映画祭の 舞台の設営 が、 進む海運台ビーチ 9月中旬の風景

といってる間に、釜山映画祭、真っ只中の今日、この頃。光陰矢の如し。

熱帯夜に、ミルミョンを想う(--)

センタム・新世界デパート前 の 現在地からの世界主要都市の方角と距離案内

色々あり、暫く、更新できませんでした。というのに、釜山の日差しは、また、真夏に逆戻り。暦は、いつのまにか、9月に入っています。今まで、ご利用頂いた方は、北限・東京ですので、「あいかわらず、暑い日々、いかがお過ごしですか?」などといえる現況。本当に、この暑さで、皆さん、熱中症はもとより、食中毒に要注意。

ここ暫くは、炎天下の中、歩き、ミルミョンで涼む、といった按配でした。舌が、化学調味料や、添加物キラーとなっているので、ここは!と、納得したところは、繰り返す使うことになる。

いつも、冷え冷えの 東莱・メガマート裏の 伽耶ミルミョンのミルミョン コシの強い麺がうまい

クーラーのない部屋で、これを書いてるせいか、余計に、また、食べたくなってしまう。(笑)

釜山に来てから、後、2ヶ月で、2年になる。こんなインターネットで結ばれた時代なのに、色々な懐かしい人たち、大切な人達との音信も疎遠になってしまった。自分の不徳に他ならないが、自分の現実とそれらの方の現実の乖離の度合い、取り巻く状況の違いを考えると、大切な思い出を、今のこの一時の感興で、壊したくないという、錯誤もはなはだしい、センチメンタルな、体のいい、いい訳に過ぎない。

ただ、現代の一度、席を失うと這い上がるのが、極めて難しい現実と、異国でも十二分に直面している。

豊かさを、物質のみに仮託して、その対価の得失を問わない風潮は、日本だ、韓国だに留まらない。世界の人達の幸せをなんて、白々しい事はいいたくないが、お世話になりながら、お礼のひとつ言えず、ここに来ることとなった方々、また、これまで、このサービスを利用して頂いた方々に、なにやら、とってもお礼がいいたい、熱帯夜であります。

PS そういえば、この間、珍しくお客様を、新世界デパートにひっぱっていった。ひいきの引き倒しはしたくないのだが、新世界は、デパートはひとつの文化なのだという、雰囲気を形づくろうとしている。年寄りも、若者も、勿論、そのスペースの巨大さのみならず、サービスの一寸した対応。到るところに、誰でも腰掛けられるソファを配置して、誰もが、気軽にカンフォートな気持ちに浸れるように、配意されている。

イベント・スペースでのドイツで修行された、著名な女性陶芸家の方の展示だったが、撮影禁止の表示にもかかわらず、こころよく許可してくださった。過日は、携帯を落として、取りに行った時、保管してくださっていた、SPAの係員の方の真摯な対応。。かえって、迷惑になるので、ここまでにしますが、釜山にきたら、是非、遊びに行ってみてくださいね。